『草すべり』 南木佳士
なんとなく、それでもそれなりに、本を読む方です。
それは子どもの頃からで、なんだか年がら年中、本を読んでました。面白い本が好きです。筋立てのいいお話も面白いと思うし、世の中の仕組みを教えてくれる本も面白いです。・・・そのほかの分野でも、なんでもいいんです。興味深いことならば・・・。
それでも、すべての本をおもしろいと思うわけじゃないから、面白いと思った本を書いた人は覚えておいて、また読みます。
だから、人じゃなくて、本が面白いことが先です。
相変わらず、分かりにくいことを書きますが、要は、私、この本の作者の南木佳士さんて方を知りませんでした。どのくらい知らなかったかというと、南木佳士を“なぎけいし”と読むことも知らないくらいに知りませんでした。
本の題名の『草すべり』から、浅間山の“草すべり”かなって、山のことを書いたお話かなって検討をつけて、読んでみただけのことです。んで、面白かったです。
つまり、私が言いたのは、たまたま題名に惹かれて読んだこの本が面白くて、本当に幸運だったということなんです。
著者の南木佳士さんは、もともとは本当にお医者さんなんですね。“本当に”というのは、この本の主人公も、お医者さんだからです。末期のがん患者を担当する病棟の責任者で、数多くの患者の最後に立ち合い、患者を看取り続けるストレスを背負いきれなくなって、うつ病を発病した医師。その人が主人公なんです。
そんな方が山に登るようになって、だんだんと自分を取り戻していく。・・・やっぱり人間再生の物語ですね。
四つの短編は、すべて、上記のような設定で書かれています。最後の《穂高山》だけは、その名のとおり、穂高が舞台ですが、他の三つの短編には、いずれも浅間山が関わってきます。佐久市に住んでおられるということなので、実際、その生活のなかには浅間山が入り込んでいるんでしょう。


南木佳士さんの他の本は読んでいません。この本も、もともとは2008年に出版されているものの文庫版です。文庫版も2011年には出ていました。なんとも時節を外した読者で申し訳ないんですけど、とてもすんなり入ってこられちゃってるんです。
もしかしたら、山に関わる部分では、著者の方の本当の体験が書かれているんじゃないかって思えるんです。主人公が山を始めるのは“五十歳になろうとしていた夏の終わり”です。紅葉見物に車で出かけた峠から、ついつい軽い気持ちで山道に踏み入って行くところから始まるんです。
ちょっとした冒険に気を良くして、アウトドア専門店の扉をくぐることになります。
そして、主人公にこんなことを語らせるのです。
「ただ、負け惜しみではなく、山歩きは人生の復路に入ってから始めた方が、より多くの五感の刺激をからだに受け入れられる気がする。若いからだは余剰の熱を外に向けて発散するばかりだが、老い始めると、代謝の低下したからだは外部からのエネルギーを積極的に取り込むようになる。鳥の声、針葉樹林の香り、濃すぎる青空、鮮やかな緑の苔、沢の水音、木漏れ陽。遥かな尾瀬、遠い空」
私は早くから登山を始めました。高校ん時です。ずっと、ガツガツ山に登りました。30代の真ん中に入る頃に、足の不調で山をやめて、56歳で手術をして、そのあと再開しました。再開してからは、昔のようなガツガツした山登りは、もうできなくなってました。山登り自体、ようやく身体が適応してきているかなってところです。
でも、やっぱり、“鳥の声、針葉樹林の香り、濃すぎる青空、鮮やかな緑の苔、沢の水音、木漏れ陽。遥かな尾瀬、遠い空”なんです。今は、山を歩けることが楽しくて仕方がないんです。この感覚は、実際に“人生の復路”で山歩きを始めた方でないと、分からないんじゃないかと思います。
そして、かつて自分の周りにいたたくさんの人があちらの世界に旅立ったなかで、その後の自分の人生を、山を歩くゆっくりした歩調で歩いていこうとしている様子も、なんだかひしひし伝わってくるんです。
この人、他にも山に関わる話を書いているかな。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
