めんどくせぇことばかり 『磐井の乱の謎』 関裕二
FC2ブログ

『磐井の乱の謎』 関裕二

縄文の海人たちはさかんに玄界灘を渡り、朝鮮半島南部との間の交流を支えていました。朝鮮半島南部から北九州は、同一文化圏と呼んでも過言でないほど、親密な関係だったようです。朝鮮半島南部沿岸は多島海で、海人の活躍の場でしたし、出土品からも、日本列島との交流が確認されています。

東アジアの国際関係の中では、この一帯を“倭”と認識していた様子も見られます。『三国志』韓伝には「韓は帯方の南にあり、東西は海に以って限りと為し、南は倭と接す」とあるそうです。「朝鮮半島の東西は海に接し、南は倭に接す」ということですから、朝鮮半島南部を“倭”と認識しているわけです。

もとより外洋に出るには、海に関わる高い経験知と特殊な技能が必要なわけで、大陸から南下してきた者にそれはないでしょう。九州の海人が朝鮮半島南部をも活躍の場の一つとしていたと考えればいいようです。

弥生時代になると、倭の海人たちは、朝鮮半島南部で取れる鉄を目当てに集まってきたでしょう。伽耶諸国は鉄と交易で利益を上げていたんでしょう。もちろん、その交易の相手は“倭”の勢力であったでしょう。

ヤマト建国は、九州の海人の経済活動を、ヤマトに集まった勢力が管理するという動きでもあったわけです。九州の海人たちからすれば、自分たちが独占していた利益をヤマトによって奪われることになったわけですね。

ただ、北九州の地勢的特徴から、どうしても東からの攻撃に弱いですから、東に誕生したヤマト政権に合流するしか手はなかったわけです。

弥生時代から古墳時代を通じて、伽耶は大切な友好国でした。新羅や百済の方が有名で、ついついそちらに目が向かいますが、ヤマト政権が朝鮮半島で守りたかった権益は、そのほとんどが伽耶にあったわけです。

日本書紀には、スサノオが新羅に舞い降りたという話があります。この本の著者の関裕二さんは、おそらく、新羅ではなく伽耶だろうと言ってます。6世紀になると、伽耶の大部分を新羅が併呑しているところから混同されたものだろうというのです。ヤマト政権にとっての伽耶の重要性を考えれば、うなずけます。



河出書房新社  ¥ 1,890

北部九州の豪族・筑紫君磐井は、なぜヤマト政権に反旗を翻したのか?
第1章 磐井の乱勃発
第2章 九州と天皇とヤマト
第3章 東アジアと日本
第4章 継体天皇の立場
第5章 磐井の乱の真実


朝鮮半島南部に国が成立したのは4世紀のことで、その直前まで、南西部の馬韓、南東部の辰韓、南部の弁韓に分かれていて、それぞれが、のちの百済、新羅、伽耶諸国に発展するわけですね。西暦40年ころは楽浪郡に朝貢していて、3世紀以降は魏が朝鮮半島に進出し、半島南部まで冊封体制を敷いていたそうです。

4世紀、大陸が混乱すると、騎馬民族国家の高句麗が南下して、百済、新羅、伽耶を圧迫します。この重圧に対して、彼らは背後に憂いのない倭の軍事力をあてにするようになります。ちょうど、好太王碑文に書かれた出来事の時代です。

倭の軍団は、高句麗によって退けられることになりますが、高句麗も朝鮮半島を制圧することはできなかったわけですね。その後も、高句麗は折に触れて年かしますが、南部の国々は時には連合したり、または倭の力を借りたいして、それをしのいだわけです。

この間、朝鮮半島にもたらされた大陸の文明は、これらの地域から倭に持ち込まれていきました。倭にとっては、幸運でした。

475年、好太王の跡を継いだ長寿王が百済を潰しにかかります。都の漢城が包囲され、百済王は逃亡して多くの者たちが捕虜になりました。この時、百済の難民が、多数、伽耶諸国に流入したようです。

このあたりの時代、じつはヤマト政権側にとっても、大きな変化の時期だったようです。王権強化をはかる雄略天皇が登場するのがこの時期にあたります。最大の権力を誇った葛城氏が、雄略天皇によって滅びます。最大の子大豪族だった吉備氏が滅んだのも、雄略天皇の時代です。

代わって表舞台に登場するのが、古くから王家に仕えて支えてきた大伴氏です。のちに、大伴家持編纂とされる万葉集が、雄略天皇の歌から始まるのも象徴的です。しかし、武烈天皇で雄略系の王家が途絶えます。そこに継体天皇を擁立したのは大伴金村でした。

その継体天皇の時代、512年に、百済がヤマト政権に伽耶諸国4県の割譲を求めてきます。継体天皇を支える大伴金村が、それを容認しちゃうんですね。百済は、高句麗によって失った領土を伽耶諸国から取り戻すことになります。

百済が伽耶諸国の割譲を要求して、ヤマト政権がこれを受け入れ、これに伽耶が激怒して、ヤマト政権から離れていく。そんなことが繰り返されている中で、磐井の乱が発生しています。ヤマト政権にやり方にたてをつく磐井氏がつぶされると、新羅が東から伽耶諸国を圧迫し、やがて併呑してしまって、日本は半島への足場を失うんですね。

磐井の乱っていうのは、どうも、なにか、ただ事ではない出来事だったようです。




にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
関連記事

テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

コメントの投稿

非公開コメント

ありがとうございました



「《めんどくせぇことばかり》は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。」
よくお越し下さいました

イーグルス16

Author:イーグルス16

息も絶え絶えです、ぜひ応援してください


現代とはなぜこんなにも棲みにくいのか。
前近代から近現代へと変貌し続ける世相の本質をつかみ生き方の支柱を示す。
カウンター
カテゴリ
こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
最新記事