『テンプル騎士団』 佐藤賢一
この本の話の始まりは、パリのタンプル。
フランス革命が進行する中、1792年、8月10日事件で王権が廃止されると、ルイ16世はじめ国王の一家はテュイルリー宮を追われタンプル塔に幽閉状態となりました。という流れの中で登場するタンプル。14世紀以降、そこは聖ヨハネ騎士団の所有となっていたそうです。タンプルは、英語ならテンプル。そもそもこの施設を建設したのは聖ヨハネ騎士団と同じ頃に創設され、かつては隆盛を誇ったテンプル騎士団でした。
テンプル騎士団の起こりを説明する中で、著者の佐藤賢一さんは映画《スターウォーズ》に登場するジェダイの騎士を取り上げている。いや、ジェダイの騎士こそが、テンプル騎士団の騎士を、その発想の根源としているんですね。ジェダイの騎士には高い精神性が求められます。
ジェダイの騎士は、せっかく常人を超越する能力を有するというのに、美男美女の登場するハリウッド映画ではもったいなさすぎるくらいに禁欲を求められるんですね。やはりそれも、騎士団として高い戦闘能力を有しながら、同時に修道士でもあるというテンプル騎士団に由来することなんですね。
1095年、教皇ウルバヌス2世はクレルモン公会議で、東方世界に対して聖地奪回のための十字軍の派遣を訴えました。翌年派遣された十字軍では騎士たちが奮闘し、1099年にはついにエルサレムを奪取し、キリスト教徒によるエルサレム王国が立ち上げられました。ヨーロッパキリスト教社会の興奮は頂点に達します。
テンプル騎士団は、その興奮の中で生まれます。十字軍の大軍が引き揚げたあとも、興奮に背中を押されて巡礼に行かないではいられない無邪気な信者は、その多くが強盗・野党・異教徒の刃に倒れていきます。そんな巡礼者を守り、“天上の王のために戦う”集団として、テンプル騎士団は結成されたんです。


その後のテンプル騎士団は、“巡礼者の護衛”というだけでは収まりませんでした。彼らは十字軍の寵児となっていくのです。聖ヨハネ騎士団にしてもそうですが、騎士団は強かったようです。興奮冷めやらぬ信者からの寄進はあとを絶たず、経済的な裏付けは万全。それを背景に、常時、戦う体制をゆるめなかった騎士団は、つまりは常備軍。まだ、中世には現れ得なかった常備軍として、闘いを専らにする人たちだったのですから。
その他にも、テンプル騎士団は、宗教的情熱というあまりにも中世的な理由で創設されながら、近代を先取りする常備軍を有し、輸送の安全を保証し、金融業を手がけてました。おまけに、彼らは諸国の王を凌ぐ大地主で、十分の一税の徴収を教皇から許される存在でもあったわけです。おまけに都市での利権を有し、商業上の利益もあったわけです。
まるで、延暦寺と織田信長が一緒になったような存在ですね。
だから、・・・なんですね。だから、“13日の金曜日”を迎えることになるわけです。もちろん、いろいろな要素が重なってこその“13日の金曜日”ということなんでしょうけど、それでも、本質的には力を持ちすぎたんです。
そして、持ちすぎるほどの力を持っているのに、諸国の王も逆らえないほどの力を持ってしまったテンプル騎士団なのに、その創設の一番の根拠であったはずの、“宗教的情熱”だけが、ヨーロッパ社会から亡くなっていたわけです。
そう、十字軍の情熱は、もはや冷え切ってしまったわけです。
フランス管区本部のタンプルには、1306年にキプロス島の本部から運び込んだとされる騎士団の宝物があったらしい。キリストや諸聖人のゆかりの品々などの聖遺物に混じって、磔刑から降ろされたイエスの遺体を覆っていたとされる布、つまりトリノ聖骸布もあったと言われる。
そのへんから、聖杯伝説が出てくるんでしょうね。聖杯は、イエスの血を受けた杯、杯とは言っても器ではなく布とか、“血を受け継いだ”という意味で、イエスの子孫とかね。・・・ああ、『ダ・ヴィンチ・コード』にもつながっていきますね。

