南蛮料理『日本の洋食』 青木ゆり子
参った、参った。『日本の洋食』っていう題名から、ついつい明治期に西洋文明が濁流のように押し寄せたとき、自分たちに食いやすいように作り直してお目見えした、“和洋折衷”の料理のことだとばかり思ってました。だから、最初からあんパンだの、すき焼きだのって話が始まるものとばかり思ってたんですね。
私の予想は見事に外れました。というよりも、“これらの洋食”たちのことが、見事に頭から抜け落ちていました。“これらの洋食”ってのは、大航海時代にスペインやポルトガルが日本に持ち込んだ料理。そう、《南蛮料理》たちのことですね。
ポルトガル人が種子島にやって来て鉄砲を伝えてますね。1543年は「以後、予算は鉄砲へ」って覚えました。
それにしても、どうも、その影響はかなり大きくて、私が考えていた範囲をはるかに凌駕するようです。


《揚げたり、ゆでたりした魚か肉を、タマネギなどの野菜を加えた酢や柑橘系の果物の汁につけた料理》って言ったら、やっぱり『南蛮漬け』ですよね。骨まで軟らかくなるほど揚げた小鯵の南蛮漬け。・・・私は大好きです。これは、地中海料理の『エスカベッシュ』というのがもとになってるんだそうです。最近では、宮崎の『チキン南蛮』が有名ですね。食ってみたいな。
味付きのころもで海老などを揚げるフリッターですが、これが天ぷらのもとになったのかというと、どうもそうも言いきれないみたいです。どうやら衣をつけた具を油で揚げる料理は、奈良・平安町からあったらしいんですね。“長崎天ぷら”という料理はフリッターそのものであるようですが。
でも日本では、さつま揚げやジャコ天みたいな、魚のすり身を油で揚げる料理も天ぷらって呼びますよね。これはどうも、フリッターからの流れかもしれませんね。
九州には『かしわ飯』という鶏肉の炊き込みご飯がありますが、ポルトガルにもそれがあって『アロス・デ・フランゴ』というんだそうです。
卵を食べる風習はポルトガル人が日本に伝えたもののようです。たまごを使ったお菓子の『ぼうろ』もそうだって。
同じように、小麦粉と卵を混ぜて油で揚げたお菓子がポルトガルにあるんですね。そのお菓子の名前が『フィリョース』っていうんだそうです。『フィリョース』ですよ、『フィリョース』。その方や大きさが、水けを絞った豆腐に野菜などを混ぜて成型して油で揚げたあの料理にそっくりなんですよ。
おそらく、その名前も『フィリョース』から取られたものでしょう。水けを絞った豆腐に野菜などを混ぜて成型して油で揚げたあの料理とは、そう、がんもどきの『飛竜頭』です。
ねっ。ビックリするほどポルトガル、スペインの料理が、日本にその足跡を残してますよね。慶長遣欧使節としてスペインに渡った人たちの子孫が、今でもかの地に残されていると言いますね。なんでも、日本という意味で「ハポン」と名のっているそうです。「ハポン」さんですね。足跡を残したこともお互いさまということでしょうか。
とりあえず、今後、飛竜頭を食う時は、帆船で荒海を越えたポルトガル人を思い出すことにしましょうか。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
私の予想は見事に外れました。というよりも、“これらの洋食”たちのことが、見事に頭から抜け落ちていました。“これらの洋食”ってのは、大航海時代にスペインやポルトガルが日本に持ち込んだ料理。そう、《南蛮料理》たちのことですね。
日本に初めて西洋料理をもたらしたのは、ポルトガル人、スペイン人でした。種子島にポルトガル人が漂着した1543年から、江戸幕府がポルトガルとの関係を断絶した1639年までのたった100年足らずの間に、キリスト教の宣教を目的としたフランシスコ・ザビエルをはじめとする宣教師や商人が頻繁に九州やその周辺を訪れ、長崎を中心に天ぷらやカステラ、金平糖など、今なお残る「南蛮料理」「南蛮菓子」と呼ばれるさまざまな食べ物を日本に伝えました。 これらの食べ物を九州の人々は日本人好みに変えていき、やがて長い歳月をかけて日本の食べ物として定着させていったのです。 本書p32 |
ポルトガル人が種子島にやって来て鉄砲を伝えてますね。1543年は「以後、予算は鉄砲へ」って覚えました。
それにしても、どうも、その影響はかなり大きくて、私が考えていた範囲をはるかに凌駕するようです。
『日本の洋食』 青木ゆり子 ミネルヴァ書房 ¥ 2,160 カレーライスもスパゲッティナポリタンも日本の料理? では、とんかつは? |
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《揚げたり、ゆでたりした魚か肉を、タマネギなどの野菜を加えた酢や柑橘系の果物の汁につけた料理》って言ったら、やっぱり『南蛮漬け』ですよね。骨まで軟らかくなるほど揚げた小鯵の南蛮漬け。・・・私は大好きです。これは、地中海料理の『エスカベッシュ』というのがもとになってるんだそうです。最近では、宮崎の『チキン南蛮』が有名ですね。食ってみたいな。
味付きのころもで海老などを揚げるフリッターですが、これが天ぷらのもとになったのかというと、どうもそうも言いきれないみたいです。どうやら衣をつけた具を油で揚げる料理は、奈良・平安町からあったらしいんですね。“長崎天ぷら”という料理はフリッターそのものであるようですが。
でも日本では、さつま揚げやジャコ天みたいな、魚のすり身を油で揚げる料理も天ぷらって呼びますよね。これはどうも、フリッターからの流れかもしれませんね。
九州には『かしわ飯』という鶏肉の炊き込みご飯がありますが、ポルトガルにもそれがあって『アロス・デ・フランゴ』というんだそうです。
卵を食べる風習はポルトガル人が日本に伝えたもののようです。たまごを使ったお菓子の『ぼうろ』もそうだって。
同じように、小麦粉と卵を混ぜて油で揚げたお菓子がポルトガルにあるんですね。そのお菓子の名前が『フィリョース』っていうんだそうです。『フィリョース』ですよ、『フィリョース』。その方や大きさが、水けを絞った豆腐に野菜などを混ぜて成型して油で揚げたあの料理にそっくりなんですよ。
おそらく、その名前も『フィリョース』から取られたものでしょう。水けを絞った豆腐に野菜などを混ぜて成型して油で揚げたあの料理とは、そう、がんもどきの『飛竜頭』です。
ねっ。ビックリするほどポルトガル、スペインの料理が、日本にその足跡を残してますよね。慶長遣欧使節としてスペインに渡った人たちの子孫が、今でもかの地に残されていると言いますね。なんでも、日本という意味で「ハポン」と名のっているそうです。「ハポン」さんですね。足跡を残したこともお互いさまということでしょうか。
とりあえず、今後、飛竜頭を食う時は、帆船で荒海を越えたポルトガル人を思い出すことにしましょうか。


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