『昭和40年代ファン手帳』 泉麻人
また、やってしまいました。
眠らせている間に、“時価”の本になってしまいました。2014年の本ですから、4年間ほど眠ってもらったんですね。その間に、“時価”です。やむを得ないと言えばやむを得ないわけですが、もう少し何とか待ってもらうわけには行かなかったんでしょうか。もう遠く過ぎ去った過去の話、足の速い、イワシやサバとは違って、決して悪くなったりしないんですから。むしろ、時間が過ぎるほどにうまみ成分が凝縮してくるんじゃないでしょうか。
そんな言い訳しているくらいなら、4年も眠らせないで読めばいいのにって思いますよね。まったくです。だけど、とっても面白そうで、資料価値が高いと思うんですけど、やっぱりどっかB級なんです。内容にしたって、楽しい記憶を思い出させてもらえることが約束されていて楽しみではあるんですが、それ以上でないことも分かってるんです。
オリンピック並みに眠らせちゃったのは、そんなところに原因があるわけです。
この間、身近にいる生意気な高校三年生に話したんですが、「来年の4月30日で平成が終わるね。もうすぐ君たちも前の時代の人になるね。君たちが昭和生まれを前の時代の人として扱ったように、時期に君たちも前の時代の人として扱われるんだよ」って教えてあげたらショックを受けてました。昭和人を前の時代の人として扱った罪悪感を、今さらながらに感得できた様子でした。
そんな時期ですから、かえって今こそ、『昭和40年代ファン手帳』 を取り上げてみてもいいんじゃないでしょうか。いつかこの平成年間を、この本のようにして取り上げる日が、必ずやって来るんですから。
著者の泉麻人さんは、この本を書くにあたって新聞縮刷版や昭和史の本、ニュースビデオなどを見て、その年のを象徴する題材を探していったようです。記述は目次にあるように編年体にまとめてあります。新聞のテレビ欄なんか見たら面白いでしょうね。
ずいぶん前にこのブログでも紹介した『昭和のテレビ欄』という本があります。昭和のテレビ欄を順に並べてあるだけの本ですが、これがとっても面白かったんです。すでに、歴史資料の行きには行っています。・・・今、確認したところ、こちらも“時価”になってました。それも、もとね頼も上がってしまってました。
この『昭和40年代ファン手帳』も、そのうち元値を超えることになるかもしれませんね。


「短か日の きゃぷりきとれば すぎちょびれ すぎ書きすらの はっぱふみふみ」です。
「いんじゃな~い」です。
「ゲバゲバッピー」です。
「恥ずかしながら帰ってまいりました」なんです。
私は秩父の生まれで、生まれた年は昭和35年です。泉麻人さんは東京の生まれで、昭和31年のお生まれ。31年生まれの泉さんが脱脂粉乳を飲んでたのは小学校2年生までなのに、35年生まれの私が小学校で脱脂粉乳を飲んでいた記憶があるのです。おそらく小学校の真ん中辺まで。
これは地域差なのでしょう。東京で姿を消したボンネットバスに、私はずいぶんあとまで乗ってました。荒川村立荒川中学や大滝村立大滝中学に対外試合に行くときも、まだボンネットバスでした。
新しい映画が秩父で掛かるのは、すでに名画座扱いで、最初から二本立てだったりしました。・・・全部が全部じゃないかもしれませんけど。
そんな時差があって、なかには泉さんとの4年の生まれの差が埋まることもあるんですね。でも、やはり全体としては、この4年の差は大きいです。
特に昭和40年から昭和44年の5年間は、5歳から9歳です。正直、あまりよく覚えていません。同世代であるにもかかわらず、この微妙なずれは、手が届きそうでとどかない、高まってきて逝けそうで逝けないもどかしさが付きまといます。やっぱりピッタリくるのは、その少し前の生まれの方と、過ぎても33年生まれくらいまでの人じゃないでしょうか。
ただ、確実に5歳から9歳の私は、おそらく人生の中で最も濃厚な5年間を、その時期過ごしていたのです。この本を読んでいて、いったい脳内のどんな引き出しの中にしまい込まれていたのかというような記憶がよみがえるのです。
たとえば、“台湾ぼうず”です。私、知ってます。おはなはんを演じていた樫山文枝を姉に欲しいと思ってました。
それなりに、楽しく読みました。あとは、“時価”が上がるまで、またしばらく眠ってもらいましょう。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
