シーア派『シーア派とスンニ派』 池内恵
高校の時の世界史では、ムハンマド時代、正統カリフ時代、ウマイヤ朝時代、アッバース朝時代っていう時代区分と勢力範囲、それぞれの時代の特徴当たりを習うくらいでしたでしょうか。中でも正統カリフ時代は、非常に能力の高いカリフのもとで、教団としての組織を固め、コーランを編纂して教義を統一し、勢力範囲を急激に拡大していったという印象が強い。
著者の池内恵さんが、「一般に宗教団体というものは、創設者が亡くなったときに最大の危機に直面する」って書いてるんだけど、そのとおりでしょうね。イスラム教もご多分に漏れず、ムハンマドの死は、教団としての大きな危機だったようです。
その危機から生まれたのが、イスラム教の分裂なんですね。つまり、ムハンマドの死が、イスラム教がシーア派とスンニ派に分裂するきっかけとなったということです。
スンニ派は、ムハンマドの死後に、歴史上に実際に行われた権力の継承を、全面的に肯定するグループです。つまり、主流派ですね。これに対するシーア派は、逆に反主流派。つまり、その権力の継承を否定する立場ということです。シーア派は、イスラム史初期の権力の継承を、本来はあってはならない不正義であり、権力の簒奪であったと捉えているということです。
ずいぶん真正面からぶつかり合っているんですね。教義上、ここまでぶつかりあうと大変ですね。でも、反主流派のシーア派は少数派で、全イスラム教徒の一割か一割五分程度だそうだから、揉め事になるような数字じゃないか。
・・・なんて思ったあなた。・・・あなたは甘い。
大丈夫。ついさっきまで、私も甘ちゃんでしたから。
確かに少数派のシーア派は、東南アジアや南アジア、つまり巨大イスラム教地帯であるインドネシアやインドにはいないらしいんです。さらにはエジプトやモロッコ・エルジェリアといったマグリブ諸国にもいない。となると、・・・そうなんです。そこを除いた中東に、シーア派は集中しているのです。中東だけをとってみれば、シーア派は少数派だからなんて見くびれるような存在じゃないということです。


さて、最大の危機であるムハンマドの死の直後、一体何が起こったのか。
イスラム教のリーダーの地位は、その時点における最大権力者に委ねられました。“ムスリムの合意により”と教科書に書かれていますが、実際には有力者の談合で決まりました。一般ムスリムが、それに逆らえるはずもありません。そのようにして、“四代正統カリフ”に、リーダーの地位は引き継がれました。
アブー・バクル、ウマル、ウスマーン、アリーの四人ですね。これをそのまま正統であると認めたのがスンニ派です。そう言えばイスラム国でカリフを名乗ったバグダディも、“アブー・バクル・アル・バグダディ”って名乗ってましたね。スンニ派ですからね。
そして、シーア派は、この権力継承を認めないわけです。ムハンマドのあとは、その直系の子孫にこそ教団国家を指導する権限が継承されるべきという立場を取るのがシーア派です。ムハンマドには、最初の妻ハディージャとの間にファーティマという娘がいました。ファーティマは、ムハンマドの腹心の部下で、従弟でもあるアリーと結婚していた。ムハンマドの従弟にして娘婿であるアリーこそ、ムハンマドの後継者としてふさわしいと考えていたわけですね。
ムハンマドは、イスラム教徒らしく多くの妻を娶ったらしい。中でも晩年、一番愛したのがアーイシャで、これがムハンマドと同族のクライッシュ族の有力者アブー・バクルの娘だったわけです。すでにアーイシャが六歳の頃に婚約したんだそうです。ムハンマドは四十歳以上年上というから、このときで四十六歳以上ですね。・・・イスラム教徒らしくですか?
この辺、イスラム教徒という問題じゃなく、いまでも、“名誉殺人”なんてことが問題になったりしますが、イスラム教以前からの部族の風習だったんでしょう。一夫多妻をイスラム教に根拠を求めたりしますが、それは違うでしょう。未だに遠く過ぎ去ったはずの過去の風習から自由になれないということでしょう。まあ、いいや。
六三二年にムハンマドが死んでから四五年間。ムハンマドの言行録であるハディースの多くは、この間にアーイシャが語り継いだものだそうですね。このアーイシャとアリーが、ものすごく仲が悪かったらしいんです。
アーイシャには不倫疑惑があって、遠征中に行方不明になったアーイシャが、若い男のラクダで帰ってきたんです。大問題になったんだけど、神様がムハンマドにアーイシャを無実とする啓示を、都合よく下してくださったらしいんです。そのため、アーイシャを不倫で訴えた奴らが殺されてるんですね。この神の啓示が都合よく下される前、まだ不倫騒動真っ只中に、アーイシャを離婚することを進めたのがアリーだったんです。
巡り巡って四代目の正統カリフになったものの、アリーは暗殺され、アブー・バクルやウマルが重用したメッカの有力家系のムアーウィア・ウマイヤが権力を掌握します。ウマイヤ朝の始まりですね。このとき、アリーにて期待する勢力の中に、アーイシャの影が見え隠れするらしいんです。・・・なんてことでしょう。
その後、アリーの次男が反乱のリーダーに担ぎ上げられて、結果的には惨殺されます。シーア派は、指導者をイマームと呼びます。初代イマームがアリー、二代が長男のハサン、三代がフサインです。その後、その血統から十二名のイマームが生まれたとするのが十二イマーム派という、シーア派の主流ですね。
やっぱり46歳を過ぎて、いかに事情があったとは言え、6歳の娘と婚約ってのは、・・・ねぇ。それだけ、ムハンマドもアブー・バクルの力を手に入れたかったってことでしょうか。それとも本当に6歳の娘の方を手に入れたかったんでしょうか。・・・

