『ご先祖様、ただいま捜索中!』 丸山学
先日、この本のタイトルで記事を書きましたが、考えてみると自分のことばっかり書いていて、ちっとも本の紹介をしていませんでした。自分の自己顕示欲の強さを日頃持て余している私ですが、またまたのことと自分ながら呆れかえっています。まあ、このようなブログをやらせていただいていること自体が、自己顕示欲の発露みたいなものなんですけどね。・・・いえいえ、これはあくまでも私の場合・・・。
ほらね。行ったそばから、また自分のことでしょ。
じゃあ、あらたまってこの本の紹介ね。・・・・・・・・あらたまると、言葉が出てこない。ということで、あんまり改まらずに紹介します。
著者の丸山学さんは、行政書士を職業とされている方だそうです。兄の子どもがなったのは行政書士じゃなくて司法書士か。ずいぶんと出来のいい子で、よく勉強したらしいです。こっちは行政書士ね。行政書士ってのは、ああ、お役所のいろいろな煩雑な許認可だの、届けだのの手続きを当の本人の代わりにやってくれる人のことね。
ご先祖様を探してくれるみたいなので、どんなに歴史通の人なんだあろうと思ったんですよ、・・・最初は。ところが、表紙のお名前の下に《行政書士》という肩書があるので、なんの自慢だろうくらいに思ってたんですね。ところがよく考えてみれば、これはご先祖様を探すには、うってつけの仕事でもあるかもしれないと思ったわけです。
昨年末に同居していた連れ合いの父親が亡くなりました。長く認知症を患いまして、それでも連れ合いは自宅でよく面倒を見ていたんですが、最後の二年くらいは施設にお願いすることになりました。亡くなったのも施設のベッドの上でした。
さて、そこから相続の問題とかなんやらで、義父の生まれを調べていきました。あれって面倒なもんですね。それこそ大きな相続であれば行政書士の方にお願いをしたいところですが、つましく生きてきた義父でしたので私が協力して、連れ合いが主で調べていきました。
私が連れ合いをもらいに行ったときは神奈川県の大和市に住んでました。連れ合いが幼いころにそこに移り住んだんだそうです。それ以前は東京の下町にいたようです。・・・昭和2年生まれの義父でしたので、東京大空襲を逃げ惑った口です。その日は、清澄庭園の池に飛び込んで難を逃れたという話を聞いたことがあります。
割と複雑な家庭だったようで、戦争の前だけでも3度住居を変えてました。その都度、戸籍謄本を取り寄せることになります。それ見たら、義父の戸籍に書かれた人物にもかかわらず、連れ合いの知らない人がいたんです。連れ合いは興味を持ったようではありますが、それ以上にたどって出てきたものがどんなものか。面倒なものであれば厄介ですからね。やめました。
そうそう、これをやっていけば、近代的な戸籍が整備された明治初期までは、祖先をたどれることになりますね。そういうことも、もちろん書かれています。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
ほらね。行ったそばから、また自分のことでしょ。
じゃあ、あらたまってこの本の紹介ね。・・・・・・・・あらたまると、言葉が出てこない。ということで、あんまり改まらずに紹介します。
著者の丸山学さんは、行政書士を職業とされている方だそうです。兄の子どもがなったのは行政書士じゃなくて司法書士か。ずいぶんと出来のいい子で、よく勉強したらしいです。こっちは行政書士ね。行政書士ってのは、ああ、お役所のいろいろな煩雑な許認可だの、届けだのの手続きを当の本人の代わりにやってくれる人のことね。
ご先祖様を探してくれるみたいなので、どんなに歴史通の人なんだあろうと思ったんですよ、・・・最初は。ところが、表紙のお名前の下に《行政書士》という肩書があるので、なんの自慢だろうくらいに思ってたんですね。ところがよく考えてみれば、これはご先祖様を探すには、うってつけの仕事でもあるかもしれないと思ったわけです。
『ご先祖様、ただいま捜索中!』 丸山学 中公新書ラクレ ¥ 886 あなたの先祖はどんな人だったのか。プロの調査でここまで分かる |
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昨年末に同居していた連れ合いの父親が亡くなりました。長く認知症を患いまして、それでも連れ合いは自宅でよく面倒を見ていたんですが、最後の二年くらいは施設にお願いすることになりました。亡くなったのも施設のベッドの上でした。
さて、そこから相続の問題とかなんやらで、義父の生まれを調べていきました。あれって面倒なもんですね。それこそ大きな相続であれば行政書士の方にお願いをしたいところですが、つましく生きてきた義父でしたので私が協力して、連れ合いが主で調べていきました。
私が連れ合いをもらいに行ったときは神奈川県の大和市に住んでました。連れ合いが幼いころにそこに移り住んだんだそうです。それ以前は東京の下町にいたようです。・・・昭和2年生まれの義父でしたので、東京大空襲を逃げ惑った口です。その日は、清澄庭園の池に飛び込んで難を逃れたという話を聞いたことがあります。
割と複雑な家庭だったようで、戦争の前だけでも3度住居を変えてました。その都度、戸籍謄本を取り寄せることになります。それ見たら、義父の戸籍に書かれた人物にもかかわらず、連れ合いの知らない人がいたんです。連れ合いは興味を持ったようではありますが、それ以上にたどって出てきたものがどんなものか。面倒なものであれば厄介ですからね。やめました。
そうそう、これをやっていけば、近代的な戸籍が整備された明治初期までは、祖先をたどれることになりますね。そういうことも、もちろん書かれています。
義父の家の家紋は薩摩藩島津家と同じ《丸に十の字》なんですが、よもやそこにたどり着くとは思ってませんけど、戸籍を調べれば、きっとなんか分かりますね。藪をつついて蛇を出すような気はありませんけどね。 | ![]() |


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