『知りたくないではすまされない』 江崎道朗
戦後の日本は、恐ろしく腰が引けてきたんだな。あらためて振り返ると、本当にゾッとする。
ケネディ大統領時代のアメリカは、共産主義に対して、遅ればせながらではあるんだけど、大きな危機感を持っていた。この本によれば、ジョンソン副大統領がケネディ大統領に次のように断言したそうだ。
《東南アジアで力と決意を持って共産主義に対し戦いを開始しなければならない。さもなければアメリカは必ず太平洋を明け渡し、自分たちの国土で守りにつかなければならなくなる》《フィリピン、日本、台湾の安全は失われ、巨大な太平洋は赤い海となる》
その上でケネディ大統領は、来日した際に、池田勇人首相に、「日米両国は・・・共産主義のアジア支配を阻止するためにどんな役割を果たすことができるか」と意見を求めたんだそうだ。
池田首相は、「日本人の大部分は自分たちを侵略者だと思って・・・」と、そんな答えしかできなかったんだそうだ。ああ、米による
War Guilt Information Programと、ほぼ亡国に近い敗戦の相乗効果とはいえ、同盟国がこんな腰抜けではアメリカも大変だったろう。
一九六四年には“中国”が核保有国となり、一九六七年には水爆の実験にも成功している。これらはみんな、新疆ウイグル自治区でやってるんでしょ。あの“さまよえる湖”ことロプノールこのあたりでやってるんでしょ。
この頃アメリカは、ベトナム戦争に介入して疲弊し、自信を失いつつあった。アジアの共産化が進む中、ニクソン大統領は、日本が憲法を改正してアメリカとともに共産勢力と戦うつもりならば、日本の核武装も認めることを検討していたらしいという。“中国”が水爆実験に成功した一九六七年のことだ。
そしてその年、ニクソン大統領の思惑をあざ笑うかのような動きがあった。佐藤栄作首相に対して公明党議員から、非核三原則を明確にすることを求める質疑があった。さらに社会党議員が小笠原諸島への核兵器の持ち込みを追求し、佐藤首相は非核三原則を明らかにした。
一九六九年、佐藤首相の訪米で、一九七二年の沖縄返還が決まる。そんなやり取りの中でも、ニクソン大統領は盛んに日本の核武装容認を匂わせる。核武装云々は、実際には核そのものよりも、かつて、・・・と言うのはアメリカが日本をぶっ潰してしまう前のことだけど、その頃のように、日本に共産勢力と戦う気概を示してほしいということだろう。そんなニクソン大統領に、佐藤首相は、「日本の国会と国民の圧倒的多数が核兵器に反対している」と弁明せざるを得なかった。
かつて日本は、アジアでも拡大するソ連の驚異に、孤軍奮闘で立ち向かってた。その日本に後ろから切りつけたのがアメリカだった。アメリカが悪い。とはいうものの、日本もここまで豹変しなくても良さそうなもんだけど。
《日本がアメリカとともに戦う意志がないことを知ったニクソンは、ソ連の脅威と戦うために、次善の策として、中国共産党と組むことを決断した》
・・・そういうことだったんだ。


レーガン大統領と中曽根首相のときは、二人は「ロン」「ヤス」と呼び合って、「日本はアメリカの不沈空母」なんて中曽根さんが言ってたみたいに、通じ合ってたように思ってた。でも、だいぶ違ってたんだな。著者が、《当時のレーガン政権と中曽根政権は、蜜月のように良好な関係だったかのような印象を抱いている方が多いだろう》とかいているが、私なんかまさしくそうだった。
レーガン大統領も、かつてのニクソン大統領のように、アジアの安定のためにも強い日本を望んでいた。なにしろソ連がアフガニスタンに侵攻し、東欧諸国にも圧力を強めていた。日本だって、ソ連の北海道侵攻を前提とした自衛隊の防衛計画があったくらいの時代だった。
レーガン大統領は、ソ連との冷戦に打ち勝つために、同盟国である日本に防衛協力を求めた。しかし、中曽根首相はその求めに応えなかった。そのかわり中曽根首相がやったことは、アメリカの武器をたくさん買った。お金を払って勘弁してもらったんだな。そんな日本の姿勢に、レーガン大統領も“中国”を選択した。米中の秘密協力は、レーガン時代に頂点に達したという。
《アメリカから「ソ連の驚異にともに立ち向かおう」と呼びかけられたとき、その申し出に日本は真剣に向き合わなかった。その一方、中国は呼びかけに応え、アメリカとともにソ連の驚異に対して武器を手に戦った。そこでアメリカは[同盟国]の中国に惜しみなく軍事援助を行い、軍事技術を提供した。その結果が、現在の中国の軍事的対等なのである》
・・・ということのようなんです。今、“中国”、韓国、北朝鮮、ロシアとの間に問題を抱えている。・・・周りの国全部だな。四面楚歌ってやつだ。そういう状況にもかかわらず、何一つ自己決定できない。
「国民が望んでいない」ってのは本当だった。嘘じゃない。だけど、国をあげて逃げてきたから、今のような状況になったんだな。それは間違いなさそうだ。
ケネディ大統領時代のアメリカは、共産主義に対して、遅ればせながらではあるんだけど、大きな危機感を持っていた。この本によれば、ジョンソン副大統領がケネディ大統領に次のように断言したそうだ。
