帝国憲法『逆説の日本史24 明治躍進編』 井沢元彦
帝国憲法においては、天皇は、《宗教的概念をすべて超越した絶対的な存在》とされました。宗教的にも“絶対的な存在”じゃダメなんですよね。つまり、帝国憲法における天皇は、決して国家神道における神に祭り上げられたわけではないということです。
そうしなければならなかったのには、明らかな理由があります。日本が欧米諸国から不平等な条約を押し付けられたのは、欧米諸国が日本を、自分たちと対等の国家とは評価していなかったから、つまり、劣等国家と考えられていたからでね。
欧米諸国が対等と考えるのは、つまり自分たちと同じであるかどうかということは、彼らが“白人キリスト教国家”であるがゆえに、同様の時代、同様の思想、同様の社会変革を経験してきたということからくる安心感が前提になるんですね。
だから、一つのできごとに対して、たとえ国は違っても、同じように考えて行動するだろうという安心感です。それが前提となって国際関係が結ばれているわけで、お互いを対等と認め和えるわけですね。
そんな安心感を、欧米は日本に感じられないから、その保険として不平等な条約を押し付けることになったわけです。
よく分かります。今でも“中国”は、恣意的に外国人を突然捕まえることが良くあります。それに、幕末の武士たちは、辱められれば、腹を切るわけですから、欧米人に、その行動が理解できるはずもありません。領事裁判権は譲れないところだったでしょう。
たしかに猿まねではあるけれど、ビゴーは猿まねって言葉を知ってたんでしょうか。知らずに猿として描いたんだとしたら、ひどいですね。猿の惑星並みですね。



帝国憲法の制定に向けての動きも、まさにそういう一連の動きの中の一コマです。猿の惑星です。なにしろ、向こうにはキリスト教という2000年に及ぼうという体系があって、それは他宗教、他宗派との長きにわたる抗争の中で構築されたものです。さらに宗教改革を経て、新教にしろ、旧教にしろ、新たな時代に適合するだけの柔軟性まで備えました。
そんな精神的な基軸が、欧米にはあるわけです。それが統合の原理であって、同時に万人の平等を保障するものでもあったわけです。この本の中では、《平等化推進体》という言葉が使われています。
さて、日本には、キリスト教のゴッド、絶対神みたいのはいませんからね。それがないと、つまり《平等化推進体》がないと、欧米並みの、人々の平等を前提とした民主的国家は作れません。
そんな役割を、天皇は背負わされるんですね。幕末、江戸時代以降の朱子学の影響の中で、一君万民、草莽崛起の思想が湧きたつように登場し、明治維新を成し遂げました。朱子学による天皇の絶対化をそのまま推し進めて、つまり天皇という存在に《平等化推進体》としての役割を背負わせようとしたわけです。
しかし、宗教改革を経験した欧米のキリスト教は、新教にしろ、旧教にしろ、常に新しい時代の変化に適応できるような柔軟性を備えたわけです。この本の中での言葉なら、すでにキリスト教は“世俗化”したんです。
それをわきまえずに、ひたすら天皇の絶対化を進めれば、天皇はゴッドと力比べをしなければならなくなるわけです。そんな国を、欧米が対等と認めるはずはありません。
だから、帝国憲法時代の天皇は、「《宗教を越えた絶対的な存在》となって超越的に存在し、そのもとで国民が議会を形成し、国民には信教の自由もある」というものになったようです。
国の形がかわっちゃいました。井沢さんの言葉では《これまでまったく西洋型の憲法を持たなかった国が、しかも神仏混交という形でキリスト教以外の様々な宗教がまじりあった複合体を信仰していた国が、突然キリスト教を信仰する欧米諸国が確立した近代国家》に生まれ変わることになったわけです。
だからこそ、日本は急速に力をつけることができました。だけど、一つの物事は、それを作り上げた人の意図しなかった出来事をも引き起こすんですね。よくあることです。伊藤博文や井上毅といった、帝国憲法に関わった者たちがすべて世を去った後のことです。
日本の大崩壊です。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