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フランス革命が進行する中、1792年、8月10日事件で王権が廃止されると、ルイ16世はじめ国王の一家はテュイルリー宮を追われタンプル塔に幽閉状態となりました。という流れの中で登場するタンプル。14世紀以降、そこは聖ヨハネ騎士団の所有となっていたそうです。タンプルは、英語ならテンプル。そもそもこの施設を建設したのは聖ヨハネ騎士団と同じ頃に創設され、かつては隆盛を誇ったテンプル騎士団でした。
テンプル騎士団の起こりを説明する中で、著者の佐藤賢一さんは映画《スターウォーズ》に登場するジェダイの騎士を取り上げている。いや、ジェダイの騎士こそが、テンプル騎士団の騎士を、その発想の根源としているんですね。ジェダイの騎士には高い精神性が求められます。
ジェダイの騎士は、せっかく常人を超越する能力を有するというのに、美男美女の登場するハリウッド映画ではもったいなさすぎるくらいに禁欲を求められるんですね。やはりそれも、騎士団として高い戦闘能力を有しながら、同時に修道士でもあるというテンプル騎士団に由来することなんですね。
1095年、教皇ウルバヌス2世はクレルモン公会議で、東方世界に対して聖地奪回のための十字軍の派遣を訴えました。翌年派遣された十字軍では騎士たちが奮闘し、1099年にはついにエルサレムを奪取し、キリスト教徒によるエルサレム王国が立ち上げられました。ヨーロッパキリスト教社会の興奮は頂点に達します。
テンプル騎士団は、その興奮の中で生まれます。十字軍の大軍が引き揚げたあとも、興奮に背中を押されて巡礼に行かないではいられない無邪気な信者は、その多くが強盗・野党・異教徒の刃に倒れていきます。そんな巡礼者を守り、“天上の王のために戦う”集団として、テンプル騎士団は結成されたんです。
『テンプル騎士団』 佐藤賢一 集英社新書 ¥ 972 テンプル騎士団、その成立過程から悲劇的結末までの200年にわたる興亡を鮮やかに描き出す |
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その後のテンプル騎士団は、“巡礼者の護衛”というだけでは収まりませんでした。彼らは十字軍の寵児となっていくのです。聖ヨハネ騎士団にしてもそうですが、騎士団は強かったようです。興奮冷めやらぬ信者からの寄進はあとを絶たず、経済的な裏付けは万全。それを背景に、常時、戦う体制をゆるめなかった騎士団は、つまりは常備軍。まだ、中世には現れ得なかった常備軍として、闘いを専らにする人たちだったのですから。
その他にも、テンプル騎士団は、宗教的情熱というあまりにも中世的な理由で創設されながら、近代を先取りする常備軍を有し、輸送の安全を保証し、金融業を手がけてました。おまけに、彼らは諸国の王を凌ぐ大地主で、十分の一税の徴収を教皇から許される存在でもあったわけです。おまけに都市での利権を有し、商業上の利益もあったわけです。
まるで、延暦寺と織田信長が一緒になったような存在ですね。
だから、・・・なんですね。だから、“13日の金曜日”を迎えることになるわけです。もちろん、いろいろな要素が重なってこその“13日の金曜日”ということなんでしょうけど、それでも、本質的には力を持ちすぎたんです。
そして、持ちすぎるほどの力を持っているのに、諸国の王も逆らえないほどの力を持ってしまったテンプル騎士団なのに、その創設の一番の根拠であったはずの、“宗教的情熱”だけが、ヨーロッパ社会から亡くなっていたわけです。
そう、十字軍の情熱は、もはや冷え切ってしまったわけです。
フランス管区本部のタンプルには、1306年にキプロス島の本部から運び込んだとされる騎士団の宝物があったらしい。キリストや諸聖人のゆかりの品々などの聖遺物に混じって、磔刑から降ろされたイエスの遺体を覆っていたとされる布、つまりトリノ聖骸布もあったと言われる。
そのへんから、聖杯伝説が出てくるんでしょうね。聖杯は、イエスの血を受けた杯、杯とは言っても器ではなく布とか、“血を受け継いだ”という意味で、イエスの子孫とかね。・・・ああ、『ダ・ヴィンチ・コード』にもつながっていきますね。


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