『がれきの中で本当にあったこと』
今年の3月で、もう8年目になるんですね。
当時、私は埼玉県東松山市の、昼から勤務の職場にいました。その職場の仕事は、肌にあってました。できれば、定年までその職場で努めたいと思っていました。残念ながら、その職場が閉鎖されることになって、震災の年の翌年、違う職場に変わりました。新しい職場は朝から勤務の職場で、残念ながら、その前ほど肌には合っていませんでした。
・・・失礼。話をもとに戻します。その昼から勤務の職場で、2時からの打ち合わせを終えて、その後に始まる本格的な仕事の前に一服しておこうと、喫煙所に向かおうとしたときでした。
部屋から出ようとしたところで、突然の大揺れでした。私たちは人相手の仕事をしています。最近は責任を問われるとか、慎重を期すとかで、何かと書類が増えています。一週間もすれば、膨大な量になります。人相手の仕事に適正のある人っていうのは、逆に整理整頓にむとんちゃくな人が多くて、けっこう机の上がひどかったりするんです。それが突然の揺れで、机の上から床にまで雪崩を起こして、足の踏み場がない状態になりました。
テレビや各種機材は壁に固定してありましたし、倉庫の棚は大荒れでしたが、運良くそこに人はいませんでした。あとから窓や壁の破損が見つかりましたが、揺れによる異常はそんなもんでした。
1995年の阪神淡路大震災後、全国の多くの施設で行われた耐震工事のおかげです。本当に助かりました。1995年の悲しみの記憶により、多くの命が生かされたことと思えば、ありがたい限りです。
その揺れの最中、喫煙所に向かおうとしていた私は、部屋の出口あたりにいて、出口の柱で体を支えていました。揺れの中で思ったのは、「関東大震災か」ということでした。あとから聞くと、多くの人がそう思っていたようです。
地震の震源地や揺れ、また交通に関する情報を確認しました。交通機関はかなり広範囲にストップした状態が続きそうです。夕方からの仕事も、まず開店休業は間違いのないところです。自分の家の心配もあります。部屋に散乱した、書類や倉庫の荷物の片付けをはじめました。その時、誰かの声でテレビを見ました。
飛び込んできたのは、けっこう大きな橋が津波に飲み込まれていく映像でした。解説もアナウンスもなにもなく、ただ、映像だけが流れていました。


その後の原発事故と合わせて、日本は蜂の巣をつついたような、とんでもない状態になりましたね。人相手の仕事と言いましたが、中でも若い人たちを相手にしているんですが、その人たちに話した記憶があります。
みんな、何か自分にできることがないかと思っていたんですね。中には、実際にボランティアに出かけた人たちも少なくありません。
そういうことも大事だけど、これはがれきが片付けばなんとかなるとか、仮設住宅ができればって期間の話じゃない。もちろん、今この時のボランティアも必要だけど、それだけで終わる話じゃない。きっと、君たちが仕事をするようになって、税金を払うようになって、長い期間をかけて、東北を支えていくことになるんだ。自分がいきいきと働ける仕事を見つけて、一生懸命働くことが、とても大切なことになると思うよ。だから今、自分のことをしっかりやることも、とても大切だと思うよ。
今考えれば、口幅ったいことを言ったようなんですが、若い人たちは、ごく当たり前に自分のことをしっかりやることが、被災地の人を支える一番大きな力になるっていうことが、なかなか結び使いじゃないですか。
この本は、あのがれきの中で起こった、47の本当の話が集められています。いずれも、生き残った人が、前を向いて生きていくための話です。出版されたのは2011年の5月です。今から考えれば、“あの直後”と言ってもいいでしょう。年末に、本屋をゆっくり見て回って購入しました。読んでみると、とっても新鮮でした。
この本に出てくる子供も大人も、みんな+8歳なんですね。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
当時、私は埼玉県東松山市の、昼から勤務の職場にいました。その職場の仕事は、肌にあってました。できれば、定年までその職場で努めたいと思っていました。残念ながら、その職場が閉鎖されることになって、震災の年の翌年、違う職場に変わりました。新しい職場は朝から勤務の職場で、残念ながら、その前ほど肌には合っていませんでした。
・・・失礼。話をもとに戻します。その昼から勤務の職場で、2時からの打ち合わせを終えて、その後に始まる本格的な仕事の前に一服しておこうと、喫煙所に向かおうとしたときでした。
部屋から出ようとしたところで、突然の大揺れでした。私たちは人相手の仕事をしています。最近は責任を問われるとか、慎重を期すとかで、何かと書類が増えています。一週間もすれば、膨大な量になります。人相手の仕事に適正のある人っていうのは、逆に整理整頓にむとんちゃくな人が多くて、けっこう机の上がひどかったりするんです。それが突然の揺れで、机の上から床にまで雪崩を起こして、足の踏み場がない状態になりました。
テレビや各種機材は壁に固定してありましたし、倉庫の棚は大荒れでしたが、運良くそこに人はいませんでした。あとから窓や壁の破損が見つかりましたが、揺れによる異常はそんなもんでした。
1995年の阪神淡路大震災後、全国の多くの施設で行われた耐震工事のおかげです。本当に助かりました。1995年の悲しみの記憶により、多くの命が生かされたことと思えば、ありがたい限りです。
その揺れの最中、喫煙所に向かおうとしていた私は、部屋の出口あたりにいて、出口の柱で体を支えていました。揺れの中で思ったのは、「関東大震災か」ということでした。あとから聞くと、多くの人がそう思っていたようです。
地震の震源地や揺れ、また交通に関する情報を確認しました。交通機関はかなり広範囲にストップした状態が続きそうです。夕方からの仕事も、まず開店休業は間違いのないところです。自分の家の心配もあります。部屋に散乱した、書類や倉庫の荷物の片付けをはじめました。その時、誰かの声でテレビを見ました。
飛び込んできたのは、けっこう大きな橋が津波に飲み込まれていく映像でした。解説もアナウンスもなにもなく、ただ、映像だけが流れていました。
産経新聞社 ¥ 1,296 「死」とは何か、「勇気」とは何か、「生きる意味」とは何か。未曾有の災害が突き付けたも |
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その後の原発事故と合わせて、日本は蜂の巣をつついたような、とんでもない状態になりましたね。人相手の仕事と言いましたが、中でも若い人たちを相手にしているんですが、その人たちに話した記憶があります。
みんな、何か自分にできることがないかと思っていたんですね。中には、実際にボランティアに出かけた人たちも少なくありません。
そういうことも大事だけど、これはがれきが片付けばなんとかなるとか、仮設住宅ができればって期間の話じゃない。もちろん、今この時のボランティアも必要だけど、それだけで終わる話じゃない。きっと、君たちが仕事をするようになって、税金を払うようになって、長い期間をかけて、東北を支えていくことになるんだ。自分がいきいきと働ける仕事を見つけて、一生懸命働くことが、とても大切なことになると思うよ。だから今、自分のことをしっかりやることも、とても大切だと思うよ。
今考えれば、口幅ったいことを言ったようなんですが、若い人たちは、ごく当たり前に自分のことをしっかりやることが、被災地の人を支える一番大きな力になるっていうことが、なかなか結び使いじゃないですか。
この本は、あのがれきの中で起こった、47の本当の話が集められています。いずれも、生き残った人が、前を向いて生きていくための話です。出版されたのは2011年の5月です。今から考えれば、“あの直後”と言ってもいいでしょう。年末に、本屋をゆっくり見て回って購入しました。読んでみると、とっても新鮮でした。
この本に出てくる子供も大人も、みんな+8歳なんですね。


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