眠らせている間に、“時価”の本になってしまいました。2014年の本ですから、4年間ほど眠ってもらったんですね。その間に、“時価”です。やむを得ないと言えばやむを得ないわけですが、もう少し何とか待ってもらうわけには行かなかったんでしょうか。もう遠く過ぎ去った過去の話、足の速い、イワシやサバとは違って、決して悪くなったりしないんですから。むしろ、時間が過ぎるほどにうまみ成分が凝縮してくるんじゃないでしょうか。
そんな言い訳しているくらいなら、4年も眠らせないで読めばいいのにって思いますよね。まったくです。だけど、とっても面白そうで、資料価値が高いと思うんですけど、やっぱりどっかB級なんです。内容にしたって、楽しい記憶を思い出させてもらえることが約束されていて楽しみではあるんですが、それ以上でないことも分かってるんです。
オリンピック並みに眠らせちゃったのは、そんなところに原因があるわけです。
この間、身近にいる生意気な高校三年生に話したんですが、「来年の4月30日で平成が終わるね。もうすぐ君たちも前の時代の人になるね。君たちが昭和生まれを前の時代の人として扱ったように、時期に君たちも前の時代の人として扱われるんだよ」って教えてあげたらショックを受けてました。昭和人を前の時代の人として扱った罪悪感を、今さらながらに感得できた様子でした。
そんな時期ですから、かえって今こそ、『昭和40年代ファン手帳』 を取り上げてみてもいいんじゃないでしょうか。いつかこの平成年間を、この本のようにして取り上げる日が、必ずやって来るんですから。
著者の泉麻人さんは、この本を書くにあたって新聞縮刷版や昭和史の本、ニュースビデオなどを見て、その年のを象徴する題材を探していったようです。記述は目次にあるように編年体にまとめてあります。新聞のテレビ欄なんか見たら面白いでしょうね。
ずいぶん前にこのブログでも紹介した『昭和のテレビ欄』という本があります。昭和のテレビ欄を順に並べてあるだけの本ですが、これがとっても面白かったんです。すでに、歴史資料の行きには行っています。・・・今、確認したところ、こちらも“時価”になってました。それも、もとね頼も上がってしまってました。
この『昭和40年代ファン手帳』も、そのうち元値を超えることになるかもしれませんね。
『昭和40年代ファン手帳』 泉麻人 中央公論新社 ¥ 時価 高度経済成長まっただ中の昭和40年代、日本人の生活が大きく変わった |
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「短か日の きゃぷりきとれば すぎちょびれ すぎ書きすらの はっぱふみふみ」です。
「いんじゃな~い」です。
「ゲバゲバッピー」です。
「恥ずかしながら帰ってまいりました」なんです。
私は秩父の生まれで、生まれた年は昭和35年です。泉麻人さんは東京の生まれで、昭和31年のお生まれ。31年生まれの泉さんが脱脂粉乳を飲んでたのは小学校2年生までなのに、35年生まれの私が小学校で脱脂粉乳を飲んでいた記憶があるのです。おそらく小学校の真ん中辺まで。
これは地域差なのでしょう。東京で姿を消したボンネットバスに、私はずいぶんあとまで乗ってました。荒川村立荒川中学や大滝村立大滝中学に対外試合に行くときも、まだボンネットバスでした。
新しい映画が秩父で掛かるのは、すでに名画座扱いで、最初から二本立てだったりしました。・・・全部が全部じゃないかもしれませんけど。
そんな時差があって、なかには泉さんとの4年の生まれの差が埋まることもあるんですね。でも、やはり全体としては、この4年の差は大きいです。
特に昭和40年から昭和44年の5年間は、5歳から9歳です。正直、あまりよく覚えていません。同世代であるにもかかわらず、この微妙なずれは、手が届きそうでとどかない、高まってきて逝けそうで逝けないもどかしさが付きまといます。やっぱりピッタリくるのは、その少し前の生まれの方と、過ぎても33年生まれくらいまでの人じゃないでしょうか。
ただ、確実に5歳から9歳の私は、おそらく人生の中で最も濃厚な5年間を、その時期過ごしていたのです。この本を読んでいて、いったい脳内のどんな引き出しの中にしまい込まれていたのかというような記憶がよみがえるのです。
たとえば、“台湾ぼうず”です。私、知ってます。おはなはんを演じていた樫山文枝を姉に欲しいと思ってました。
それなりに、楽しく読みました。あとは、“時価”が上がるまで、またしばらく眠ってもらいましょう。


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