《東南アジアで力と決意を持って共産主義に対し戦いを開始しなければならない。さもなければアメリカは必ず太平洋を明け渡し、自分たちの国土で守りにつかなければならなくなる》《フィリピン、日本、台湾の安全は失われ、巨大な太平洋は赤い海となる》
その上でケネディ大統領は、来日した際に、池田勇人首相に、「日米両国は・・・共産主義のアジア支配を阻止するためにどんな役割を果たすことができるか」と意見を求めたんだそうだ。
池田首相は、「日本人の大部分は自分たちを侵略者だと思って・・・」と、そんな答えしかできなかったんだそうだ。ああ、米による
War Guilt Information Programと、ほぼ亡国に近い敗戦の相乗効果とはいえ、同盟国がこんな腰抜けではアメリカも大変だったろう。
一九六四年には“中国”が核保有国となり、一九六七年には水爆の実験にも成功している。これらはみんな、新疆ウイグル自治区でやってるんでしょ。あの“さまよえる湖”ことロプノールこのあたりでやってるんでしょ。
この頃アメリカは、ベトナム戦争に介入して疲弊し、自信を失いつつあった。アジアの共産化が進む中、ニクソン大統領は、日本が憲法を改正してアメリカとともに共産勢力と戦うつもりならば、日本の核武装も認めることを検討していたらしいという。“中国”が水爆実験に成功した一九六七年のことだ。
そしてその年、ニクソン大統領の思惑をあざ笑うかのような動きがあった。佐藤栄作首相に対して公明党議員から、非核三原則を明確にすることを求める質疑があった。さらに社会党議員が小笠原諸島への核兵器の持ち込みを追求し、佐藤首相は非核三原則を明らかにした。
一九六九年、佐藤首相の訪米で、一九七二年の沖縄返還が決まる。そんなやり取りの中でも、ニクソン大統領は盛んに日本の核武装容認を匂わせる。核武装云々は、実際には核そのものよりも、かつて、・・・と言うのはアメリカが日本をぶっ潰してしまう前のことだけど、その頃のように、日本に共産勢力と戦う気概を示してほしいということだろう。そんなニクソン大統領に、佐藤首相は、「日本の国会と国民の圧倒的多数が核兵器に反対している」と弁明せざるを得なかった。
かつて日本は、アジアでも拡大するソ連の驚異に、孤軍奮闘で立ち向かってた。その日本に後ろから切りつけたのがアメリカだった。アメリカが悪い。とはいうものの、日本もここまで豹変しなくても良さそうなもんだけど。
《日本がアメリカとともに戦う意志がないことを知ったニクソンは、ソ連の脅威と戦うために、次善の策として、中国共産党と組むことを決断した》
・・・そういうことだったんだ。
『知りたくないではすまされない』 江崎道朗 KADOKAWA ¥ 1,512 知りたくないけれども、これを学ばなければ日本と世界の未来は見抜けない! |
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レーガン大統領と中曽根首相のときは、二人は「ロン」「ヤス」と呼び合って、「日本はアメリカの不沈空母」なんて中曽根さんが言ってたみたいに、通じ合ってたように思ってた。でも、だいぶ違ってたんだな。著者が、《当時のレーガン政権と中曽根政権は、蜜月のように良好な関係だったかのような印象を抱いている方が多いだろう》とかいているが、私なんかまさしくそうだった。
レーガン大統領も、かつてのニクソン大統領のように、アジアの安定のためにも強い日本を望んでいた。なにしろソ連がアフガニスタンに侵攻し、東欧諸国にも圧力を強めていた。日本だって、ソ連の北海道侵攻を前提とした自衛隊の防衛計画があったくらいの時代だった。
レーガン大統領は、ソ連との冷戦に打ち勝つために、同盟国である日本に防衛協力を求めた。しかし、中曽根首相はその求めに応えなかった。そのかわり中曽根首相がやったことは、アメリカの武器をたくさん買った。お金を払って勘弁してもらったんだな。そんな日本の姿勢に、レーガン大統領も“中国”を選択した。米中の秘密協力は、レーガン時代に頂点に達したという。
《アメリカから「ソ連の驚異にともに立ち向かおう」と呼びかけられたとき、その申し出に日本は真剣に向き合わなかった。その一方、中国は呼びかけに応え、アメリカとともにソ連の驚異に対して武器を手に戦った。そこでアメリカは[同盟国]の中国に惜しみなく軍事援助を行い、軍事技術を提供した。その結果が、現在の中国の軍事的対等なのである》
・・・ということのようなんです。今、“中国”、韓国、北朝鮮、ロシアとの間に問題を抱えている。・・・周りの国全部だな。四面楚歌ってやつだ。そういう状況にもかかわらず、何一つ自己決定できない。
「国民が望んでいない」ってのは本当だった。嘘じゃない。だけど、国をあげて逃げてきたから、今のような状況になったんだな。それは間違いなさそうだ。

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