『山釣り』 山本素石
山本素石という人は、渓流釣りの体験をもとに、数々の随筆や小説を書いた人なんだそうです。知りませんでした。
大正八年のお生まれということですから、戦争ど真ん中世代ですね。《Ⅰ 山中漂泊》の最初に出てくる“飢餓のすなどり”という随筆も、そのまま、「国破れて山河在り」で始まります。釣りだって、食糧確保の手段の一つとして始まるわけですから、時代を象徴していますね。
解説の熊谷栄三郎さんは、「釣り師と言うべきか、作家と言うべきか」と迷っていたということです。と言うのも、“釣り”に関する話を書いて売れた作家もいるけど、その人たちは間違いなく作家だったんだそうです。でも、山本素石は違うというんですね。
まず、“釣り”だったんだそうです。だけど、“釣り”でめしを食っていたわけでもないわけです。それが解説者を悩ませているらしいのですが、やはり、・・・どうでもいいことでしょうね。ただ、解説者は、ようやく一つの結論にたどり着いています。
山本素石は、釣り師であって、その釣り師が文筆家の立場をも得たものだというのです。そして、釣りは文学化しうるということを、釣り師の側から決定的に証明した人物であると、そんな結論にたどり着いています。
その釣りも、川、渓流釣りです。ですから、山釣りなんですね。
末期がんで最期を迎えることになったそうです。昭和六十三年の八月だったそうです。病院のベッドの上で、朦朧とした顔で、もつれる舌で、「ここから川が見えるか。川を見たいんや」とうわごとを言ったそうです。解説者は、それを《見事で壮烈な辞世》だと言います。


山本素石さんが亡くなったのは、昭和六十三年だそうですから、私は二十八歳です。私の父は山本素石さんよりも七歳下ですが、ほぼ、親たちの世代ですね。
二十八年間の“昭和”を共有しているわけですが、親たちの世代の“昭和”と、子たちの“昭和”は、実は全く別物なんですよね。それは決して、戦争を経験したというだけのことではなくて、明治に入ってから始まった世の中の変化が、昭和の後半に入るあたり、つまりは高度経済成長のあたりで、とりあえずの完成をしているということなんだと思います。
それ以前の、日本の山や、日本の川は、姿を変えたんでしょう。そんな中を、山本素石さんは山に、川に踏み入って行ったわけです。山本素石さんは、変わる前の山や川を知っていて、変わっていく様子も見ているんですね。
圧倒的に面白い。民俗学的なものととしても読めるけど、そんなこと以前に、変わってしまう前の日本の奥山の豊かさに圧倒されます。
山の神さまは、Hな話がお好みなんですってよ。それも、わざわざ大きな声でHな話をすると、山の神さまがお喜びになって、山仕事が事故なく、順調にはかどるんだそうです。夜の口笛はダメ、天狗を呼んでしまうそうです。謡曲もダメ、蛇や魔性に取り付かれてしまうそうです。
Hな話はOK、神さまは喜ぶんです。年長者はさかんに夜這いの武勇伝や後家落とし、女郎買いなどの経験談を、微に入り細を穿って語るんだそうです。
いいですねぇ。私もYちゃんのところに夜這いに行きたかったなぁー。
山奥の孤立した山村は、どこにでもあったんですね。そういうところは、今、ほとんどが廃村になっているでしょう。そんな村々が、この本にはたくさん登場します。いずれも、読んでいて切ないです。
私も山を歩きますが、山本素石さんのような歩きかたじゃありません。でも、こんな風に、自分の歩いた後を文の残すこともできるんですね。だったら、もう少し真剣に、山や川に向き合って歩いてみないといけませんね。こういう分野があるということを教えられ、そんな歩き方をしてみたくなるような、そんな本でした。読んで良かったです。
そう言えば、先日行った、埼玉県の名栗の奥に白岩と言う集落跡があって、1950年頃には23軒が暮らしていたものの、1985年には誰もいない廃村になったそうです。鳥首峠から下山するときにそこを通りました。やっぱり寂しい風情でしたね。
そこを通り過ぎで、舗装道路に出てしばらく下っていくと、自転車を止めて地図を開いている二人の若い人がいたんですね。これより先には自転車で向かうようなところはありませんから、「どこに行くの?」って聞いたんです。そしたら、「この先の廃村になった集落跡に行くんです」って言うんです。趣味の悪い若者だなって思いました。
「今そこを通ってきたんだけど、その中の一つの廃家屋の中で、なんかごそごそ動き回っているような音が聞こえたよ。熊ぐらいならいいけど、なんか変なものかもしれないよ」って、言っておきました。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
