『日本史上最高の英雄 大久保利通』 倉山満
徳川慶喜という人物が、そこまでの怪物政治家であったという認識は、正直、なかった。
《慶喜は、朝廷も幕府も討幕派も、そして列強すらも振り回すことになる。一橋慶喜こそ幕末最後の五年間を翻弄した怪物政治家だった》と倉山満さんは言います。振り回されたのが、朝廷や討幕派だけでなく、列強も、さらには幕府も振り回したってところがみそみたいですね。
なんだかんだと言ったって、尊王攘夷思想の高まりは幕府の権威を低下させ、天皇こそが本来のこの国の統治者であることを明らかにしてしまいました。しかも、孝明天皇は、幕府による攘夷の実行を強く望まれているという状況の中での“政治的駆け引き”なわけです。
そこで周囲から“怪物”呼ばわりされる慶喜こそ、大久保利通が死闘を演じなければならない相手だったんですね。
八月十五日の政変で、幕府の蚊帳の外にしたまま、朝廷から過激派を一掃してしまいます。さらに、勝手に将軍後見職をおり、朝廷から禁裏御守衛総督を拝命して摂海防備指揮の任を受けています。これは朝廷から尊攘派を排除し、幕府を無力化して、海防指揮の立場から、攘夷を政争の具として権力を固めるようなことをしているんだそうです。
天狗党だって慶喜の影響を受けていただろう。だけど、政争の具としての上位にしか関心のない慶喜にしてみれば、水戸の暴徒は鎮圧の対象としか映らなかったようです。
そんな慶喜を、西郷隆盛は蛇蝎のように嫌い抜いたそうです。
すごいですね。大政奉還の件とか、辞官納地の件とか、たしかに慶喜はすごいですね。第二次長州征伐に負けた後の状況だって、明らかに幕府は負けているのに、慶喜の政権から引き出すことができたのは、“長州藩に対する寛大な措置”ですからね。
政治的な駆け引きでは、大久保利通は負け続けます。倒幕の密勅まで反故にされます。結局、倒幕の決め手は、西郷隆盛が江戸に仕掛けたテロと言うことになります。



大久保利通は、負け続けた徳慶喜との死闘によって、超一流の政治家へと成長を遂げていったんですね。倉山さんが面白い言い方をしています。
《徳川慶喜は、大久保利通よりすべての面において優れていた。しかし、一つだけ欠けていた。“未来への意思”である》
その“未来への意思”と西郷隆盛と言う存在が、大久保利通にはあった。二人は手に手を取って、あるいは背中合わせで守りあってことを進めてきたわけです。
その二人が征韓論争でたもとを分かち、互いの対象として激突します。
征韓論争は、大久保利通にとっては権力の奪回の戦いでした。相手は、激烈な敵愾心をむき出しにする江藤新平です。倉山さんは、《大久保からしたら、西郷さんなら黙って自分の自分のいうことを聞いてくれるという甘えがあったのかもしれない》と書いています。
でも、西郷隆盛には西郷隆盛で、押しつぶしてきた多くの思いと言うものがあったんでしょう。汚れ役を引き受けて、自分を信頼してくれたものも含んで、あまりにも多くの者を、歴史の闇に葬ってきたわけですから。そして最終局面での、江戸市中を争乱に陥れる工作を行っていたのも西郷さんです。
明治の代になってみれば、自分たちが命がけの本葬をしていた頃には小僧っこでしかなかったような連中が、我が世の春とばかりにやりたい放題。
お互いに引くに引きないという状況があったとしても、西郷さんは、もう終わりにしていいと、そう思ったんじゃないでしょうか。あとは、一蔵どんに任せればいいと・・・。
日本を、世界のだれにも媚びる必要のない強い国、文明国家にするという大久保利通の“未来への意思”は、あとは一蔵どん自身に任せればいいと・・・。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
《慶喜は、朝廷も幕府も討幕派も、そして列強すらも振り回すことになる。一橋慶喜こそ幕末最後の五年間を翻弄した怪物政治家だった》と倉山満さんは言います。振り回されたのが、朝廷や討幕派だけでなく、列強も、さらには幕府も振り回したってところがみそみたいですね。
なんだかんだと言ったって、尊王攘夷思想の高まりは幕府の権威を低下させ、天皇こそが本来のこの国の統治者であることを明らかにしてしまいました。しかも、孝明天皇は、幕府による攘夷の実行を強く望まれているという状況の中での“政治的駆け引き”なわけです。
そこで周囲から“怪物”呼ばわりされる慶喜こそ、大久保利通が死闘を演じなければならない相手だったんですね。
八月十五日の政変で、幕府の蚊帳の外にしたまま、朝廷から過激派を一掃してしまいます。さらに、勝手に将軍後見職をおり、朝廷から禁裏御守衛総督を拝命して摂海防備指揮の任を受けています。これは朝廷から尊攘派を排除し、幕府を無力化して、海防指揮の立場から、攘夷を政争の具として権力を固めるようなことをしているんだそうです。
天狗党だって慶喜の影響を受けていただろう。だけど、政争の具としての上位にしか関心のない慶喜にしてみれば、水戸の暴徒は鎮圧の対象としか映らなかったようです。
そんな慶喜を、西郷隆盛は蛇蝎のように嫌い抜いたそうです。
すごいですね。大政奉還の件とか、辞官納地の件とか、たしかに慶喜はすごいですね。第二次長州征伐に負けた後の状況だって、明らかに幕府は負けているのに、慶喜の政権から引き出すことができたのは、“長州藩に対する寛大な措置”ですからね。
政治的な駆け引きでは、大久保利通は負け続けます。倒幕の密勅まで反故にされます。結局、倒幕の決め手は、西郷隆盛が江戸に仕掛けたテロと言うことになります。
徳間書店 ¥ 1,350 西郷を殺してまで、守らねばならなかったものとは? 大久保の「未来への意思」 |
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大久保利通は、負け続けた徳慶喜との死闘によって、超一流の政治家へと成長を遂げていったんですね。倉山さんが面白い言い方をしています。
《徳川慶喜は、大久保利通よりすべての面において優れていた。しかし、一つだけ欠けていた。“未来への意思”である》
その“未来への意思”と西郷隆盛と言う存在が、大久保利通にはあった。二人は手に手を取って、あるいは背中合わせで守りあってことを進めてきたわけです。
その二人が征韓論争でたもとを分かち、互いの対象として激突します。
征韓論争は、大久保利通にとっては権力の奪回の戦いでした。相手は、激烈な敵愾心をむき出しにする江藤新平です。倉山さんは、《大久保からしたら、西郷さんなら黙って自分の自分のいうことを聞いてくれるという甘えがあったのかもしれない》と書いています。
でも、西郷隆盛には西郷隆盛で、押しつぶしてきた多くの思いと言うものがあったんでしょう。汚れ役を引き受けて、自分を信頼してくれたものも含んで、あまりにも多くの者を、歴史の闇に葬ってきたわけですから。そして最終局面での、江戸市中を争乱に陥れる工作を行っていたのも西郷さんです。
明治の代になってみれば、自分たちが命がけの本葬をしていた頃には小僧っこでしかなかったような連中が、我が世の春とばかりにやりたい放題。
お互いに引くに引きないという状況があったとしても、西郷さんは、もう終わりにしていいと、そう思ったんじゃないでしょうか。あとは、一蔵どんに任せればいいと・・・。
日本を、世界のだれにも媚びる必要のない強い国、文明国家にするという大久保利通の“未来への意思”は、あとは一蔵どん自身に任せればいいと・・・。


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