『神の涙』 馳星周
私は、ちょくちょく人を裁きたくなるんです。
私の車の前に割り込んできた運転手。道に広がって歩いて交通の邪魔をする高校生。図書館ではしゃぐ中学生。傍若無人なな“中国”人。平気で路上にごみを捨てていく若者。一市民として抗議の電話をかけまくる老人。
その人たちに思い知らせてやりたい。懲らしめてやりたい。そして、「なぜ、こんなひどい罰を受けなければならないのか」と訴えられたら、言ってやりたい。
「私が大地を据えたとき、お前はどこにいたのか。」
カー❢ たまんないですね。
アイヌの世界においては、やはり火も神の恵み。アぺフチカムイという火の神の恵みだそうです。神に感謝して、火の神の恵みを分けてもらわなきゃいけないんですね。
アイヌではなくても、やはり私も火を恐れます。神秘を感じます。火はすべてそうです。原子力というのも火ですね。物語とは違いますが、その神秘を畏れ敬って、その恵みを分けてもらうことは可能だと思います。
ただ、東京電力にはそれができなかった。そういう事なんだと思います。その能力を持たないものが、その火を持つことは危険だと思います。
だけど、東京電力のおこした原子力発電によって、私たちは快適な生活を手に入れていました。福島の原子力発電所の電気を使って快適な毎日を送っていました。そんな私たちは、なんの責任もないんでしょうか。
難しいですね。
そういう難しいものと向き合った小説です。


この小説は、東日本大震災とそれに伴って発生した原発事故、その後の復興への取り組み、日本人の意識のあり方を、真摯な目で見つめ直そうという著者の思いから、書かれた小説のように感じました。
ここのところ、笹本稜平さんの『未踏峰』、馳星周さんの『神奈備』と、おそらく同じ方向性をもっていると思われる山の本を読みました。それは、二つの作品が、「再生の物語」ということで共通しているということです。そして、山にはその力があると訴えている。私は、そう感じました。
この小説でも山は出てきますが、それは一般的な登山の対象としての山ではありません。アイヌにとってのカムイとしての、“大自然”という意味においての山です。そして、やはり、山を通して「再生の物語」が語られていきます。
自分の酒癖の悪さで家族を失ったアイヌの老人。そして、老人のもとを逃げ出した娘の忘れ形見の孫娘。二人とも、自分を見失ってもがいているんです。そんなところに、同じく老人のもとを逃げ出した妹の孫にあたる青年が現れるんです。青年も、またもがいていました。しかし、青年の登場は、老人にも、孫娘にも新しい風を吹かせることになるんです。その風が、固く凝り固まった二人の心を、少しずつ開かせていくんです。
しかし、青年は、さらに大きな問題を抱えていたんですね。
とても、考えさせられるお話でした。
電気のことに関してもう一つ。
近くの山の上に理系の大学があります。鉄腕アトムを看板に使ってる大学です。その大学が、地元から安く払い下げられた山をけずって、太陽光発電のパネルを並べています。
アトムの看板ですよ。それが山を切り崩して太陽光発電のパネル並べてるんですよ。
なんか、おかしかないかな?

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
私の車の前に割り込んできた運転手。道に広がって歩いて交通の邪魔をする高校生。図書館ではしゃぐ中学生。傍若無人なな“中国”人。平気で路上にごみを捨てていく若者。一市民として抗議の電話をかけまくる老人。
その人たちに思い知らせてやりたい。懲らしめてやりたい。そして、「なぜ、こんなひどい罰を受けなければならないのか」と訴えられたら、言ってやりたい。
「私が大地を据えたとき、お前はどこにいたのか。」
カー❢ たまんないですね。
NHK NEWS WEB 2018/11/01 詳報 東電刑事裁判「原発事故の真相は?」 https://www3.nhk.or.jp/news/special/toudensaiban/ (抜粋) 福島第一原発の事故をめぐり東京電力の旧経営陣3人が強制的に起訴された裁判で、当時、経営の最高責任者だった勝俣恒久元会長への被告人質問が行われ、事故が起きる2年前に巨大な津波が押し寄せることを認識できたとする指摘について、勝俣元会長は「安全対策に疑義をはさむ状況ではなかった」と述べて、津波の到達は予測できなかったと改めて主張しました。 (詳しくは上記からNHK NEWS WEBへ) |
アイヌの世界においては、やはり火も神の恵み。アぺフチカムイという火の神の恵みだそうです。神に感謝して、火の神の恵みを分けてもらわなきゃいけないんですね。
アイヌではなくても、やはり私も火を恐れます。神秘を感じます。火はすべてそうです。原子力というのも火ですね。物語とは違いますが、その神秘を畏れ敬って、その恵みを分けてもらうことは可能だと思います。
ただ、東京電力にはそれができなかった。そういう事なんだと思います。その能力を持たないものが、その火を持つことは危険だと思います。
だけど、東京電力のおこした原子力発電によって、私たちは快適な生活を手に入れていました。福島の原子力発電所の電気を使って快適な毎日を送っていました。そんな私たちは、なんの責任もないんでしょうか。
難しいですね。
そういう難しいものと向き合った小説です。
『神の涙』 馳星周 実業之日本社 ¥ 1,728 感動の自然サスペンス!! 怒り、殺人、逃亡の果て、男はアイヌの地でなにを見たのか |
この小説は、東日本大震災とそれに伴って発生した原発事故、その後の復興への取り組み、日本人の意識のあり方を、真摯な目で見つめ直そうという著者の思いから、書かれた小説のように感じました。
ここのところ、笹本稜平さんの『未踏峰』、馳星周さんの『神奈備』と、おそらく同じ方向性をもっていると思われる山の本を読みました。それは、二つの作品が、「再生の物語」ということで共通しているということです。そして、山にはその力があると訴えている。私は、そう感じました。
この小説でも山は出てきますが、それは一般的な登山の対象としての山ではありません。アイヌにとってのカムイとしての、“大自然”という意味においての山です。そして、やはり、山を通して「再生の物語」が語られていきます。
自分の酒癖の悪さで家族を失ったアイヌの老人。そして、老人のもとを逃げ出した娘の忘れ形見の孫娘。二人とも、自分を見失ってもがいているんです。そんなところに、同じく老人のもとを逃げ出した妹の孫にあたる青年が現れるんです。青年も、またもがいていました。しかし、青年の登場は、老人にも、孫娘にも新しい風を吹かせることになるんです。その風が、固く凝り固まった二人の心を、少しずつ開かせていくんです。
しかし、青年は、さらに大きな問題を抱えていたんですね。
とても、考えさせられるお話でした。
電気のことに関してもう一つ。
近くの山の上に理系の大学があります。鉄腕アトムを看板に使ってる大学です。その大学が、地元から安く払い下げられた山をけずって、太陽光発電のパネルを並べています。
アトムの看板ですよ。それが山を切り崩して太陽光発電のパネル並べてるんですよ。
なんか、おかしかないかな?


- 関連記事