『歴史の余白』 浅見雅男
今村均大将は内村鑑三全集を読みたかっていたのか。一体いつの時点で読みたがっていたんだろう。
今村均大将はオランダ領インドシナ侵攻作戦を指揮して、絶大なる戦果を上げた軍人ですよね。オランダ領インドシナは、その後日本軍の軍政下におかれることになるけど、今村大正の施政は見事なもんでしたよね。その後はラバウルを任されるようになるんですね。ラバウルでは敗戦に至るまで苦しい戦いが続くことになるけど、最後までそこを譲らなかったんですね。
本書にもありますが、敗戦後は戦争犯罪容疑者としてオーストラリアの軍事法廷で裁かれたんですよね。オーストラリアは当初、今村を死刑にしたかったみたいですね。でも、現地住民の証言で死刑をまぬがれ、一〇年の懲役刑をくだされた。さらにはオランダ領インドシナの件でオランダにも裁かれるが、こちらは無罪となってますね。
当初、今村は、オーストラリアから下された刑期を巣鴨プリズンで服することになっていたが、自ら、多くの部下たちが服役しているニューギニアのオーストラリア海軍刑務所に送られることを望んだんですよね。しかも、六〇歳を超える高齢でのことを考えると、二度と日本に帰れないことは覚悟の上だったでしょうね。
なんて立派な人物でしょう。実際、今村均大将はオーストラリア海軍刑務所に三年半服役し、その後巣鴨に移され、昭和二九年に出所しているんですね。
今村均大将が内村鑑三全集を望んだのは、彼が若い頃からキリスト教会に出入りし、関心を持っていたことが影響したらしい。残念なことに、野村胡堂の行為で送られた内村鑑三全集は、今村の松ラバウルに届けられる途中、今村の部下の乗った飛行機とともに海に沈んでしまったんだそうです。


いずれも小さな話ばかりです。ですが、この小さな話でしか、歴史の“本当”は保証されないんだと思うんです。そりゃそうですよ。小さな話をすべて集めたら、歴史どころか、“すべて”になってしまいますからね。そうそう、いわゆるビッグデータですね。だからかつては、こういった小さな話を集めた本を、好んで読みました。いや、“好んで”というのは違いますね。義務だと思って読みました。日本のものも、シナのものも、西洋のものもね。すごい面白いのもあれば、鼻につくのもありました。まあ、私は基本的に本を読むのが遅いですから、ビッグデータの“ビ”の、しかも端っこを少しだけかじっただけでしょうけど・・・。
とにかく、そう言うことになると、また難しい。膨大なビッグデータからどのデータを引き出すかは、結局、主観で決まってしまいます。あるいは、どのような史観に立っているかによって決まってしまいますね。
小さな話を集めた本は、どんな話を集めたかには意図があるわけです。だけど、一つ一つの話は一見独立していますので、その意図は見失われやすい。しかし、小さな話を読み終わったとき、小さな話を集めた、そしてコラムとして書いた人の意図は貫徹されているわけですね。
そんな“意図”なんてものを気にしていたら本なんか読んでられませんよね。私もそう思います。結局、読んだ側の、受け取る側の資質なんだと思います。
それでこの本についてですけど、もちろん私が申し上げるわけには生きません。だけど、私とはあまり肌合いが良くないみたいです。
《[3]シャム猫、ぞうとパンダの運命》という項目がありますが、・・・私、パンダ嫌いです。パンダが嫌いというよりも、・・・パンダが可愛いとか言って喜んです人は、おかしいと思ってます。私がブログにそんなことを書いているってことは、私の連れ合いには内緒にしておいて下さい。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
今村均大将はオランダ領インドシナ侵攻作戦を指揮して、絶大なる戦果を上げた軍人ですよね。オランダ領インドシナは、その後日本軍の軍政下におかれることになるけど、今村大正の施政は見事なもんでしたよね。その後はラバウルを任されるようになるんですね。ラバウルでは敗戦に至るまで苦しい戦いが続くことになるけど、最後までそこを譲らなかったんですね。
本書にもありますが、敗戦後は戦争犯罪容疑者としてオーストラリアの軍事法廷で裁かれたんですよね。オーストラリアは当初、今村を死刑にしたかったみたいですね。でも、現地住民の証言で死刑をまぬがれ、一〇年の懲役刑をくだされた。さらにはオランダ領インドシナの件でオランダにも裁かれるが、こちらは無罪となってますね。
当初、今村は、オーストラリアから下された刑期を巣鴨プリズンで服することになっていたが、自ら、多くの部下たちが服役しているニューギニアのオーストラリア海軍刑務所に送られることを望んだんですよね。しかも、六〇歳を超える高齢でのことを考えると、二度と日本に帰れないことは覚悟の上だったでしょうね。
なんて立派な人物でしょう。実際、今村均大将はオーストラリア海軍刑務所に三年半服役し、その後巣鴨に移され、昭和二九年に出所しているんですね。
今村均大将が内村鑑三全集を望んだのは、彼が若い頃からキリスト教会に出入りし、関心を持っていたことが影響したらしい。残念なことに、野村胡堂の行為で送られた内村鑑三全集は、今村の松ラバウルに届けられる途中、今村の部下の乗った飛行機とともに海に沈んでしまったんだそうです。
『歴史の余白』 浅見雅男 文藝春秋 ¥ 918 明治から平成を彩った人物たちの素顔を伝える大人の歴史エッセイ |
いずれも小さな話ばかりです。ですが、この小さな話でしか、歴史の“本当”は保証されないんだと思うんです。そりゃそうですよ。小さな話をすべて集めたら、歴史どころか、“すべて”になってしまいますからね。そうそう、いわゆるビッグデータですね。だからかつては、こういった小さな話を集めた本を、好んで読みました。いや、“好んで”というのは違いますね。義務だと思って読みました。日本のものも、シナのものも、西洋のものもね。すごい面白いのもあれば、鼻につくのもありました。まあ、私は基本的に本を読むのが遅いですから、ビッグデータの“ビ”の、しかも端っこを少しだけかじっただけでしょうけど・・・。
とにかく、そう言うことになると、また難しい。膨大なビッグデータからどのデータを引き出すかは、結局、主観で決まってしまいます。あるいは、どのような史観に立っているかによって決まってしまいますね。
小さな話を集めた本は、どんな話を集めたかには意図があるわけです。だけど、一つ一つの話は一見独立していますので、その意図は見失われやすい。しかし、小さな話を読み終わったとき、小さな話を集めた、そしてコラムとして書いた人の意図は貫徹されているわけですね。
そんな“意図”なんてものを気にしていたら本なんか読んでられませんよね。私もそう思います。結局、読んだ側の、受け取る側の資質なんだと思います。
それでこの本についてですけど、もちろん私が申し上げるわけには生きません。だけど、私とはあまり肌合いが良くないみたいです。
《[3]シャム猫、ぞうとパンダの運命》という項目がありますが、・・・私、パンダ嫌いです。パンダが嫌いというよりも、・・・パンダが可愛いとか言って喜んです人は、おかしいと思ってます。私がブログにそんなことを書いているってことは、私の連れ合いには内緒にしておいて下さい。


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