『日本史の法則』 渡部昇一
ここんと頃、しばらくの間、前に書いた記事に頼ってブログを埋め合わせるようなこともなかったんだけど、どうもだめです。ずっと青息吐息を続けてきながら、連休で一息抜けることを楽しみにしていたんですが、私にそんな休息があるはずもありませんでした。私は孫1号、2号の祖父でした。しかも、孫1号、2号の攻撃力は日々高まっておりました。
「そろそろ昼寝をするはず」という期待は、じいちゃん、ばあちゃんにあえた興奮で吹っ飛び、夕食後も顔を真赤にして走り回って寝ることを忘れ、最後は熱を出して倒れ、か弱い声を出して、さらにじいちゃん、ばあちゃんの体力を奪いにかかるのです。
ああ、言い訳がましい。
昨年の4月に亡くなった渡部昇一さんの本の中でも、私にとって一番思い出深い、同時にいつまで立っても読みごたえのある一冊である『日本市の法則』を紹介した記事の焼き直しです。
もともとの歴史好きだけど、中学校の段階では、すでに《世界史》に傾いていました。決定的なきっかけは、マケドニアのアレクサンダー大王ですね。このブログの右下の方で紹介してる『若き英雄』です。その後、シーザーにも、ナポレオンにも、ネルソンにも熱くなりました。
今、中学校の歴史の本を見ると、ほとんど世界史をやってないんですね。私が中学生だったのは40年以上前のことになりますが、当時は、世界史の内容がかなり含まれていたように思うんですけどね。
もちろん、《中学歴史》の主題は日本史の内容だったでしょうけど、日本史の項目になるたびに、戦国や幕末のような時代を除き、内容が瑣末なものになるようでまったく魅力を感じられなかったんです。小学校の頃、内外問わず、たくさん伝記を読んで、日本史、世界史関係なく好きだったんだけどね。
そのまま青年期を迎え、左翼系の思想にかぶれて、日本史には後ろ足で砂を引っ掛けるような状態で、あえてその価値を貶める方向でしか触れることはなかったですね。・・・そんな状況が、7、8年も続いたでしょうか。
わりと律儀な性質で、「日本史は貶めるべきもの」という根拠を探り続けたんですが、結局そこにたどり着けず、疑問をふくらませるばかりの時間ですたね。年齢的にも、反発を続けた親世代に対する気持ちが溶解していく時期だったかもしれない。すでにその頃、行き着くべき先は見えていたと思うんですが、きっかけとなるべき衝撃が必要でした。それがこの一冊でした。
そうなると、もう止めどがなくなりました。高校3年の頃に心を揺さぶられた羽仁五郎の著作を読み返しても、もはやまったく同意できませんでした。「そんなに親や祖父母たちは、愚かなのか?」


私を救ってくれた本の一冊が、この本です。いや、この本ではないですね。装丁が違う。・・・よく覚えていない。・・・、分かりました。この本は平成17年に再販された本で、“まえがき”、“あとがき”に「元本は若かった頃の私の著作で、・・・30年近くたった今も」とある通り、元の本は昭和54(1979)年に刊行された『歴史の読み方』という本だそうです。・・・題名も違ったんですね。
昭和54(1979)年と言えば、まだまだ、私は向こう側にいました。羽仁五郎の『ミケランヂェロ』にドップリという状態の頃ですね。その頃に読んでいれば、私の人生は、また違ったものになっていたかもしれません。・・・今の私は、今の思いに揺るぎはありませんが、おそらく私の場合は、そういった若い頃が必要だったんでしょうね。そういった時間の迷いがあったから、今の地盤を固めてくれているんでしょうね。
《人の言行の背景には宗教がある》
世界史のあらゆる場面に当てはまる原則です。子どもの私が、そんなことを意識していたわけではないんだけど、どこかで感じていたのかもしれないですね。というのも、小学校の時に読んだ日本史系の伝記のなかでも強く印象に残っているのは、後醍醐天皇なんですよね。戦後の歴史教育ですから、“天皇”色は遠ざけられていたでしょうが、それだけに後醍醐天皇には不思議な魅力を感じていました。
山本七平さんの本を読む読むようになって、日本人の言行を左右する“日本教”を知り、前途が一気に開けたました。あとは、ひたすら読むだけ。指向が左側に傾いていた頃、こんなにも、自分がいい本を避けて来てしまったことを、一々後悔しました。自分のような凡才に、失った貴重な時間を取り戻せるんだろうか。・・・というようにね。
もちろん、渡部昇一さんの全部を受け入れたわけじゃありません。渡部さんは日本書紀を揺るがぬ基盤に据えるけど、私はそこに至る以前の日本にも強い興味を持っています。日本書紀が隠したなにがしかの中に、縄文を受け継ぐ良質な日本人の心根を感じ、それを意識することは、現代に日本人に、忘れかけた心の豊かさを取り戻す手助けとなるような気がしています。
今はもう、行けるところまで行くことしか考えていません。渡部昇一さんには、もっともっと教えていただきたかったです。
1年が過ぎた今ですが、あらためて、合掌

