『ここから世界が始まる:トルーマン・カポーティ初期作品集』
高校のときに、映画の《ティファニーで朝食を》を見ました。
《ローマの休日》を見て、オードリー・ヘップバーンの可愛らしさに魅せられてしまい、その後、名画座にかかった《ティファニーで朝食を》を見に、いそいそと映画館に足を運びました。だけど、人生に酸いや甘いがあることさえ知らないような若造に、一四歳で結婚だ、男をとっかえひっかえだ、ゲイだ、ホモだとなると、まるで他の星の話でした。印象に残るのは、ただただ、ポスターにあったオードリー・ヘップバーンの正面からの、どこか小悪魔的でさえある魅力的な顔ばかりでした。
その後、ずいぶん経ってから、トルーマン・カポーティという人の書いた『遠い声 遠い部屋』という本を読みました。《ティファニーで朝食を》を見てから、“ずいぶん経って”とは言うものの、まだまだどっぷり大人の常識に胡座をかくところまではいけない中途半端さを残した頃でした。そのせいか、カポーティの描く少年の心のひだが、まるで自分の中にあるものであるかのように感じさせられたのです。
映画《ティファニーで朝食を》の元になる本を書いたのが、『遠い声 遠い部屋』と同じ、トルーマン・カポーティであるということは、その時ようやく知りました。
それをきっかけに、トルーマン・カポーティの書いた本を何冊か読みました。中には、私にとってはめくりたくない心のひだもあって、・・・と言うのは身につまされてしまってね。それでも、外国の作家さんで、追いかけて読んだのは、トルーマン・カポーティくらいかなぁ。


短編集はとてもいいですよね。
カポーティがそうだったみたいで、不遇の幼少年期をおくったみたいですね。そのせいか、いつもカポーティの描く人間像は、社会の隅の方を生きてきた、あるいは生きてます。《ティファニーで朝食を》の主人公もそうだったけど、カポーティはそういう人間の心に寄り添うことができるんですね。
書き手はその人自身であったり、あるいはまた、その周辺で、その人を気にかけながら行くている存在だったりします。“その人自身”である場合、やがてくる結末を、心の何処かで必然として受け止めていて、なんでもないことにもビクつき、精神的に自分で追い詰めていってしまったりします。どこか、『罪と罰』のラスコーリニコフの屈折に似ているようなきもします。
この、『ここから世界が始まる:トルーマン・カポーティ初期作品集』 は、本当に初期も初期。なにしろ、このうちの七作はカポーティが高校生の時の文芸誌に掲載されたもので、すべたが二十代はじめまでのものだそうです。
なんか、読みながら感じた手応えからすると、まあ、短編集ですから短いんですが、本当に短いんです。一個一個の話に書かれているのは、多くが、一つの場面なんです。その場面で、どう書けば、読む者の心を動かせるのか、それを模索しているような、手探りしているような気がしました。
そうやって書くたびに、もっといろいろなことを試してみたいって、そんな時期だったんじゃないでしょうか。
一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
《ローマの休日》を見て、オードリー・ヘップバーンの可愛らしさに魅せられてしまい、その後、名画座にかかった《ティファニーで朝食を》を見に、いそいそと映画館に足を運びました。だけど、人生に酸いや甘いがあることさえ知らないような若造に、一四歳で結婚だ、男をとっかえひっかえだ、ゲイだ、ホモだとなると、まるで他の星の話でした。印象に残るのは、ただただ、ポスターにあったオードリー・ヘップバーンの正面からの、どこか小悪魔的でさえある魅力的な顔ばかりでした。
その後、ずいぶん経ってから、トルーマン・カポーティという人の書いた『遠い声 遠い部屋』という本を読みました。《ティファニーで朝食を》を見てから、“ずいぶん経って”とは言うものの、まだまだどっぷり大人の常識に胡座をかくところまではいけない中途半端さを残した頃でした。そのせいか、カポーティの描く少年の心のひだが、まるで自分の中にあるものであるかのように感じさせられたのです。
映画《ティファニーで朝食を》の元になる本を書いたのが、『遠い声 遠い部屋』と同じ、トルーマン・カポーティであるということは、その時ようやく知りました。
それをきっかけに、トルーマン・カポーティの書いた本を何冊か読みました。中には、私にとってはめくりたくない心のひだもあって、・・・と言うのは身につまされてしまってね。それでも、外国の作家さんで、追いかけて読んだのは、トルーマン・カポーティくらいかなぁ。
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短編集はとてもいいですよね。
カポーティがそうだったみたいで、不遇の幼少年期をおくったみたいですね。そのせいか、いつもカポーティの描く人間像は、社会の隅の方を生きてきた、あるいは生きてます。《ティファニーで朝食を》の主人公もそうだったけど、カポーティはそういう人間の心に寄り添うことができるんですね。
書き手はその人自身であったり、あるいはまた、その周辺で、その人を気にかけながら行くている存在だったりします。“その人自身”である場合、やがてくる結末を、心の何処かで必然として受け止めていて、なんでもないことにもビクつき、精神的に自分で追い詰めていってしまったりします。どこか、『罪と罰』のラスコーリニコフの屈折に似ているようなきもします。
この、『ここから世界が始まる:トルーマン・カポーティ初期作品集』 は、本当に初期も初期。なにしろ、このうちの七作はカポーティが高校生の時の文芸誌に掲載されたもので、すべたが二十代はじめまでのものだそうです。
なんか、読みながら感じた手応えからすると、まあ、短編集ですから短いんですが、本当に短いんです。一個一個の話に書かれているのは、多くが、一つの場面なんです。その場面で、どう書けば、読む者の心を動かせるのか、それを模索しているような、手探りしているような気がしました。
そうやって書くたびに、もっといろいろなことを試してみたいって、そんな時期だったんじゃないでしょうか。

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