大正八年のお生まれということですから、戦争ど真ん中世代ですね。《Ⅰ 山中漂泊》の最初に出てくる“飢餓のすなどり”という随筆も、そのまま、「国破れて山河在り」で始まります。釣りだって、食糧確保の手段の一つとして始まるわけですから、時代を象徴していますね。
解説の熊谷栄三郎さんは、「釣り師と言うべきか、作家と言うべきか」と迷っていたということです。と言うのも、“釣り”に関する話を書いて売れた作家もいるけど、その人たちは間違いなく作家だったんだそうです。でも、山本素石は違うというんですね。
まず、“釣り”だったんだそうです。だけど、“釣り”でめしを食っていたわけでもないわけです。それが解説者を悩ませているらしいのですが、やはり、・・・どうでもいいことでしょうね。ただ、解説者は、ようやく一つの結論にたどり着いています。
山本素石は、釣り師であって、その釣り師が文筆家の立場をも得たものだというのです。そして、釣りは文学化しうるということを、釣り師の側から決定的に証明した人物であると、そんな結論にたどり着いています。
その釣りも、川、渓流釣りです。ですから、山釣りなんですね。
末期がんで最期を迎えることになったそうです。昭和六十三年の八月だったそうです。病院のベッドの上で、朦朧とした顔で、もつれる舌で、「ここから川が見えるか。川を見たいんや」とうわごとを言ったそうです。解説者は、それを《見事で壮烈な辞世》だと言います。
『山釣り』 山本素石 ヤマケイ文庫 ¥ 961 野人の風貌をもって、渓流釣り文学に挑んだ、山本素石。その最高傑作集を復刻 |
|
山本素石さんが亡くなったのは、昭和六十三年だそうですから、私は二十八歳です。私の父は山本素石さんよりも七歳下ですが、ほぼ、親たちの世代ですね。
二十八年間の“昭和”を共有しているわけですが、親たちの世代の“昭和”と、子たちの“昭和”は、実は全く別物なんですよね。それは決して、戦争を経験したというだけのことではなくて、明治に入ってから始まった世の中の変化が、昭和の後半に入るあたり、つまりは高度経済成長のあたりで、とりあえずの完成をしているということなんだと思います。
それ以前の、日本の山や、日本の川は、姿を変えたんでしょう。そんな中を、山本素石さんは山に、川に踏み入って行ったわけです。山本素石さんは、変わる前の山や川を知っていて、変わっていく様子も見ているんですね。
圧倒的に面白い。民俗学的なものととしても読めるけど、そんなこと以前に、変わってしまう前の日本の奥山の豊かさに圧倒されます。
山の神さまは、Hな話がお好みなんですってよ。それも、わざわざ大きな声でHな話をすると、山の神さまがお喜びになって、山仕事が事故なく、順調にはかどるんだそうです。夜の口笛はダメ、天狗を呼んでしまうそうです。謡曲もダメ、蛇や魔性に取り付かれてしまうそうです。
Hな話はOK、神さまは喜ぶんです。年長者はさかんに夜這いの武勇伝や後家落とし、女郎買いなどの経験談を、微に入り細を穿って語るんだそうです。
いいですねぇ。私もYちゃんのところに夜這いに行きたかったなぁー。
山奥の孤立した山村は、どこにでもあったんですね。そういうところは、今、ほとんどが廃村になっているでしょう。そんな村々が、この本にはたくさん登場します。いずれも、読んでいて切ないです。
私も山を歩きますが、山本素石さんのような歩きかたじゃありません。でも、こんな風に、自分の歩いた後を文の残すこともできるんですね。だったら、もう少し真剣に、山や川に向き合って歩いてみないといけませんね。こういう分野があるということを教えられ、そんな歩き方をしてみたくなるような、そんな本でした。読んで良かったです。
そう言えば、先日行った、埼玉県の名栗の奥に白岩と言う集落跡があって、1950年頃には23軒が暮らしていたものの、1985年には誰もいない廃村になったそうです。鳥首峠から下山するときにそこを通りました。やっぱり寂しい風情でしたね。
そこを通り過ぎで、舗装道路に出てしばらく下っていくと、自転車を止めて地図を開いている二人の若い人がいたんですね。これより先には自転車で向かうようなところはありませんから、「どこに行くの?」って聞いたんです。そしたら、「この先の廃村になった集落跡に行くんです」って言うんです。趣味の悪い若者だなって思いました。
「今そこを通ってきたんだけど、その中の一つの廃家屋の中で、なんかごそごそ動き回っているような音が聞こえたよ。熊ぐらいならいいけど、なんか変なものかもしれないよ」って、言っておきました。


- 関連記事