『日本人が知らない最先端の世界史』 福井義高
じつは、『日本人が知らない最先端の世界史2』を先に読んでしまいました。ほら、なんだか最近“世界史ブーム”じゃないですか。“地政学”なんかもこみで・・・。だから、本屋で見つけたとき、「おお、アレの2番目か」って思って読んじゃったんです。“アレ”のことなんか、なんも知らないまんま。それで、“アレの2番め”に衝撃を受けて、「アレを読んでない」ってことになって、いよいよ“アレ”の順番になったわけです。
西尾幹二さんの紹介によれば、著者の福井義高さんは英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語を解し、日本人があまり知らない雑誌や研究書を読み込んで、“日本では主流にならない思想が世界の正統”であることを日本に紹介してくれる極めて貴重な存在だそうです。
《20世紀は戦争と革命の世紀》と言ってたのは、長谷川慶太郎さんでしょうか。あまりに激しい時代であっただけに、真実は封印されてしまいました。しかし、21世紀も四半世紀を終えて、ようやく真実が明るみに出始めました。
真実が封印された社会に地位を築いてきた人たちは、それを《陰謀史観》と一蹴し、《歴史修正主義》と再び葬り去ろうとしています。中西輝政さんによれば、著者の福井義高さんは、そんな日本の閉鎖空間に確かな一石を投じてくれた人物とのことです。
そうですね。私は人と、思想であるとか、歴史観であるとかについての話は、あまりしないです。直接聞かれりゃ話すんですが、聞かれませんしね。だいたい、何されるかわからないとか思ってるんだか、私に近づいてくる人も少ないですし・・・。ときに、周辺で油断して、左寄りの話題に花を咲かせる人もいますが、そこに口挟んだって仕方がありません。私の周辺にいるのは、取り返しのつかないくらい、いい歳の人たちなんですから。
そんなせいか、人と話すことが本当に少ないんですよ。あっ、山については話すんですけどね。それ以外には、人と話をしません。連れ合いによく言われます。「もうちょっと人と話すようにしたほうがいいよ」って。
もう、30年もそんな思いを抱いてやって来ました。“世界史ブーム”だし、こういう本が読まれるようになりゃ、人と話す機会も増えるかな。繰り返しますが、聞いてくれりゃ話すんですよ。


第六章にある《過去を直視しない人々》というのが面白い。
香西秀信宇都宮大教授の《ある種の人々が最も嫌がる嫌味》
私は大学で、マルクス経済学を学びました。汚い三畳一間のアパートの部屋で、資本論を四冊重ねて枕にして寝てました。大学の経済学部には、マルクス経済学の先生しかいなかったんじゃないかな。東欧革命の一九八九年、尊敬する先生方は、一体どうやって過ごされたんでしょう。
素直な人間なもんだから、そっち側に偏った青年期を過ごしましたね。なんとか自力で軌道修正しましたけどね。当然ですが、学生時代は偏ってようがどうだろうが一本気に生きてましたから、先生方との交流もありました。一九八九年には先生方をお気の毒に思いました。
《かつてのマルキストは、今の進歩主義者、あるいはリベラリスト》っていうのは、実は日本的現象なのではないそうです。欧米でも同様、むしろその傾向が強いのは欧米のようで、日本人のマルキストは、そういう転がり方を欧米から学んだのかもしれません。
そして、この転がり方の背景にあるのは、七〇年たった今でも続く、第二次大戦後の世界秩序を支える《反ファシズム史観》だというのです。
それから第九章《大衆と知識人は、どちらが危険か》は、極めて奥が深い。
たしかに、デマゴーグのプロパガンダに左右され、排外的好戦的主張に飛びつく大衆の危険性というのは、知識人による大衆批判の定番になってますね。
だけど、あの二〇一六年の大統領予備選挙においても、共和党トランプ及び民主党バーニー・サンダース上院議員は反戦アウトサイダー候補であって、二人への大衆の支持は、両党を牛耳る好戦的エリート日する異議申し立てとしての側面を持ってました。
かつて、好戦的であることは上流及び上層中流階級から好意的に受け止められる価値観で、第一次世界大戦までは、好戦的なのは上流及び上層中流階級というのが常識であり、それが堂々と主張されていたんだそうです。反戦平和が好意的な価値観として確立した第二次世界大戦後は、根拠もなく大衆に比べエリートは平和的とみなされるようになったということなんです。
彼らが好戦的であったことが極めて悲劇的な結末を招いたことが、《大衆に比べエリートは平和的》という隠れ蓑を必要としたと、ただそれだけのことじゃないでしょうか。つまり、そうすることで彼らは、悲劇的な結末の責任を大衆に押し付けようとしたんです。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
西尾幹二さんの紹介によれば、著者の福井義高さんは英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語を解し、日本人があまり知らない雑誌や研究書を読み込んで、“日本では主流にならない思想が世界の正統”であることを日本に紹介してくれる極めて貴重な存在だそうです。
