昭和のスピード『昭和歌謡は終わらない』 近藤勝重
《チャラララー ダダダダーン チャラララー ダダダダーン チャラララー ダダダダーン》と繰り返される間に、石川さゆりがシモテから現れます。
ウエノ/ハツノ/ヤコウ/レッシャ/オリタ/トキカラ アオモリー/エキハユー/キノナカー
いい感じですね。この間、上野・青森間700キロをひとっ飛びですね。
阿久悠作詞、三木たかし作曲のこの曲ですが、三木たかしさんの作った曲に、あとから阿久悠さんが詞をつけたんだそうです。曲の制約のある中ではめ込んだ言葉がこれって言うんですから、やはりすごい才能ですね。
女はもう、決して振り向かないという決意を抱いて連絡船に乗り込むんですね。理不尽とも思える、その運命を受け入れたかのように。
《ダダダダーン ダダダダーン》は、運命の《ダダダダーン》なんですね。
中学校の時の音楽の先生が、女性の先生でね。立派な体格の先生だったんで、今思えば、声楽の方だったんですね。その先生が歌謡曲の嫌いな先生で、そうはっきりおっしゃるんですよ。聞いてるこっちは、困っちゃってね。
だけど、音楽ですもんね。私たちは楽しんでいただけなんです。ただ楽しんでいた歌謡曲が、この歳になってから驚かされるほど奥の深さを持っていたわけです。・・・そうなんですよ、先生。
決して嫌いな先生じゃなかったんです。小学校の時の音楽の先生は男の先生で、静かに授業に臨めない私はよく怒られました。「お前が見たいのは東京タワーか? それともエッフェル塔か?」って聞くんですよ。「と、東京タワー」って答えると、両耳を持たれて、持ち上げられるんです。そして、「東京タワーは見えたか?」って。「み、み、見えました」
中学校の女の先生は、私に東京タワーを見せようとかはしませんでしたからね。決して嫌いじゃなかったので、歌謡曲が嫌いと言われると、困っちゃったんです。
歌った石川さゆりさんの話が紹介されてました。石川さゆりさんが、連絡船を利用されていた方から言われた話なんだそうです。「海峡を渡る3時間40分だか50分の間に、いろんな自分の思いを整理するんですよ」って。
青函連絡船の事故があって、台風のせいだったんですよね。今でもあるじゃないですか。日本海に抜けた台風がどんどんスピードを上げて津軽海峡に向かっていくの。
それがあって、富士山頂の観測ドームが作られて、台風の予報も格段進歩したんですよね。更に青函トンネルが作られて、連絡船はその役割を終えました。
青函トンネルが開通して、早くなって、安全になったわけです。だけど、本土から北海道に渡る思いを整理するには、ちょっと早すぎるかもしれませんね。
なんでもかんでも、どんどん早くなりますよね。昭和は、そこに至る過程に、十分な意味が、物語があったんですけど、その意味とか物語とかって、あれは本当になくてもいいもんなんでしょうか。なんかの歪は生まれないんでしょうか。
早さってことで言えば、“汽車”っていうのも、よく歌謡曲に歌われました。久世光彦さんは、「汽車にあって電車にないのは《未練》である。このまま行こうか、戻ろうか。発車のベルが鳴っても、まだ間に合うのが汽車だった」とおっしゃったそうです。
♫あれは三年前 止める あなた 駅に残し 動き始めた汽車に 一人飛び乗った♫ って、電車じゃ出来ませんよね。汽車は、まだ間に合いそうな気がするんですよね。動き始めてからでも、なにかできるような。
私が中学の時に、兄が大学入学で東北に行ってしまうのを見送りに行ったんです。走り始めても、十分追いかけられるんですよね。ホームの端まで十分並走できるんです。そこまで行っても、まだ声は届く。汽車が見えなくなって、はじめて本当の喪失感が訪れるんですね。
やはり、そこに至る過程って、それだけで十分な物語になる時間なんですね。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
