めんどくせぇことばかり 死の定義『ひとりの覚悟』 山折哲雄
FC2ブログ

死の定義『ひとりの覚悟』 山折哲雄

死への向き合い方が、この本の中で日本の将来を決定づけるほどの重大な問題として取り上げられている。日本人は、どうも見たくないものを、自分の生活から遠ざけてしまうところがある。きれいで愉快なものばかりを近くに並べて、それと表裏一体のはずの、本当は真に向き合わなければならないはずのものと向き合うのを拒否しているかのよう。・・・死が、まさにそうだ。

現在の日本では、人の死は、医師が診断して決定することが法律で定められている。よくニュースで「心肺停止の状態で病院に運ばれましたが、間もなく脂肪が確認されました」という言い方をする。

群馬県の防災ヘリコプターはるなが墜落した時、同じ表現ではなかったけど、ニュースの言い方が、なんだかちょっと「期待できるんか?」っていい方だったんだ。結局、医師の宣告待ちってだけだったんだろうけどね。医師が死亡宣告をしない限り、人の死は確定しない。

医師が死亡を確認するための基準が、死の三徴候といわれる。「呼吸(肺機能)停止」、「心臓機能停止」、「脳機能停止(瞳孔散大と対光反射の消失)」がそれで、医師は患者に対してこの三つを確認することで死亡を確定する。これが近代法にもとづく死の定義となる。

中でも脳死という形の死の宣告が突出した。脳死とは、臓器移植をするための、便宜的な死の定義である。脳機能が停止すれば、本来、心肺機能も停止する。しかし、人工呼吸器など医療技術の発達により、脳機能が停止したあとも呼吸や循環器機能が維持できるようになった。

そこで国は、臓器移植普及を目的に脳死の基準を定め、脳死判定が行われて、その臓器を移植に使うかどうかの判断ができるようにした。


『ひとりの覚悟』    山折哲雄

ポプラ新書  ¥ 864

人生の幕引きは自分で決める。安楽死、臓器移植などのテーマへの緊急提言
はじめに――理想の逝き方について考える
序章 緊急提言 いまこそ「死の規制緩和」を
第1章 告知の文化、気配の文化
第2章 未知なる死への向き合い方
第3章 人生100年時代とオキナの価値観
第4章 日本人と無常観
第5章 私が「これからの世」について語るなら


臓器移植法の改正により、二〇一〇年から本人の意志が不明な場合でも、家族の承諾があれば、臓器移植のために臓器を提供することが可能になった。開始前は本人と家族の両方の意志が必要条件であったのに、改正後は家族の同意だけで良くなった。

改正臓器移植法の成立により、脳死臓器移植が大変なハイペースで行われるようになった。

死は、政治的判断の影響を受けることになった。

医師により、ある段階で科学的な脳死判定が行われ、医師と遺族、そして臓器移植コーディネーターの三者の間で話し合いが行われ、合意が得られれば、臓器移植手術が行われる。

法改正当時、“美しい命のリレー”などと称賛された。山折哲雄さんは、これを“命の切断による臓器のリレー”という。生きる人間と死にゆく人間を選別し、あからさまに生きる人間を優先する。

それが当然とするなら、死は無価値となる。

死が無価値であるなら、生きる者にとって、死は遠ざけたい、恐ろしいものでしかなくなってしまう。

生きていくために臓器移植を必要とする人がいる。その人の命をつなげていくために、臓器移植そのものを否定するわけではないが、生きる命の前で、死ぬ命を無価値とするのは間違えている。

釈迦は生老病死を四苦と呼んだが、生きる中で老い、病を抱え、徐々に死に向かう。家族はその過程に寄り添い、死ののちも殯の期間を置き、死者の変容をとうしてその死を受け入れていく。山折さんはそれを、日本人の死の作法という。



関連記事

テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

コメントの投稿

非公開コメント

ありがとうございました



「《めんどくせぇことばかり》は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。」
よくお越し下さいました

イーグルス16

Author:イーグルス16

息も絶え絶えです、ぜひ応援してください


現代とはなぜこんなにも棲みにくいのか。
前近代から近現代へと変貌し続ける世相の本質をつかみ生き方の支柱を示す。
カウンター
カテゴリ
こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
最新記事