《20世紀は戦争と革命の世紀》と言ってたのは、長谷川慶太郎さんでしょうか。あまりに激しい時代であっただけに、真実は封印されてしまいました。しかし、21世紀も四半世紀を終えて、ようやく真実が明るみに出始めました。
真実が封印された社会に地位を築いてきた人たちは、それを《陰謀史観》と一蹴し、《歴史修正主義》と再び葬り去ろうとしています。中西輝政さんによれば、著者の福井義高さんは、そんな日本の閉鎖空間に確かな一石を投じてくれた人物とのことです。
そうですね。私は人と、思想であるとか、歴史観であるとかについての話は、あまりしないです。直接聞かれりゃ話すんですが、聞かれませんしね。だいたい、何されるかわからないとか思ってるんだか、私に近づいてくる人も少ないですし・・・。ときに、周辺で油断して、左寄りの話題に花を咲かせる人もいますが、そこに口挟んだって仕方がありません。私の周辺にいるのは、取り返しのつかないくらい、いい歳の人たちなんですから。
そんなせいか、人と話すことが本当に少ないんですよ。あっ、山については話すんですけどね。それ以外には、人と話をしません。連れ合いによく言われます。「もうちょっと人と話すようにしたほうがいいよ」って。
もう、30年もそんな思いを抱いてやって来ました。“世界史ブーム”だし、こういう本が読まれるようになりゃ、人と話す機会も増えるかな。繰り返しますが、聞いてくれりゃ話すんですよ。
『日本人が知らない最先端の世界史』 福井義高 祥伝社 ¥ 1,728 従来の常識を覆す新しい論点が次々と提示され、読者を知的興奮に誘う |
第六章にある《過去を直視しない人々》というのが面白い。
香西秀信宇都宮大教授の《ある種の人々が最も嫌がる嫌味》
戦争中、さながら軍国主義の権化のごとく「鬼畜米英」「一億総火の玉」を説いた大人たちが、八月十五日を境に突然「民主的」になり、「こんな馬鹿な戦争がうまく行くわけがないと思っていた」などとしたり顔で解説するのを聞いて、子供心ながら衝撃を受けたというのです。彼らはその経験が、その後の彼らの人生観、ものの見方に決定的な影響を受けたと語っています。 実は私も、似たような経験をしたことがあります。ソ連、東欧の社会主義諸国が崩壊したとき、かつては社会主義を賛美していた、少なくともシンパシーを感じていたはずの人々が、ショックで発狂するかと思いきや、「あんな体制が長続きするはずがない」と涼しい顔で傍観していたことです。そしてこの人達とは、戦後の大人たちの変節に「衝撃を受けた」と私に話してくれた人たちです。 彼らは、一九六〇年代に「反革命」と呼んでいたものを、社会諸国崩壊の直前には「民主化」と呼び始めました。なるほど、彼らの少年時代の経験が、「その後の彼らの人生観、ものの見方に決定的な影響を与えた」というのは本当のようです。 本書p126『論理戦に勝つ技術』 |
私は大学で、マルクス経済学を学びました。汚い三畳一間のアパートの部屋で、資本論を四冊重ねて枕にして寝てました。大学の経済学部には、マルクス経済学の先生しかいなかったんじゃないかな。東欧革命の一九八九年、尊敬する先生方は、一体どうやって過ごされたんでしょう。
素直な人間なもんだから、そっち側に偏った青年期を過ごしましたね。なんとか自力で軌道修正しましたけどね。当然ですが、学生時代は偏ってようがどうだろうが一本気に生きてましたから、先生方との交流もありました。一九八九年には先生方をお気の毒に思いました。
《かつてのマルキストは、今の進歩主義者、あるいはリベラリスト》っていうのは、実は日本的現象なのではないそうです。欧米でも同様、むしろその傾向が強いのは欧米のようで、日本人のマルキストは、そういう転がり方を欧米から学んだのかもしれません。
そして、この転がり方の背景にあるのは、七〇年たった今でも続く、第二次大戦後の世界秩序を支える《反ファシズム史観》だというのです。
それから第九章《大衆と知識人は、どちらが危険か》は、極めて奥が深い。
たしかに、デマゴーグのプロパガンダに左右され、排外的好戦的主張に飛びつく大衆の危険性というのは、知識人による大衆批判の定番になってますね。
だけど、あの二〇一六年の大統領予備選挙においても、共和党トランプ及び民主党バーニー・サンダース上院議員は反戦アウトサイダー候補であって、二人への大衆の支持は、両党を牛耳る好戦的エリート日する異議申し立てとしての側面を持ってました。
かつて、好戦的であることは上流及び上層中流階級から好意的に受け止められる価値観で、第一次世界大戦までは、好戦的なのは上流及び上層中流階級というのが常識であり、それが堂々と主張されていたんだそうです。反戦平和が好意的な価値観として確立した第二次世界大戦後は、根拠もなく大衆に比べエリートは平和的とみなされるようになったということなんです。
彼らが好戦的であったことが極めて悲劇的な結末を招いたことが、《大衆に比べエリートは平和的》という隠れ蓑を必要としたと、ただそれだけのことじゃないでしょうか。つまり、そうすることで彼らは、悲劇的な結末の責任を大衆に押し付けようとしたんです。


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