『山頭火俳句集』 夏目番矢編
いつ以来でしょう。山頭火の本を買うなんて。
ずいぶん前ですね。山頭火の句が大好きになって、結局、方っ端から全部、本を買って読みつくしました。30半ばまでのことだったと思います。
この本が出たのを知って、昔、購入した山頭火関係の本を探そうと、押し入れに頭を突っ込んでみました。それがおかしいんですねぇ。ないんですよ。一冊も・・・。
30代の半ばで山をあきらめたことは、なんども書きました。その時、頭に来ちゃって、山の道具をずいぶん捨てたんです。山を再開した今になってみれば、「もったいないことをしたな~」って思います。もともといい加減な性格ですから、“捨てる”のも不徹底で、二階の押し入れの天袋に入ってた装備は無傷で残ってたりするんですけどね。
まあ、それでもずいぶん捨てたわけです。どうやらその時、山頭火の本も一緒に捨てたらしいんですよ。たしかの書籍も捨てました。・・・山関連のね。それと一緒に、山頭火の本も捨てちゃったようなんです。
つまり、山頭火の本は、私にとっては、《山の本》という分類だったようなんです。・・・少なくとも当時の私にとっては。


この間、あえて山に触れている句だけをピックアップしてみました。けっこうたくさん、山を取り上げた句がありましたね。だけど、決して山頭火の歌は、山がメインではありません。そこで今回は、逆に、あえて山に関わる句を除いて、なじみのある句を、いくつかですが、取り上げてみた。
けふもよく働いて人のなつかしさや
どうしようもないわたしが歩いている
うしろ姿のしぐれてゆくか
葱坊主、わたしにもうれしいことがある
寝ころべば信濃の空のふかいかな
ここを死に場所とし草のしげりにしげり
なんとなくなつかしいもののかげが月あかり
あれれ、こうして、あえて山を詠んでるわけでもない句を取り上げてみたわけですが、そうしてみると、やはり山頭火は山の備品に入れておくのがふさわしいような気がしないでもないですね。山をあきらめたときに、山頭火の本も捨てちゃった30代半ばの私の気持ちも、少しは分かるような気がします。
だけど、かつて山頭火の本を山の道具と一緒に捨てちゃってから20数年が経って、いま改めて山頭火の句に接してみると、なんだか若い時とは、んんん・・・なんだか違うような気がするな。もちろん、句が勝手に変わるわけはないから、私があの頃とは違うってことなんでしょうね。
かつては、自嘲気味の句に惹かれました。なんか自分の弱みと向き合って、それを受け入れていく過程で生まれてくるような句ですね。でも今は、以前は特に気に留めなかった句に、思いが引き寄せられます。ピッタリくる言い方が思い当たらないんですが、淡々と自然の情景を描いていて、小さな小さな自分をその中に溶け込ませてしまっているような句とでもいうんでしょういか。
その時、その時で、味わいも変わるもんですね。自分にも、20数年前の私とは違う味わいってのがあるんでしょうか。それとも私は、その頃よりも、もっともっとうすらみっともなく、・・・。
自嘲が自分の本質に染みついてしまって、自嘲気味の句を拒否するようにでもなってるのかもしれません。
雨のあとそんな日もありきりぎりす

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ずいぶん前ですね。山頭火の句が大好きになって、結局、方っ端から全部、本を買って読みつくしました。30半ばまでのことだったと思います。
この本が出たのを知って、昔、購入した山頭火関係の本を探そうと、押し入れに頭を突っ込んでみました。それがおかしいんですねぇ。ないんですよ。一冊も・・・。
30代の半ばで山をあきらめたことは、なんども書きました。その時、頭に来ちゃって、山の道具をずいぶん捨てたんです。山を再開した今になってみれば、「もったいないことをしたな~」って思います。もともといい加減な性格ですから、“捨てる”のも不徹底で、二階の押し入れの天袋に入ってた装備は無傷で残ってたりするんですけどね。
まあ、それでもずいぶん捨てたわけです。どうやらその時、山頭火の本も一緒に捨てたらしいんですよ。たしかの書籍も捨てました。・・・山関連のね。それと一緒に、山頭火の本も捨てちゃったようなんです。
つまり、山頭火の本は、私にとっては、《山の本》という分類だったようなんです。・・・少なくとも当時の私にとっては。
『山頭火俳句集』 夏目番矢編 岩波書店 ¥ 1,145 日本人に広く親しまれるだけでなく、世界で愛読されている前衛詩人 |
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この間、あえて山に触れている句だけをピックアップしてみました。けっこうたくさん、山を取り上げた句がありましたね。だけど、決して山頭火の歌は、山がメインではありません。そこで今回は、逆に、あえて山に関わる句を除いて、なじみのある句を、いくつかですが、取り上げてみた。
けふもよく働いて人のなつかしさや
どうしようもないわたしが歩いている
うしろ姿のしぐれてゆくか
葱坊主、わたしにもうれしいことがある
寝ころべば信濃の空のふかいかな
ここを死に場所とし草のしげりにしげり
なんとなくなつかしいもののかげが月あかり
あれれ、こうして、あえて山を詠んでるわけでもない句を取り上げてみたわけですが、そうしてみると、やはり山頭火は山の備品に入れておくのがふさわしいような気がしないでもないですね。山をあきらめたときに、山頭火の本も捨てちゃった30代半ばの私の気持ちも、少しは分かるような気がします。
だけど、かつて山頭火の本を山の道具と一緒に捨てちゃってから20数年が経って、いま改めて山頭火の句に接してみると、なんだか若い時とは、んんん・・・なんだか違うような気がするな。もちろん、句が勝手に変わるわけはないから、私があの頃とは違うってことなんでしょうね。
かつては、自嘲気味の句に惹かれました。なんか自分の弱みと向き合って、それを受け入れていく過程で生まれてくるような句ですね。でも今は、以前は特に気に留めなかった句に、思いが引き寄せられます。ピッタリくる言い方が思い当たらないんですが、淡々と自然の情景を描いていて、小さな小さな自分をその中に溶け込ませてしまっているような句とでもいうんでしょういか。
その時、その時で、味わいも変わるもんですね。自分にも、20数年前の私とは違う味わいってのがあるんでしょうか。それとも私は、その頃よりも、もっともっとうすらみっともなく、・・・。
自嘲が自分の本質に染みついてしまって、自嘲気味の句を拒否するようにでもなってるのかもしれません。
雨のあとそんな日もありきりぎりす


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