平成『昭和歌謡は終わらない』 近藤勝重
著者の近藤勝重さんは、ラジオの番組で、なかにし礼さんとご一緒したことがあるんだそうです。以下は、その時にきいた、なかにし礼さんの昭和観です。
私が昭和の終わりを迎えたのは29歳でした。わけの分からない青年の時期の終盤にあって、ようやく先が見え始めたばかり。まだ、何らかの時代を生きたなんて到底言えない段階です。ファイトを失っている場合じゃありません。もしも、あと30年昭和が続けば、私もそう思えたかもしれません。
私は、仕事がら、高校くらいの若い人たちのの付き合いが多いのですが、先日、多くの若い人たちと話をする機会がありました。その時、言ってやったんです。
「来年の4月30日で平成が終わる。その次の日から元号が変わって、君たちは前の時代の人になるんだよ」さらに加えて、「君たちは昭和世代の私たちを、“前の時代の人”扱いしてきたろう。今度は君たちが、さらに新しい時代の人たちから“前の時代の人”扱いされるんだよ」って。
あてずっぽうに言ってみたのですが、彼らには本当に、昭和生まれを“前の時代の人”扱いしていた自覚があったらしく、この一言に、割と大きな動揺が広がりました。まあ、20歳前に“前の時代の人”になる彼らが、多少哀れではありますが。

29歳で昭和が終わったというのも、よく考えてみれば厄介な話です。
そう思いませんか。なにしろ、人間形成は昭和の時代ですから、どっぷり昭和人なんです。その昭和人がまるまる30年間、平成という社会を背負って立ってきたわけです。
・・・誤解しないでくださいね。私が背負ってたわけじゃありませんよ。私と同世代の人たちは、そうして頑張ってきたということです。平成の30年間を背負ってきたのは、1950年代、60年代あたりの人たちなんですね。団塊からそれ以降って感じなんですが、言わば、戦後昭和歌謡世代ですね。
私が世代を代表できるなんて自負は到底ありませんが、自分で背負っておきながら、私はこの時代が気に食わないわけです。なんせ、私たちを育てたのは戦前、戦中を知っている人たちですからね。団塊はそれに反発して見せたりしてますが、彼らだって実は、戦前・戦中を知ってる人たちに飯を食わせてもらって大人になったわけです。
背負ってきておいて、こういう言い方もなんなんですが、やはり気に食いません。私はこの荷物を降ろします。ちょっと早いんですが、降ろすことに決めました。
人のせいにするわけではありません。ただ、私は平成になっても、自分のやるべきことをやるだけだと思てました。なにも変わらないと・・・。
歌っていうのは、一番変化が現われやすい分野やなんですね。流行りの曲を、まったく聞く気にならなくなりました。すっかり別物です。気に入りませんでした。じきに、いろいろなものに違和感を覚えるようになりました。
でも、間違ってるのは私の方なんです。それははっきりしています。昭和の腹で平成を支えていこうというのは、他からすれば、迷惑な話に違いありませんからね。だから、自分が下りるしかないんですね。
・・・なかにし礼さんは、その時51歳か。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
昭和に生まれて、昭和という時代にひろわれ、また昭和という時代の発展とともに僕の人生も花開いた。そして昭和の終わりに芸能界を代表する石原裕次郎、美空ひばりという大スターも終焉を迎え、芸能も変わりました。昭和という時代への怒り、口惜しさ、愛情というか恋心もあったが、平成に移ってからはファイトもなくなりました。 ・・・ 昭和の時代に復興がある。衰退して発展した。そこにドラマ性があるのですが、平成はなにもない。慕うべき影も薄い。 本書p54 |
私が昭和の終わりを迎えたのは29歳でした。わけの分からない青年の時期の終盤にあって、ようやく先が見え始めたばかり。まだ、何らかの時代を生きたなんて到底言えない段階です。ファイトを失っている場合じゃありません。もしも、あと30年昭和が続けば、私もそう思えたかもしれません。
私は、仕事がら、高校くらいの若い人たちのの付き合いが多いのですが、先日、多くの若い人たちと話をする機会がありました。その時、言ってやったんです。
「来年の4月30日で平成が終わる。その次の日から元号が変わって、君たちは前の時代の人になるんだよ」さらに加えて、「君たちは昭和世代の私たちを、“前の時代の人”扱いしてきたろう。今度は君たちが、さらに新しい時代の人たちから“前の時代の人”扱いされるんだよ」って。
あてずっぽうに言ってみたのですが、彼らには本当に、昭和生まれを“前の時代の人”扱いしていた自覚があったらしく、この一言に、割と大きな動揺が広がりました。まあ、20歳前に“前の時代の人”になる彼らが、多少哀れではありますが。
『昭和歌謡は終わらない』 近藤勝重 幻冬舎 ¥ 1,296 昭和歌謡ブームの理由とは?社会派ジャーナリストが改めて問う「時代と歌」 |
29歳で昭和が終わったというのも、よく考えてみれば厄介な話です。
そう思いませんか。なにしろ、人間形成は昭和の時代ですから、どっぷり昭和人なんです。その昭和人がまるまる30年間、平成という社会を背負って立ってきたわけです。
・・・誤解しないでくださいね。私が背負ってたわけじゃありませんよ。私と同世代の人たちは、そうして頑張ってきたということです。平成の30年間を背負ってきたのは、1950年代、60年代あたりの人たちなんですね。団塊からそれ以降って感じなんですが、言わば、戦後昭和歌謡世代ですね。
私が世代を代表できるなんて自負は到底ありませんが、自分で背負っておきながら、私はこの時代が気に食わないわけです。なんせ、私たちを育てたのは戦前、戦中を知っている人たちですからね。団塊はそれに反発して見せたりしてますが、彼らだって実は、戦前・戦中を知ってる人たちに飯を食わせてもらって大人になったわけです。
背負ってきておいて、こういう言い方もなんなんですが、やはり気に食いません。私はこの荷物を降ろします。ちょっと早いんですが、降ろすことに決めました。
人のせいにするわけではありません。ただ、私は平成になっても、自分のやるべきことをやるだけだと思てました。なにも変わらないと・・・。
歌っていうのは、一番変化が現われやすい分野やなんですね。流行りの曲を、まったく聞く気にならなくなりました。すっかり別物です。気に入りませんでした。じきに、いろいろなものに違和感を覚えるようになりました。
でも、間違ってるのは私の方なんです。それははっきりしています。昭和の腹で平成を支えていこうというのは、他からすれば、迷惑な話に違いありませんからね。だから、自分が下りるしかないんですね。
・・・なかにし礼さんは、その時51歳か。


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