見殺し『信長はなぜ葬られたのか』 安部龍太郎
私の“織田信長”は、『国盗り物語』によって構築されたものなんです。つまり、司馬遼太郎さんによって。
面白かったな~。
小学校のころに学校の図書室にあった伝記モノを読み漁ったのが歴史好きの始まりだったでしょうか。そうですね。中学校までの間は、読書対象は学校の図書館にある本と、家においてある本でした。国盗り物語は、家においてあった本でした。中学生のころだと思うんですが、大河ドラマでやってましたよね。おそらくその時に、父か祖父あたりが読んだものだと思うんですが、私も大河ドラマを見ていて、その途中で読んじゃいました。
その中では、よく覚えているわけではありませんが、信長の非情な部分に次第に絶望してことに及ぶということだったでしょうか。
安国寺恵瓊が言ったという《高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候》という言葉のように、なんとなくそんな結末が将来に待ち受けているかのような予感は、実際に広く共通したものとしてあったわけです。
そしてそれは、ただ単なる予感ではなく、背景にうごめく力を察知していたからこその予感だったんでしょうね。その“察知”があったか、あるいはなかったかで、大きな違いになりますね。
この本の著者の安部龍太郎さんは、早くからそれを察知して、先駆けて信長を描いていたんだそうです。なにしろ、“うごめく力”の張本人、近衛前久を主人公にして書いていたっていうんですから。それが今から20年ほど前のことだっていうんですから、ずいぶん前ですね。
さらに、その方向性のまま、『信長燃ゆ』を書いたんだそうです。新解釈を打ち出したにもかかわらず、評価もそれほど高くなかったそうです。
・・・読んでません。読んだとしても、おそらく頭の中に出来上がっている信長像が邪魔をして、楽しく読めたかどうか。


私のような、歴史が好きとは言ってもただの素人に過ぎない者にしてみれば、今と異なる時代を理解するということは、一苦労なり二苦労なりが必要なところです。そうは言っても古文書が読めるわけでもなし、どこにどんな資料が保存されているかアプローチすることもままならないわけですから、その時代について、いろいろな人が書いた本を読ませてもらうしかないわけです。
たとえばこの本は、安倍竜太郎さんという作家さんが書いたものですが、それなりの立派な**十年来の研究成果ですよね。もちろんこういう本ばかりじゃなくて、物語も読ませてもらいます。物語は強いですよね。面白おかしく頭に入ってきますからね。
ただ、それが空想歴史活劇であるならば、面白おかしく読んで終わりです。そのあたり、司馬遼太郎さんの本は格別です。小説とは言っても歴史を正面から取り上げて、地理、歴史、社会といった司馬遼太郎さんの総合的な知識と見識をもとに、その時代を読者の前に再現してくれます。
それはまるで、鳥瞰図を見ているかのように、立体的にその場所を描きあげ、さらにそれを拡大して、その場所に人物を躍動させてくれます。読後には、たしかにそうであるに違いないと読者に思わせてしまう魔力のようなものが感じられるのです。
そのようにして、私の頭の中には『国盗り物語』の世界が刷り込まれてしまっているわけです。信長の死の知らせを受けた秀吉は、一瞬自分の生涯の恩人の死を受け入れられず思考を停止させ、次の瞬間頭を抱えて泣きわめくのです。その傍らに、「今こそ」とばかりに黒田官兵衛が・・・。
その秀吉が知っていたなんて、知っていた信長を見殺しにしたなんて・・・。
古くからの司馬小説ファンは自分の生涯の恩人の死に思考を停止させ、次の瞬間・・・

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
面白かったな~。
小学校のころに学校の図書室にあった伝記モノを読み漁ったのが歴史好きの始まりだったでしょうか。そうですね。中学校までの間は、読書対象は学校の図書館にある本と、家においてある本でした。国盗り物語は、家においてあった本でした。中学生のころだと思うんですが、大河ドラマでやってましたよね。おそらくその時に、父か祖父あたりが読んだものだと思うんですが、私も大河ドラマを見ていて、その途中で読んじゃいました。
その中では、よく覚えているわけではありませんが、信長の非情な部分に次第に絶望してことに及ぶということだったでしょうか。
安国寺恵瓊が言ったという《高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候》という言葉のように、なんとなくそんな結末が将来に待ち受けているかのような予感は、実際に広く共通したものとしてあったわけです。
そしてそれは、ただ単なる予感ではなく、背景にうごめく力を察知していたからこその予感だったんでしょうね。その“察知”があったか、あるいはなかったかで、大きな違いになりますね。
この本の著者の安部龍太郎さんは、早くからそれを察知して、先駆けて信長を描いていたんだそうです。なにしろ、“うごめく力”の張本人、近衛前久を主人公にして書いていたっていうんですから。それが今から20年ほど前のことだっていうんですから、ずいぶん前ですね。
さらに、その方向性のまま、『信長燃ゆ』を書いたんだそうです。新解釈を打ち出したにもかかわらず、評価もそれほど高くなかったそうです。
・・・読んでません。読んだとしても、おそらく頭の中に出来上がっている信長像が邪魔をして、楽しく読めたかどうか。
『信長はなぜ葬られたのか』 安部龍太郎 幻冬舎 ¥ 886 江戸の鎖国史観から見ていてはわからない、世界史における本能寺の変の真実 |
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私のような、歴史が好きとは言ってもただの素人に過ぎない者にしてみれば、今と異なる時代を理解するということは、一苦労なり二苦労なりが必要なところです。そうは言っても古文書が読めるわけでもなし、どこにどんな資料が保存されているかアプローチすることもままならないわけですから、その時代について、いろいろな人が書いた本を読ませてもらうしかないわけです。
たとえばこの本は、安倍竜太郎さんという作家さんが書いたものですが、それなりの立派な**十年来の研究成果ですよね。もちろんこういう本ばかりじゃなくて、物語も読ませてもらいます。物語は強いですよね。面白おかしく頭に入ってきますからね。
ただ、それが空想歴史活劇であるならば、面白おかしく読んで終わりです。そのあたり、司馬遼太郎さんの本は格別です。小説とは言っても歴史を正面から取り上げて、地理、歴史、社会といった司馬遼太郎さんの総合的な知識と見識をもとに、その時代を読者の前に再現してくれます。
それはまるで、鳥瞰図を見ているかのように、立体的にその場所を描きあげ、さらにそれを拡大して、その場所に人物を躍動させてくれます。読後には、たしかにそうであるに違いないと読者に思わせてしまう魔力のようなものが感じられるのです。
そのようにして、私の頭の中には『国盗り物語』の世界が刷り込まれてしまっているわけです。信長の死の知らせを受けた秀吉は、一瞬自分の生涯の恩人の死を受け入れられず思考を停止させ、次の瞬間頭を抱えて泣きわめくのです。その傍らに、「今こそ」とばかりに黒田官兵衛が・・・。
その秀吉が知っていたなんて、知っていた信長を見殺しにしたなんて・・・。
古くからの司馬小説ファンは自分の生涯の恩人の死に思考を停止させ、次の瞬間・・・


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