『山小屋の灯』 小林百合子 野川かさね
この間読んだ『凍』っていう本も、とても装丁の素敵な本でした。内容ともあっていて、強く印象に残るものでした。でも、この本の装丁もいいですねぇ。『凍』はずい分前の本ですが、この『山小屋の灯』は最近のものです。最近のものの中で、と言っても私が目にしているのはいくらでもないんですけど、その私の目にした本の中では一番です。
『凍』は、ヒマラヤの難峰ギャチュンカンに挑んだ山野井泰史、妙子夫妻の悪戦苦闘を描いた物語で、装丁の中で強調された“凍”という文字は凍てつく寒さ、その痛み、無感覚の苦痛を示すとともに、低酸素の息苦しさ、恐怖との闘いを表す“凍”でもあったわけです。
この本の装丁の表すものは、なんか、そこはかとない懐かしさなんです。橙色っていうんかな。この色も懐かしいですね。写真は、尾瀬の駒の小屋。と言っても会津駒の方ですよね。残念だけど行ったことがないんです。小屋のそばにある池に可愛い三角屋根の小屋が写ってます。きっと、夜明け前の、時が止まったかのような静寂の中の風景でしょう。
現実に、この山小屋は存在します。だけど、この装丁から感じさせられるのは、なんというか、すでに失われてしまったものを懐かしむときの、あの切ない気持ちなんです。なぜなんでしょうね。
もしかしたら、実在することが分かっていても、「私にはもう行くことが出来ない」って、そういう思いがあるからかもしれません。おかしいなぁ。私は足の手術をして、歩けるようになって、近隣の山に登れるようになって、ようやくこれからいろいろな山に登ろうとしているときだって言うのに。なぜ、私は「もう行くことが出来ない」という思いに駆られてるんでしょう。
そんな、とても切ない思いにさせられる装丁の、素敵な本です。・・・大事にしようと思います。


小林百合子さんは《山と渓谷》の編集の方なんですね。ああ、今は独立して、山に関わる本を作ってるんですね。
野川かさねさんは写真家で、この本は二人で巡った山小屋フォトエッセイです。二人は一緒にあちらこちらの山に登って、山小屋に泊まって、人と交わって、それを本にしてという、羨ましい人生を歩いている方なんですね。
私は、山小屋にお金を払って泊まったということがないんです。高校山岳部から山を始めたから、だいたいテントを担いでの登山だったんです。山小屋はお金を稼ぐ対象で、歩荷に行ったり、バイトしたり、・・・ですね。
そうそう、この本に出てくる雁坂小屋は、よく歩荷やらせてもらって、そのまま手伝いして、一泊二日で5000円もらって帰りました。高校の時、二つ上の先輩にコッペさんという方がいて、その方が雁坂小屋に入り浸ってて、私たち一年のペーペーにも山での稼ぎ方を教えてもらいました。
高校卒業したあとコッペさんに頼まれて、バイクのスピード違反の反則金を郵便局に払いに行った記憶があるんだけど、あのときのお金ってどうしたんだっけかな。
「ああ、間に合ってよかった」そんな言葉が、ちょくちょく登場するんです。
《「ああ、間に合ってよかった」という気持ちが先にたった。二人が小屋にいるうちに登れて、よかった》
《だからこそ、昼から骨酒片手に客が囲炉裏を囲む嘉門次小屋の様子を見るたび、「ああ、良かった。まだ間に合った」と救われたような気持ちになった》
そんな感じです。だけど、変わるんですよね。だから、「間に合ってよかった」ってことになるんです。だからこそ、《もし変わってしまうとしても、今しか見られない風景、交わせない言葉、匂いも寒さも眩しさも全部、覚えていたい》ということになるんです。
小林さんの予感は正しいと、思います。それじゃあ、「もう行くことが出来ない」という私の予感はどうでしょうか。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
『凍』は、ヒマラヤの難峰ギャチュンカンに挑んだ山野井泰史、妙子夫妻の悪戦苦闘を描いた物語で、装丁の中で強調された“凍”という文字は凍てつく寒さ、その痛み、無感覚の苦痛を示すとともに、低酸素の息苦しさ、恐怖との闘いを表す“凍”でもあったわけです。
この本の装丁の表すものは、なんか、そこはかとない懐かしさなんです。橙色っていうんかな。この色も懐かしいですね。写真は、尾瀬の駒の小屋。と言っても会津駒の方ですよね。残念だけど行ったことがないんです。小屋のそばにある池に可愛い三角屋根の小屋が写ってます。きっと、夜明け前の、時が止まったかのような静寂の中の風景でしょう。
現実に、この山小屋は存在します。だけど、この装丁から感じさせられるのは、なんというか、すでに失われてしまったものを懐かしむときの、あの切ない気持ちなんです。なぜなんでしょうね。
もしかしたら、実在することが分かっていても、「私にはもう行くことが出来ない」って、そういう思いがあるからかもしれません。おかしいなぁ。私は足の手術をして、歩けるようになって、近隣の山に登れるようになって、ようやくこれからいろいろな山に登ろうとしているときだって言うのに。なぜ、私は「もう行くことが出来ない」という思いに駆られてるんでしょう。
そんな、とても切ない思いにさせられる装丁の、素敵な本です。・・・大事にしようと思います。
『山小屋の灯』 小林百合子 野川かさね 山と渓谷社 ¥ 1,728 山小屋を愛し、全国の山小屋を訪ね歩いてきた編集者と写真家によるフォトエッセイ集 |
小林百合子さんは《山と渓谷》の編集の方なんですね。ああ、今は独立して、山に関わる本を作ってるんですね。
野川かさねさんは写真家で、この本は二人で巡った山小屋フォトエッセイです。二人は一緒にあちらこちらの山に登って、山小屋に泊まって、人と交わって、それを本にしてという、羨ましい人生を歩いている方なんですね。
私は、山小屋にお金を払って泊まったということがないんです。高校山岳部から山を始めたから、だいたいテントを担いでの登山だったんです。山小屋はお金を稼ぐ対象で、歩荷に行ったり、バイトしたり、・・・ですね。
そうそう、この本に出てくる雁坂小屋は、よく歩荷やらせてもらって、そのまま手伝いして、一泊二日で5000円もらって帰りました。高校の時、二つ上の先輩にコッペさんという方がいて、その方が雁坂小屋に入り浸ってて、私たち一年のペーペーにも山での稼ぎ方を教えてもらいました。
高校卒業したあとコッペさんに頼まれて、バイクのスピード違反の反則金を郵便局に払いに行った記憶があるんだけど、あのときのお金ってどうしたんだっけかな。
「ああ、間に合ってよかった」そんな言葉が、ちょくちょく登場するんです。
《「ああ、間に合ってよかった」という気持ちが先にたった。二人が小屋にいるうちに登れて、よかった》
《だからこそ、昼から骨酒片手に客が囲炉裏を囲む嘉門次小屋の様子を見るたび、「ああ、良かった。まだ間に合った」と救われたような気持ちになった》
そんな感じです。だけど、変わるんですよね。だから、「間に合ってよかった」ってことになるんです。だからこそ、《もし変わってしまうとしても、今しか見られない風景、交わせない言葉、匂いも寒さも眩しさも全部、覚えていたい》ということになるんです。
小林さんの予感は正しいと、思います。それじゃあ、「もう行くことが出来ない」という私の予感はどうでしょうか。


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