それは子どもの頃からで、なんだか年がら年中、本を読んでました。面白い本が好きです。筋立てのいいお話も面白いと思うし、世の中の仕組みを教えてくれる本も面白いです。・・・そのほかの分野でも、なんでもいいんです。興味深いことならば・・・。
それでも、すべての本をおもしろいと思うわけじゃないから、面白いと思った本を書いた人は覚えておいて、また読みます。
だから、人じゃなくて、本が面白いことが先です。
相変わらず、分かりにくいことを書きますが、要は、私、この本の作者の南木佳士さんて方を知りませんでした。どのくらい知らなかったかというと、南木佳士を“なぎけいし”と読むことも知らないくらいに知りませんでした。
本の題名の『草すべり』から、浅間山の“草すべり”かなって、山のことを書いたお話かなって検討をつけて、読んでみただけのことです。んで、面白かったです。
つまり、私が言いたのは、たまたま題名に惹かれて読んだこの本が面白くて、本当に幸運だったということなんです。
著者の南木佳士さんは、もともとは本当にお医者さんなんですね。“本当に”というのは、この本の主人公も、お医者さんだからです。末期のがん患者を担当する病棟の責任者で、数多くの患者の最後に立ち合い、患者を看取り続けるストレスを背負いきれなくなって、うつ病を発病した医師。その人が主人公なんです。
そんな方が山に登るようになって、だんだんと自分を取り戻していく。・・・やっぱり人間再生の物語ですね。
四つの短編は、すべて、上記のような設定で書かれています。最後の《穂高山》だけは、その名のとおり、穂高が舞台ですが、他の三つの短編には、いずれも浅間山が関わってきます。佐久市に住んでおられるということなので、実際、その生活のなかには浅間山が入り込んでいるんでしょう。
『草すべり』 南木佳士 文春文庫 ¥ 617 過ぎゆく時のいとおしさが稜線を渡る風とともに身の内を吹きぬける山歩き短篇集 |
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南木佳士さんの他の本は読んでいません。この本も、もともとは2008年に出版されているものの文庫版です。文庫版も2011年には出ていました。なんとも時節を外した読者で申し訳ないんですけど、とてもすんなり入ってこられちゃってるんです。
もしかしたら、山に関わる部分では、著者の方の本当の体験が書かれているんじゃないかって思えるんです。主人公が山を始めるのは“五十歳になろうとしていた夏の終わり”です。紅葉見物に車で出かけた峠から、ついつい軽い気持ちで山道に踏み入って行くところから始まるんです。
ちょっとした冒険に気を良くして、アウトドア専門店の扉をくぐることになります。
そして、主人公にこんなことを語らせるのです。
「ただ、負け惜しみではなく、山歩きは人生の復路に入ってから始めた方が、より多くの五感の刺激をからだに受け入れられる気がする。若いからだは余剰の熱を外に向けて発散するばかりだが、老い始めると、代謝の低下したからだは外部からのエネルギーを積極的に取り込むようになる。鳥の声、針葉樹林の香り、濃すぎる青空、鮮やかな緑の苔、沢の水音、木漏れ陽。遥かな尾瀬、遠い空」
私は早くから登山を始めました。高校ん時です。ずっと、ガツガツ山に登りました。30代の真ん中に入る頃に、足の不調で山をやめて、56歳で手術をして、そのあと再開しました。再開してからは、昔のようなガツガツした山登りは、もうできなくなってました。山登り自体、ようやく身体が適応してきているかなってところです。
でも、やっぱり、“鳥の声、針葉樹林の香り、濃すぎる青空、鮮やかな緑の苔、沢の水音、木漏れ陽。遥かな尾瀬、遠い空”なんです。今は、山を歩けることが楽しくて仕方がないんです。この感覚は、実際に“人生の復路”で山歩きを始めた方でないと、分からないんじゃないかと思います。
そして、かつて自分の周りにいたたくさんの人があちらの世界に旅立ったなかで、その後の自分の人生を、山を歩くゆっくりした歩調で歩いていこうとしている様子も、なんだかひしひし伝わってくるんです。
この人、他にも山に関わる話を書いているかな。


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