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
「そろそろ昼寝をするはず」という期待は、じいちゃん、ばあちゃんにあえた興奮で吹っ飛び、夕食後も顔を真赤にして走り回って寝ることを忘れ、最後は熱を出して倒れ、か弱い声を出して、さらにじいちゃん、ばあちゃんの体力を奪いにかかるのです。
ああ、言い訳がましい。
昨年の4月に亡くなった渡部昇一さんの本の中でも、私にとって一番思い出深い、同時にいつまで立っても読みごたえのある一冊である『日本市の法則』を紹介した記事の焼き直しです。
もともとの歴史好きだけど、中学校の段階では、すでに《世界史》に傾いていました。決定的なきっかけは、マケドニアのアレクサンダー大王ですね。このブログの右下の方で紹介してる『若き英雄』です。その後、シーザーにも、ナポレオンにも、ネルソンにも熱くなりました。
今、中学校の歴史の本を見ると、ほとんど世界史をやってないんですね。私が中学生だったのは40年以上前のことになりますが、当時は、世界史の内容がかなり含まれていたように思うんですけどね。
もちろん、《中学歴史》の主題は日本史の内容だったでしょうけど、日本史の項目になるたびに、戦国や幕末のような時代を除き、内容が瑣末なものになるようでまったく魅力を感じられなかったんです。小学校の頃、内外問わず、たくさん伝記を読んで、日本史、世界史関係なく好きだったんだけどね。
そのまま青年期を迎え、左翼系の思想にかぶれて、日本史には後ろ足で砂を引っ掛けるような状態で、あえてその価値を貶める方向でしか触れることはなかったですね。・・・そんな状況が、7、8年も続いたでしょうか。
わりと律儀な性質で、「日本史は貶めるべきもの」という根拠を探り続けたんですが、結局そこにたどり着けず、疑問をふくらませるばかりの時間ですたね。年齢的にも、反発を続けた親世代に対する気持ちが溶解していく時期だったかもしれない。すでにその頃、行き着くべき先は見えていたと思うんですが、きっかけとなるべき衝撃が必要でした。それがこの一冊でした。
そうなると、もう止めどがなくなりました。高校3年の頃に心を揺さぶられた羽仁五郎の著作を読み返しても、もはやまったく同意できませんでした。「そんなに親や祖父母たちは、愚かなのか?」
『日本史の法則』 渡部昇一 祥伝社 ¥ 1,028 もとは、渡部昇一さんが若い頃に出された本だそうだ。再販された平成17年でも、もちろん今でも、そのまま通用する“日本史の法則”である |
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私を救ってくれた本の一冊が、この本です。いや、この本ではないですね。装丁が違う。・・・よく覚えていない。・・・、分かりました。この本は平成17年に再販された本で、“まえがき”、“あとがき”に「元本は若かった頃の私の著作で、・・・30年近くたった今も」とある通り、元の本は昭和54(1979)年に刊行された『歴史の読み方』という本だそうです。・・・題名も違ったんですね。
昭和54(1979)年と言えば、まだまだ、私は向こう側にいました。羽仁五郎の『ミケランヂェロ』にドップリという状態の頃ですね。その頃に読んでいれば、私の人生は、また違ったものになっていたかもしれません。・・・今の私は、今の思いに揺るぎはありませんが、おそらく私の場合は、そういった若い頃が必要だったんでしょうね。そういった時間の迷いがあったから、今の地盤を固めてくれているんでしょうね。
《人の言行の背景には宗教がある》
世界史のあらゆる場面に当てはまる原則です。子どもの私が、そんなことを意識していたわけではないんだけど、どこかで感じていたのかもしれないですね。というのも、小学校の時に読んだ日本史系の伝記のなかでも強く印象に残っているのは、後醍醐天皇なんですよね。戦後の歴史教育ですから、“天皇”色は遠ざけられていたでしょうが、それだけに後醍醐天皇には不思議な魅力を感じていました。
山本七平さんの本を読む読むようになって、日本人の言行を左右する“日本教”を知り、前途が一気に開けたました。あとは、ひたすら読むだけ。指向が左側に傾いていた頃、こんなにも、自分がいい本を避けて来てしまったことを、一々後悔しました。自分のような凡才に、失った貴重な時間を取り戻せるんだろうか。・・・というようにね。
もちろん、渡部昇一さんの全部を受け入れたわけじゃありません。渡部さんは日本書紀を揺るがぬ基盤に据えるけど、私はそこに至る以前の日本にも強い興味を持っています。日本書紀が隠したなにがしかの中に、縄文を受け継ぐ良質な日本人の心根を感じ、それを意識することは、現代に日本人に、忘れかけた心の豊かさを取り戻す手助けとなるような気がしています。
今はもう、行けるところまで行くことしか考えていません。渡部昇一さんには、もっともっと教えていただきたかったです。
1年が過ぎた今ですが、あらためて、合掌


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