『神奈備』 馳星周
先日読んだ、笹本稜平さんの『未踏峰』は、「再生の物語」だと、生意気なことをブログに書きました。基本的には、この『神奈備』もそうですね。
《【神奈備】神の棲まう山》
という解説を入れてこの物語は始まります。そのとおり、神奈備とは、神が宿る依り代を擁する場所ですね。御嶽山に神が宿るなら、御嶽山そのものが神奈備ですね。
神奈備としての御嶽山は、文字通り、古くからの信仰の山。信仰する者にとっては、死後の安住の山。死後の霊魂の憩う場所のようです。
その神の山、御嶽が噴火したのは2014年9月27日でした。折から秋の登山シーズンで、噴火警戒レベルも低い状態での噴火だったため、周辺には多くの登山者がいて、結局、58人の方が亡くなった。多くの方の死因が噴石にあたったことだったそうですね。大小さまざまな噴石が、雨のように降ったそうです。ただし、時速200~300kmで降ってくる、当たれば間違いなく命を落とす雨なんてありませんけどね。
やはり、著者の馳星周さんがこの物語の着想を得たのは、御嶽山に噴火だったんでしょう。
馳星周さんが初めて書いた山岳小説だそうです。間違えてました。ちょっと前に読んだ『蒼き山稜』の方が最初なんかと思ってました。まあ、どちらにしても、これだけの方が山岳小説に足を踏み入れてくれたことは、とにかくよかったですね。
この本の中でも、神に近づこうとする潤と、彼を探し出そうとする孝を対照的に、時間を追って順に描き出す書き方に、なんか鬼気迫るものを感じました。
これまでは、ミステリー? あるいは、サスペンスですか? いずれにせよ、もっともっと鬼気迫る物語を書いてらしたんでしょう。『蒼き山稜』も怖かったしね。


一方の主人公、芹沢淳は、すでに10代にして自分の人生に絶望している少年で、実際、その人生は悲惨を極めています。彼は、自分の生まれた意味、生きる価値を神に問いに、御嶽に登るのです。
もう一方の主人公、松本孝は御嶽の強力を生業にしている、すでに40代の男です。その仕事に誇りを抱いていた時期もあるが、やがて彼にとって強力はただの生業になってしまいました。
さらに、御嶽の噴火がとどめになりました。ボランティアで参加した救助で確信した。「神なんかおるかい」
その神に、今、芹沢潤は自分の生まれた意味、生きる価値を問いただそうと、風雨をついて御嶽に登っていきます。松本孝は、その芹沢潤を連れ戻しに、二つ玉低気圧の中を御嶽の頂上に向かうのです。
潤は、神に問うことなしに、もう一時も生きていけない状況にありました。だけど、孝も、ある意味では生きていなかったんだろうと思うんです。だから、潤の生い立ちを知った孝は、順を救い出すことによって、その向こうに自分の生き直す機会を見出したんだと思うんです。
だとすれば、それは間違いなく、御嶽が与えたものだったでしょう。
潤が神と出会えると信じている、夜明けが近づいていきます。
あれ? 『神奈備』と『蒼き山稜』の間に『神の涙』っていうのがありますね。これも、もしかしたら山岳ものかな?・・・さっそく・・・。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
《【神奈備】神の棲まう山》
という解説を入れてこの物語は始まります。そのとおり、神奈備とは、神が宿る依り代を擁する場所ですね。御嶽山に神が宿るなら、御嶽山そのものが神奈備ですね。
神奈備としての御嶽山は、文字通り、古くからの信仰の山。信仰する者にとっては、死後の安住の山。死後の霊魂の憩う場所のようです。
その神の山、御嶽が噴火したのは2014年9月27日でした。折から秋の登山シーズンで、噴火警戒レベルも低い状態での噴火だったため、周辺には多くの登山者がいて、結局、58人の方が亡くなった。多くの方の死因が噴石にあたったことだったそうですね。大小さまざまな噴石が、雨のように降ったそうです。ただし、時速200~300kmで降ってくる、当たれば間違いなく命を落とす雨なんてありませんけどね。
やはり、著者の馳星周さんがこの物語の着想を得たのは、御嶽山に噴火だったんでしょう。
馳星周さんが初めて書いた山岳小説だそうです。間違えてました。ちょっと前に読んだ『蒼き山稜』の方が最初なんかと思ってました。まあ、どちらにしても、これだけの方が山岳小説に足を踏み入れてくれたことは、とにかくよかったですね。
この本の中でも、神に近づこうとする潤と、彼を探し出そうとする孝を対照的に、時間を追って順に描き出す書き方に、なんか鬼気迫るものを感じました。
これまでは、ミステリー? あるいは、サスペンスですか? いずれにせよ、もっともっと鬼気迫る物語を書いてらしたんでしょう。『蒼き山稜』も怖かったしね。
『神奈備』 馳星周 集英社 ¥ 1,728 「神様、どうしてぼくは生まれてきたんですか?」問いたい。山に棲まう神に |
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一方の主人公、芹沢淳は、すでに10代にして自分の人生に絶望している少年で、実際、その人生は悲惨を極めています。彼は、自分の生まれた意味、生きる価値を神に問いに、御嶽に登るのです。
もう一方の主人公、松本孝は御嶽の強力を生業にしている、すでに40代の男です。その仕事に誇りを抱いていた時期もあるが、やがて彼にとって強力はただの生業になってしまいました。
さらに、御嶽の噴火がとどめになりました。ボランティアで参加した救助で確信した。「神なんかおるかい」
あの噴火で五十八人もの人が死んだ。九割は即死だ。一瞬にして命を奪われたのだ。 神さまがいる?ふざけるな。そんな無慈悲な神がどこにいる。お前たちはどのつらさげて神の存在を説くんだ。遺族に向かって御嶽は神さまだ、その神さまが訳あってあんたたちの家族を殺したんだと言えるのか。 |
その神に、今、芹沢潤は自分の生まれた意味、生きる価値を問いただそうと、風雨をついて御嶽に登っていきます。松本孝は、その芹沢潤を連れ戻しに、二つ玉低気圧の中を御嶽の頂上に向かうのです。
潤は、神に問うことなしに、もう一時も生きていけない状況にありました。だけど、孝も、ある意味では生きていなかったんだろうと思うんです。だから、潤の生い立ちを知った孝は、順を救い出すことによって、その向こうに自分の生き直す機会を見出したんだと思うんです。
だとすれば、それは間違いなく、御嶽が与えたものだったでしょう。
潤が神と出会えると信じている、夜明けが近づいていきます。
あれ? 『神奈備』と『蒼き山稜』の間に『神の涙』っていうのがありますね。これも、もしかしたら山岳ものかな?・・・さっそく・・・。


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