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
著者の池内恵さんが、「一般に宗教団体というものは、創設者が亡くなったときに最大の危機に直面する」って書いてるんだけど、そのとおりでしょうね。イスラム教もご多分に漏れず、ムハンマドの死は、教団としての大きな危機だったようです。
その危機から生まれたのが、イスラム教の分裂なんですね。つまり、ムハンマドの死が、イスラム教がシーア派とスンニ派に分裂するきっかけとなったということです。
スンニ派は、ムハンマドの死後に、歴史上に実際に行われた権力の継承を、全面的に肯定するグループです。つまり、主流派ですね。これに対するシーア派は、逆に反主流派。つまり、その権力の継承を否定する立場ということです。シーア派は、イスラム史初期の権力の継承を、本来はあってはならない不正義であり、権力の簒奪であったと捉えているということです。
ずいぶん真正面からぶつかり合っているんですね。教義上、ここまでぶつかりあうと大変ですね。でも、反主流派のシーア派は少数派で、全イスラム教徒の一割か一割五分程度だそうだから、揉め事になるような数字じゃないか。
・・・なんて思ったあなた。・・・あなたは甘い。
大丈夫。ついさっきまで、私も甘ちゃんでしたから。
確かに少数派のシーア派は、東南アジアや南アジア、つまり巨大イスラム教地帯であるインドネシアやインドにはいないらしいんです。さらにはエジプトやモロッコ・エルジェリアといったマグリブ諸国にもいない。となると、・・・そうなんです。そこを除いた中東に、シーア派は集中しているのです。中東だけをとってみれば、シーア派は少数派だからなんて見くびれるような存在じゃないということです。
『シーア派とスンニ派』 池内恵 新潮社 ¥ 1,080 ますます深まる混乱と亀裂 やはり、両派の対立が、その原因なのか |
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さて、最大の危機であるムハンマドの死の直後、一体何が起こったのか。
イスラム教のリーダーの地位は、その時点における最大権力者に委ねられました。“ムスリムの合意により”と教科書に書かれていますが、実際には有力者の談合で決まりました。一般ムスリムが、それに逆らえるはずもありません。そのようにして、“四代正統カリフ”に、リーダーの地位は引き継がれました。
アブー・バクル、ウマル、ウスマーン、アリーの四人ですね。これをそのまま正統であると認めたのがスンニ派です。そう言えばイスラム国でカリフを名乗ったバグダディも、“アブー・バクル・アル・バグダディ”って名乗ってましたね。スンニ派ですからね。
そして、シーア派は、この権力継承を認めないわけです。ムハンマドのあとは、その直系の子孫にこそ教団国家を指導する権限が継承されるべきという立場を取るのがシーア派です。ムハンマドには、最初の妻ハディージャとの間にファーティマという娘がいました。ファーティマは、ムハンマドの腹心の部下で、従弟でもあるアリーと結婚していた。ムハンマドの従弟にして娘婿であるアリーこそ、ムハンマドの後継者としてふさわしいと考えていたわけですね。
ムハンマドは、イスラム教徒らしく多くの妻を娶ったらしい。中でも晩年、一番愛したのがアーイシャで、これがムハンマドと同族のクライッシュ族の有力者アブー・バクルの娘だったわけです。すでにアーイシャが六歳の頃に婚約したんだそうです。ムハンマドは四十歳以上年上というから、このときで四十六歳以上ですね。・・・イスラム教徒らしくですか?
この辺、イスラム教徒という問題じゃなく、いまでも、“名誉殺人”なんてことが問題になったりしますが、イスラム教以前からの部族の風習だったんでしょう。一夫多妻をイスラム教に根拠を求めたりしますが、それは違うでしょう。未だに遠く過ぎ去ったはずの過去の風習から自由になれないということでしょう。まあ、いいや。
六三二年にムハンマドが死んでから四五年間。ムハンマドの言行録であるハディースの多くは、この間にアーイシャが語り継いだものだそうですね。このアーイシャとアリーが、ものすごく仲が悪かったらしいんです。
アーイシャには不倫疑惑があって、遠征中に行方不明になったアーイシャが、若い男のラクダで帰ってきたんです。大問題になったんだけど、神様がムハンマドにアーイシャを無実とする啓示を、都合よく下してくださったらしいんです。そのため、アーイシャを不倫で訴えた奴らが殺されてるんですね。この神の啓示が都合よく下される前、まだ不倫騒動真っ只中に、アーイシャを離婚することを進めたのがアリーだったんです。
巡り巡って四代目の正統カリフになったものの、アリーは暗殺され、アブー・バクルやウマルが重用したメッカの有力家系のムアーウィア・ウマイヤが権力を掌握します。ウマイヤ朝の始まりですね。このとき、アリーにて期待する勢力の中に、アーイシャの影が見え隠れするらしいんです。・・・なんてことでしょう。
その後、アリーの次男が反乱のリーダーに担ぎ上げられて、結果的には惨殺されます。シーア派は、指導者をイマームと呼びます。初代イマームがアリー、二代が長男のハサン、三代がフサインです。その後、その血統から十二名のイマームが生まれたとするのが十二イマーム派という、シーア派の主流ですね。
やっぱり46歳を過ぎて、いかに事情があったとは言え、6歳の娘と婚約ってのは、・・・ねぇ。それだけ、ムハンマドもアブー・バクルの力を手に入れたかったってことでしょうか。それとも本当に6歳の娘の方を手に入れたかったんでしょうか。・・・


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