そうしなければならなかったのには、明らかな理由があります。日本が欧米諸国から不平等な条約を押し付けられたのは、欧米諸国が日本を、自分たちと対等の国家とは評価していなかったから、つまり、劣等国家と考えられていたからでね。
欧米諸国が対等と考えるのは、つまり自分たちと同じであるかどうかということは、彼らが“白人キリスト教国家”であるがゆえに、同様の時代、同様の思想、同様の社会変革を経験してきたということからくる安心感が前提になるんですね。
だから、一つのできごとに対して、たとえ国は違っても、同じように考えて行動するだろうという安心感です。それが前提となって国際関係が結ばれているわけで、お互いを対等と認め和えるわけですね。
そんな安心感を、欧米は日本に感じられないから、その保険として不平等な条約を押し付けることになったわけです。
よく分かります。今でも“中国”は、恣意的に外国人を突然捕まえることが良くあります。それに、幕末の武士たちは、辱められれば、腹を切るわけですから、欧米人に、その行動が理解できるはずもありません。領事裁判権は譲れないところだったでしょう。
条約改正に乗り出した日本は、鹿鳴館の茶番劇のようなことまで演じながら、欧米が経験した時代、思想、社会に、日本が対応できることを証明し、安心感を与えようとしたわけです。そりゃ嗤われたでしょう。欧米人の受け止め方は、ビゴーの風刺画の通りだったでしょうね。 | ![]() |
『逆説の日本史24 明治躍進編』 井沢元彦 小学館 ¥ 1,674 日本はなぜ“眠れる獅子”に勝てたのか? |
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帝国憲法の制定に向けての動きも、まさにそういう一連の動きの中の一コマです。猿の惑星です。なにしろ、向こうにはキリスト教という2000年に及ぼうという体系があって、それは他宗教、他宗派との長きにわたる抗争の中で構築されたものです。さらに宗教改革を経て、新教にしろ、旧教にしろ、新たな時代に適合するだけの柔軟性まで備えました。
そんな精神的な基軸が、欧米にはあるわけです。それが統合の原理であって、同時に万人の平等を保障するものでもあったわけです。この本の中では、《平等化推進体》という言葉が使われています。
さて、日本には、キリスト教のゴッド、絶対神みたいのはいませんからね。それがないと、つまり《平等化推進体》がないと、欧米並みの、人々の平等を前提とした民主的国家は作れません。
そんな役割を、天皇は背負わされるんですね。幕末、江戸時代以降の朱子学の影響の中で、一君万民、草莽崛起の思想が湧きたつように登場し、明治維新を成し遂げました。朱子学による天皇の絶対化をそのまま推し進めて、つまり天皇という存在に《平等化推進体》としての役割を背負わせようとしたわけです。
しかし、宗教改革を経験した欧米のキリスト教は、新教にしろ、旧教にしろ、常に新しい時代の変化に適応できるような柔軟性を備えたわけです。この本の中での言葉なら、すでにキリスト教は“世俗化”したんです。
それをわきまえずに、ひたすら天皇の絶対化を進めれば、天皇はゴッドと力比べをしなければならなくなるわけです。そんな国を、欧米が対等と認めるはずはありません。
だから、帝国憲法時代の天皇は、「《宗教を越えた絶対的な存在》となって超越的に存在し、そのもとで国民が議会を形成し、国民には信教の自由もある」というものになったようです。
国の形がかわっちゃいました。井沢さんの言葉では《これまでまったく西洋型の憲法を持たなかった国が、しかも神仏混交という形でキリスト教以外の様々な宗教がまじりあった複合体を信仰していた国が、突然キリスト教を信仰する欧米諸国が確立した近代国家》に生まれ変わることになったわけです。
だからこそ、日本は急速に力をつけることができました。だけど、一つの物事は、それを作り上げた人の意図しなかった出来事をも引き起こすんですね。よくあることです。伊藤博文や井上毅といった、帝国憲法に関わった者たちがすべて世を去った後のことです。
日本の大崩壊です。


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