『サイゴン陥落の日に』 中山夏樹
私のような頓珍漢な男の場合、大抵の大きな出来事は、ちょっとした勘違いから始まります。
いえいえ、大きな出来事だけじゃありませんね。何かにつけ、そう、いいことも悪いこともですね。勘違いから始まっているような気がします。
本を選ぶときだってそうです。いつも書いていることですが、私、誰が書いた本であるかってのは、多くの場合二の次、三の次です。何度も読んでいるうちに、「この人の本なら」っていう人は、もちろん何人もいますけどね。
でも、この『サイゴン陥落の日に』を書いた中山夏樹さんのことは、存じ上げませんでした。だいたい、買ったときには、中山夏樹さんという方が書いた本だという意識さえ、・・・書いた人の名前を見た記憶もありません。『サイゴン陥落の日に』という題名だけで、もともと可燃性の高い好奇心に火がついてしまいました。
私は、“サイゴン陥落の日に”、そこで何が起こったのかを、知りたくなっちゃったんです。
お恥ずかしいばかりです。この本は、1952年に長野県諏訪市という、あちこちの山に行きやすい羨ましい場所に生まれた著者の中山夏樹さんという方が、なんと大手製薬会社を2013年に退職したあとに執筆活動を開始し、数々の文学賞を受賞した短編を集めた、はじめての単行本だそうです。
この本に、“サイゴン陥落の日に”、そこで何が起こったのかを求めた私は、そんなことに好奇心の保脳を燃やしてしまった私は、そう、もはや頓珍漢としか言いようがないのです。
購入したのは、しばらく前です。家に持ち帰ってページをめくって、・・・すぐに短編小説集と気がついて、パタンと閉じました。あたりに連れ合いの気配がないことを確認し、この間違いをなかったことにしました。この間、ほかの何冊かの本を読み、自分勝手にほとぼりが冷めたことにして、この本を読んでみました。
不用意にかき立てられた可燃性の高い好奇心の炎は、恥ずかしさの冷水で一瞬にして沈下されたものの、なにせ一度は燃え上がったわけです。くすぶりまでが完全に冷え切らないと、この本と向かい合うわけには行きません。
ああ、またしても言い訳がましいですね。書いていて、恥に恥を重ねるようで、自分が嫌になってきました。


「大抵のことは、ちょっとした勘違いから始まる」って最初に書きました。それは、ちょっとした勘違いで私はこの本を手にしたわけですが、そのことから、私の中で、何かが変わろうとしていることを、私自身が感じているからです。
仕事のことになりますが、私の周りにいる人たちは、皆さん定年の年齢まで勤め上げ、その先も、再雇用制度を利用して、長く働き続ける人が大半なんです。そんな中で、私は定年を前にして仕事から離れようとしています。もう、早く次のことが始めたくて、自制が効かないんです。
そんな時にこの本を読んだってことが、それも勘違いがきっかけで読んだってことが、タイミングが良かったというか、はたまた間が悪かったのかわかりませんが、背中をぐいっと押されたような気分なんです。
著者が、会社を定年後に執筆活動を始めたということをとってもそうなんですが、そんな状況が反映されて、収録されている短編は、いずれも“時の流れ”をテーマにして書かれている話なんです。
いずれも、結構、厳しい話です。
人生は、厳しいですよね。生きるのって、やっぱり辛いことも多いです。でも、どんな状況でも時間は進みます。時間が進むことで、状況は必ず変わっていきます。
私はその程度ですみましたけど、“厳しい”、“辛い”じゃ済まない、過酷な人生もあるし、残酷すぎる人生も、・・・でも、あれから長い時間が経過して、今になって、もし今、もう一度、前を向くことができるなら・・・。
人は、どこからでも前を向いて歩いていくことができるのかもしれませんね。
最近の私は、結構、夢と希望に満ちているんです。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
いえいえ、大きな出来事だけじゃありませんね。何かにつけ、そう、いいことも悪いこともですね。勘違いから始まっているような気がします。
本を選ぶときだってそうです。いつも書いていることですが、私、誰が書いた本であるかってのは、多くの場合二の次、三の次です。何度も読んでいるうちに、「この人の本なら」っていう人は、もちろん何人もいますけどね。
でも、この『サイゴン陥落の日に』を書いた中山夏樹さんのことは、存じ上げませんでした。だいたい、買ったときには、中山夏樹さんという方が書いた本だという意識さえ、・・・書いた人の名前を見た記憶もありません。『サイゴン陥落の日に』という題名だけで、もともと可燃性の高い好奇心に火がついてしまいました。
私は、“サイゴン陥落の日に”、そこで何が起こったのかを、知りたくなっちゃったんです。
お恥ずかしいばかりです。この本は、1952年に長野県諏訪市という、あちこちの山に行きやすい羨ましい場所に生まれた著者の中山夏樹さんという方が、なんと大手製薬会社を2013年に退職したあとに執筆活動を開始し、数々の文学賞を受賞した短編を集めた、はじめての単行本だそうです。
この本に、“サイゴン陥落の日に”、そこで何が起こったのかを求めた私は、そんなことに好奇心の保脳を燃やしてしまった私は、そう、もはや頓珍漢としか言いようがないのです。
購入したのは、しばらく前です。家に持ち帰ってページをめくって、・・・すぐに短編小説集と気がついて、パタンと閉じました。あたりに連れ合いの気配がないことを確認し、この間違いをなかったことにしました。この間、ほかの何冊かの本を読み、自分勝手にほとぼりが冷めたことにして、この本を読んでみました。
不用意にかき立てられた可燃性の高い好奇心の炎は、恥ずかしさの冷水で一瞬にして沈下されたものの、なにせ一度は燃え上がったわけです。くすぶりまでが完全に冷え切らないと、この本と向かい合うわけには行きません。
ああ、またしても言い訳がましいですね。書いていて、恥に恥を重ねるようで、自分が嫌になってきました。
『サイゴン陥落の日に』 中山夏樹 平凡社 ¥ 1,728 学生時代をともに謳歌した三人は、四十年後、約束の場所で再会を果たせるのか |
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「大抵のことは、ちょっとした勘違いから始まる」って最初に書きました。それは、ちょっとした勘違いで私はこの本を手にしたわけですが、そのことから、私の中で、何かが変わろうとしていることを、私自身が感じているからです。
仕事のことになりますが、私の周りにいる人たちは、皆さん定年の年齢まで勤め上げ、その先も、再雇用制度を利用して、長く働き続ける人が大半なんです。そんな中で、私は定年を前にして仕事から離れようとしています。もう、早く次のことが始めたくて、自制が効かないんです。
そんな時にこの本を読んだってことが、それも勘違いがきっかけで読んだってことが、タイミングが良かったというか、はたまた間が悪かったのかわかりませんが、背中をぐいっと押されたような気分なんです。
著者が、会社を定年後に執筆活動を始めたということをとってもそうなんですが、そんな状況が反映されて、収録されている短編は、いずれも“時の流れ”をテーマにして書かれている話なんです。
いずれも、結構、厳しい話です。
人生は、厳しいですよね。生きるのって、やっぱり辛いことも多いです。でも、どんな状況でも時間は進みます。時間が進むことで、状況は必ず変わっていきます。
私はその程度ですみましたけど、“厳しい”、“辛い”じゃ済まない、過酷な人生もあるし、残酷すぎる人生も、・・・でも、あれから長い時間が経過して、今になって、もし今、もう一度、前を向くことができるなら・・・。
人は、どこからでも前を向いて歩いていくことができるのかもしれませんね。
最近の私は、結構、夢と希望に満ちているんです。


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