21か条要求『歴史講義 満州事変』 倉山満
一九一八年四月中旬から六月中旬には、アレキサンドリアから約一〇万の兵をマルセイユに護送し、九月下旬にはエジプトからサロニカへ連合軍の陸軍部隊を護送したことは、イギリス国防委員会が作成した『欧州戦争中の海上通商』に、ドイツ潜水艦の攻撃に悩まされていた「連合軍として若干意を強うするに足る事実少々之無きに非ず」、日本海軍の支援によって「我軍隊輸送船の行動上の危険が従来より著しく減少したことなり」と記されており、緊迫した当時の連合軍側の戦況を有利に転換する上に大きな影響を与えたであろう。戦後の調査によれば、日本海軍は一隻も撃沈していなかったが、本作戦中にドイツ潜水艦と三四回交戦し有効攻撃二三回、そのうち撃沈または損害を与えたもの一三回に達したと当時は評価していた。 「第一次世界大戦と日本海軍ー外構と軍事の連接」より |
第一次世界大戦における日本海軍の功績について書かれているわけですが、読む限り、すごいですね。
この時はイギリスからの参戦要請が二転三転して、まあ、結局日本は、日英同盟から参戦しますね。青島にいたドイツ軍を攻撃して接収し、更に太平洋からドイツを駆逐します。もちろんそれだけじゃありませんでした。ロシアがドイツに劣勢に立たされますからね。英仏は日本軍をヨーロッパ戦線に呼び込みたかったわけですね。
でもねえ、日本は軍が強くても、お金がありませんでしたからね。結局、海軍だけを送り込むことになりますね。この時、陸軍も送っていれば、この闘いから本格化した“総力戦”の本質を理解して、第二次世界大戦を回避できたとか、せめて“生かせた”なんて意見を読んだことがあるけど、ドイツ兵やフランス兵が何十万も死んでるところに日本軍を行かせて、総力戦の本質を体感させようってことでしょうか。ちょっとひどくないかな。
陸軍は行かなかったけど、日本海軍の活躍は目覚ましかったんですね。イギリス海軍がいるっていうのに、連合国はドイツのUボートにずいぶん苦しめられたんですね。それが、日本の海軍が大西洋と地中海に進出したことで、ドイツ海軍を沈黙させてるんですね。・・・これはすごい。
『歴史講義 満州事変』 倉山満 ベストセラーズ ¥ 1,399 大日本帝国を滅ぼしたのみならず、満州事変は人類が不幸になっていく始まりの大事件である |
|
中華民国は、革命による建国以来、ほぼ分裂状態でしたね。第一次世界大戦に関しては、早々に中立を宣言しています。英仏にしたって、最初から中華民国に用はなかったでしょうが、日本を頼りにしている状況とは対照的ですね。求められていたのは日本で、相手にされてなかったのが中華民国だったわけですね。この時は、アメリカも、中華民国と同じように中立国だったわけです。
1915年、大隈重信内閣は、ヨーロッパ諸国が戦争をしている機会に、中国政府に21か条要求をつきつけた。その内容は、山東省のドイツ権益の継承、旅順・大連の租借地と南満州鉄道の権益の99年間の延長、中国政府への日本人顧問の採用などで、単なる経済的要求にとどまらず、中国の主権を著しく侵害するものであった。交渉は中国各地で起こった激しい反対運動やアメリカの牽制によって難航したが、日本政府は最後通牒という強圧的手段によってその大部分を承認させた。 実教出版『高校日本史B』・・・ひどい方 |
ひどいなぁ。『二十一カ条の要求』も、本当は『十四か上の要求と七か条の希望』であると、倉山さんも言ってます。しかも、十四か条は「国際法を守ってね」っていう要求です。七か条の中ではたしかに虫の良いことを要求してるけど、これは「通ればラッキー」っていう程度のことでしょう。《最後通牒》は袁世凱の頼みによって、彼の体裁を整えるために出しました。袁世凱は、秘密条項だった七か条を公表して、《二十一カ条の要求》として、日本の侵略意図を世界に宣伝することに大成功したんですね。
結局、七か条は棚上げにしているわけです。中華民国は、いくら約束したからと言って、国際法なんか守る気も能力もないわけですから、日本はなんにも得るものなく、世界の評判を落としただけなわけですよね。
倉山さんの言う通り、「秘密交渉を逆手に取られてまんまとプロパガンダに利用されたという点で、まったくの汚点」となった出来事でした。
一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
- 関連記事
-
- 南蛮料理『日本の洋食』 青木ゆり子 (2018/06/08)
- 『歴史講義 満洲事変』 倉山満 (2018/06/04)
- 21か条要求『歴史講義 満州事変』 倉山満 (2018/05/28)
- 『秘伝・日本史解読術』 荒山徹 (2018/05/26)
- 『神武天皇VS.卑弥呼』 関裕二 (2018/05/24)