『蒼い空へ』 木本美紀
あの人の指に絡んでいた ゴールドの指輪を引き抜き この僕とともに歩いてと 無茶を言ったあの日 恐れなどまるで感じないで はげしさが愛と信じた 立ちどまることも許さずに 傷をつけたあの日 振り向けばあの時の 目に染みる空の青さを思う 悲しみの旅立ちに まぶし過ぎた空思い出した いたずらで人を泣かせるなと 大人から頬を打たれた あの人も遠く連れ去られ 愛が消えたあの日 少しだけ時が過ぎ もう過去と言える恋の日々を 青空が連れてきた もう二度と会えぬあの人だろう 悲しみの旅立ちに まぶし過ぎた空思い出した 青空よ心を伝えてよ 悲しみはあまりにも大きい 青空よ遠い人に伝えて さよならと |
この《ブルースカイブルー》が、やっぱり一番かな。・・・もちろん、個人的にね。
男性歌手にしろ、女性歌手にしろ、私は歌謡曲が全盛期を迎える時期に、一緒に成長していった世代ですから、思春期の思い出の中に、これらの人たちは食い込んじゃってるんですよね。
《情熱の嵐》が流行ったのは、・・・1973年か。中学の2年ですね。サッカー部の部室で、エキスパンダーを引っ張るような振り付けを真似て踊ってたのを覚えてます。こっちのインパクトも大きいけど、年上のあの人を追いかけまわした私としては、《ブルースカイブルー》が頭の中を駆け巡ってましたからね。
ああ、今日も空が青い。
『蒼い空へ』 木本美紀 小学館 ¥ 1,512 63才という早すぎる人生の幕をおろした西城秀樹。妻が語る17年の壮絶なる闘病 |
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奥さまは、2001年に、28歳で、17歳年上で、当時45歳の西城秀樹さんと結婚したんですね。
男女のことは、縁あってこそのものですしね。お二人には縁があったということですし、同時に、それだけ西城秀樹、じゃないんですね。木本龍雄さんが魅力のある男性だったと言いうことでしょう。
2003年に最初の脳梗塞を発症し、周囲の予想を裏切るほどに早めの再起を果たしたものの、2011年に2度目の脳梗塞を発症。以降は、厳しいリハビリを重ねつつ、できる限りの芸能活動をつづけたが、2018年5月に亡くなる。
これが、私の知るすべてでした。
西城秀樹も脳梗塞で倒れたのに、よく頑張ってるな。奥さんは、結婚してまもなく西城秀樹が脳梗塞で倒れてしまって、たいへんだっただろうな。その時期、お子さんも三人も生まれてたんだよね。
・・・なんてね。
そう思ってたんですよ。だから、やはり奥さまは、この本を出してよかったと思います。いや、とりあえず私は、出していただいてありがたいです。最初の脳梗塞以降、壮絶な闘病の日々だったんですね。
そのような体質をかかえていたからこそ、お二人は、とっても濃密な18年間の結婚生活を送ってきたんだろうと思います。その18年間が、必ずや奥さまの、そしてご家族の、一生の支えになっていくものと信じます。
秀樹に、感激!


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