ウエノ/ハツノ/ヤコウ/レッシャ/オリタ/トキカラ アオモリー/エキハユー/キノナカー
いい感じですね。この間、上野・青森間700キロをひとっ飛びですね。
阿久悠作詞、三木たかし作曲のこの曲ですが、三木たかしさんの作った曲に、あとから阿久悠さんが詞をつけたんだそうです。曲の制約のある中ではめ込んだ言葉がこれって言うんですから、やはりすごい才能ですね。
女はもう、決して振り向かないという決意を抱いて連絡船に乗り込むんですね。理不尽とも思える、その運命を受け入れたかのように。
《ダダダダーン ダダダダーン》は、運命の《ダダダダーン》なんですね。
中学校の時の音楽の先生が、女性の先生でね。立派な体格の先生だったんで、今思えば、声楽の方だったんですね。その先生が歌謡曲の嫌いな先生で、そうはっきりおっしゃるんですよ。聞いてるこっちは、困っちゃってね。
だけど、音楽ですもんね。私たちは楽しんでいただけなんです。ただ楽しんでいた歌謡曲が、この歳になってから驚かされるほど奥の深さを持っていたわけです。・・・そうなんですよ、先生。
決して嫌いな先生じゃなかったんです。小学校の時の音楽の先生は男の先生で、静かに授業に臨めない私はよく怒られました。「お前が見たいのは東京タワーか? それともエッフェル塔か?」って聞くんですよ。「と、東京タワー」って答えると、両耳を持たれて、持ち上げられるんです。そして、「東京タワーは見えたか?」って。「み、み、見えました」
中学校の女の先生は、私に東京タワーを見せようとかはしませんでしたからね。決して嫌いじゃなかったので、歌謡曲が嫌いと言われると、困っちゃったんです。
『昭和歌謡は終わらない』 近藤勝重 幻冬舎 ¥ 1,296 昭和歌謡ブームの理由とは?社会派ジャーナリストが改めて問う「時代と歌」 |
歌った石川さゆりさんの話が紹介されてました。石川さゆりさんが、連絡船を利用されていた方から言われた話なんだそうです。「海峡を渡る3時間40分だか50分の間に、いろんな自分の思いを整理するんですよ」って。
青函連絡船の事故があって、台風のせいだったんですよね。今でもあるじゃないですか。日本海に抜けた台風がどんどんスピードを上げて津軽海峡に向かっていくの。
それがあって、富士山頂の観測ドームが作られて、台風の予報も格段進歩したんですよね。更に青函トンネルが作られて、連絡船はその役割を終えました。
青函トンネルが開通して、早くなって、安全になったわけです。だけど、本土から北海道に渡る思いを整理するには、ちょっと早すぎるかもしれませんね。
なんでもかんでも、どんどん早くなりますよね。昭和は、そこに至る過程に、十分な意味が、物語があったんですけど、その意味とか物語とかって、あれは本当になくてもいいもんなんでしょうか。なんかの歪は生まれないんでしょうか。
早さってことで言えば、“汽車”っていうのも、よく歌謡曲に歌われました。久世光彦さんは、「汽車にあって電車にないのは《未練》である。このまま行こうか、戻ろうか。発車のベルが鳴っても、まだ間に合うのが汽車だった」とおっしゃったそうです。
♫あれは三年前 止める あなた 駅に残し 動き始めた汽車に 一人飛び乗った♫ って、電車じゃ出来ませんよね。汽車は、まだ間に合いそうな気がするんですよね。動き始めてからでも、なにかできるような。
私が中学の時に、兄が大学入学で東北に行ってしまうのを見送りに行ったんです。走り始めても、十分追いかけられるんですよね。ホームの端まで十分並走できるんです。そこまで行っても、まだ声は届く。汽車が見えなくなって、はじめて本当の喪失感が訪れるんですね。
やはり、そこに至る過程って、それだけで十分な物語になる時間なんですね。


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