『 “世界の果て”の物語』 ドミニク・ラニ
この本を読んで、つくづく思います。
「ヨーロッパという世界は、何の歴史も持ってないんだ」って。だってそうじゃないですか。彼らが、みずからの過去のように語る“歴史”は、ことごとく古代ギリシャからの借り物で、それは古代ギリシャ人のものであって、ヨーロッパ人がヨーロッパ人という自覚を持つころには、彼らは雲散霧消して存在しておりませんでした。
なんにも持っていなかったからこそ、欲しかったんですね。そして、自分たちこそが古代ギリシャ文化の後継者であるように、まるでその血を、その遺伝子を受け継いだものであるかのごとくふるまうわけです。
《17世紀から18世紀の古典主義と啓蒙時代は『イーリアス』や『オデュッセイア』を読み、ユリシーズのような「素晴らしい旅」に憧れる旅人が多くなった。城壁の発見を期待して、トロイ地方をあちこち歩き回った》
おお、まさにその通り。彼らが教会の戒めから逃れようと手を伸ばした古典とは、自分とは何のかかわりもない古代ギリシャ人の物語だったのです。
古代ギリシャ人が古くから伝えられた文明を受け継ぐべくもなくなった時、それを受け継いだのはイスラム教を信仰する人々でした。十字軍の時代あたりから、ヨーロッパ人がイスラム教徒との接触から伝えられた古代ギリシャのお話は、彼らにとっては見も知らないまったく新しい話でした。
ルネサンスなんて言いますが、再生なんておこがましい。それは彼らにとって、新鮮極まりない、胸躍る物語だったにすぎません。それをルネサンス、再生だなんて、かつて自分の手元にあったものを取り戻したかのような表現をするから、話がややこしいことになってしまうんじゃないでしょうか。
それにとどめを刺したのは、やはりシュリーマンの発見でしょうか。たしかにその城壁の外では、自分たちの先人に違いない英雄アキレウスとトロイの皇子へクトールが死闘を繰り広げたわけです。敗れたへクトールが、遺体をアキレウスの戦車につながれ、それを見た妻のアンドロマケが気を失って倒れ伏す現場を、シュリーマンはまさに発見し、『イーリアス』に書かれた物語が真実であったことを証明したのです。
ただし、シュリーマンが証明したのは、『イーリアス』に書かれたギリシャ神話が、実は史実を下敷きにして書かれたお話であったことという事であって、シュリーマンたちのご先祖様とは一切合切、爪の先ほども関係のない、まるで違う世界での出来事に違いないわけなんですけどね。


それでもヨーロッパ人は、ギリシャを心の故郷にしてしまっているわけです。もうそれはそれで、どうしようもありません。ヨーロッパ人の本当のご先祖様たちは草葉の陰で泣いているに違いありませんが、おそらくギリシャ神話並みの立派な過去を設定しないと精神のバランスが崩れてしまうのかもしれませんね。
それだけのものがあって、ようやく教会のくびきから逃れられたんでしょうから。
そんな彼らがたどる“世界の果て”、つまり辺境は、古代ギリシャ人たちの活躍のあとに他ならないことになりますね。クレタ、トロイ。地中海は、まさに冒険の海。金の羊毛の国コルキスは断崖絶壁に挟まれた海峡の向こう。それはもう、違う世界。古代ギリシャ人は、異世界にまで足跡を残しています。
そこでは、異邦人のイアソンへの愛のために国を裏切った王女メディアの物語が語られます。しかし、その王女メディアを、異邦人のイアソンは裏切るのです。女王メディアの復讐劇は、しかし、ヨーロッパ人には何の関係もない話なんです。
しかし、新しい冒険が始まります。その冒険をヨーロッパ人にもたらしたのは、やはり、マルコ・ポーロと言っていいでしょう。彼の残した『世界の記述』は、それから200年後、一人の男を冒険に駆り立てます。そう、クリストファー・コロンブスですね。
“功罪半ば”なんて生易しいものではありませんが、すでに過ぎてしまったこと。とはいうものの、・・・生半可、古代ギリシャ人のオデュッセイアに刺激されてるから、オデュッセイアにこそヨーロッパ人のよって立つ本分があるとでも思っていたのでしょうか。オデュッセイアでこそ、ヨーロッパ人が古代ギリシャの後継者であることを証明する方法とでも勘違いしたんでしょうか。
“功罪半ば”は取り下げて、その後の“悪行三昧”は、まさにヨーロッパ人の身元証明と言っていいでしょうか。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
「ヨーロッパという世界は、何の歴史も持ってないんだ」って。だってそうじゃないですか。彼らが、みずからの過去のように語る“歴史”は、ことごとく古代ギリシャからの借り物で、それは古代ギリシャ人のものであって、ヨーロッパ人がヨーロッパ人という自覚を持つころには、彼らは雲散霧消して存在しておりませんでした。
なんにも持っていなかったからこそ、欲しかったんですね。そして、自分たちこそが古代ギリシャ文化の後継者であるように、まるでその血を、その遺伝子を受け継いだものであるかのごとくふるまうわけです。
《17世紀から18世紀の古典主義と啓蒙時代は『イーリアス』や『オデュッセイア』を読み、ユリシーズのような「素晴らしい旅」に憧れる旅人が多くなった。城壁の発見を期待して、トロイ地方をあちこち歩き回った》
おお、まさにその通り。彼らが教会の戒めから逃れようと手を伸ばした古典とは、自分とは何のかかわりもない古代ギリシャ人の物語だったのです。
古代ギリシャ人が古くから伝えられた文明を受け継ぐべくもなくなった時、それを受け継いだのはイスラム教を信仰する人々でした。十字軍の時代あたりから、ヨーロッパ人がイスラム教徒との接触から伝えられた古代ギリシャのお話は、彼らにとっては見も知らないまったく新しい話でした。
ルネサンスなんて言いますが、再生なんておこがましい。それは彼らにとって、新鮮極まりない、胸躍る物語だったにすぎません。それをルネサンス、再生だなんて、かつて自分の手元にあったものを取り戻したかのような表現をするから、話がややこしいことになってしまうんじゃないでしょうか。
それにとどめを刺したのは、やはりシュリーマンの発見でしょうか。たしかにその城壁の外では、自分たちの先人に違いない英雄アキレウスとトロイの皇子へクトールが死闘を繰り広げたわけです。敗れたへクトールが、遺体をアキレウスの戦車につながれ、それを見た妻のアンドロマケが気を失って倒れ伏す現場を、シュリーマンはまさに発見し、『イーリアス』に書かれた物語が真実であったことを証明したのです。
ただし、シュリーマンが証明したのは、『イーリアス』に書かれたギリシャ神話が、実は史実を下敷きにして書かれたお話であったことという事であって、シュリーマンたちのご先祖様とは一切合切、爪の先ほども関係のない、まるで違う世界での出来事に違いないわけなんですけどね。
『 “世界の果て”の物語』 ドミニク・ラニ 河出書房新社 ¥ 3,218 希望と欲を原動力に地の果てへと邁進した探検家、歴史家、旅行家たちの34の冒険譚 |
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それでもヨーロッパ人は、ギリシャを心の故郷にしてしまっているわけです。もうそれはそれで、どうしようもありません。ヨーロッパ人の本当のご先祖様たちは草葉の陰で泣いているに違いありませんが、おそらくギリシャ神話並みの立派な過去を設定しないと精神のバランスが崩れてしまうのかもしれませんね。
それだけのものがあって、ようやく教会のくびきから逃れられたんでしょうから。
そんな彼らがたどる“世界の果て”、つまり辺境は、古代ギリシャ人たちの活躍のあとに他ならないことになりますね。クレタ、トロイ。地中海は、まさに冒険の海。金の羊毛の国コルキスは断崖絶壁に挟まれた海峡の向こう。それはもう、違う世界。古代ギリシャ人は、異世界にまで足跡を残しています。
そこでは、異邦人のイアソンへの愛のために国を裏切った王女メディアの物語が語られます。しかし、その王女メディアを、異邦人のイアソンは裏切るのです。女王メディアの復讐劇は、しかし、ヨーロッパ人には何の関係もない話なんです。
しかし、新しい冒険が始まります。その冒険をヨーロッパ人にもたらしたのは、やはり、マルコ・ポーロと言っていいでしょう。彼の残した『世界の記述』は、それから200年後、一人の男を冒険に駆り立てます。そう、クリストファー・コロンブスですね。
“功罪半ば”なんて生易しいものではありませんが、すでに過ぎてしまったこと。とはいうものの、・・・生半可、古代ギリシャ人のオデュッセイアに刺激されてるから、オデュッセイアにこそヨーロッパ人のよって立つ本分があるとでも思っていたのでしょうか。オデュッセイアでこそ、ヨーロッパ人が古代ギリシャの後継者であることを証明する方法とでも勘違いしたんでしょうか。
“功罪半ば”は取り下げて、その後の“悪行三昧”は、まさにヨーロッパ人の身元証明と言っていいでしょうか。


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