丙午『陰陽五行でわかる日本のならわし』 長田なお
私が公立高校の教員採用試験に受かって赴任したのは新設二年目の学校で、一期生の二年生は、ちょっと変わった連中だった。
学年っていうのは、何かと性格が出る。一つの学校の中で、「今年の一年生はなんか違うね」というのとはちょっと違う。学校を超えて、その学年の性格というのがある。はっきりした例をあげようとすると、ちょっと前のことになるんだけど、二五歳の息子の学年、今年二六歳になる学年だな。
じつは、この“ゆとり世代”真っ只中のこの学年。何かと厄介だった。“ゆとり”云々っていうだけじゃなくて、特に生徒指導の方面で、厄介だった。「何だ、この学年」って思ってたら、他の学校でも手を焼いているって話だった。他の都道府県の状況はまったく知らないけどね。
その学年以上に変わった連中が集まってたのが、私が公立高校の教師になった年に高校二年生だった学年。この学年は、その前後の年に比べて、極端に出生数が少ない。この年に出生数が落ち込んだのは、今、私たちが認識している少子化とは、まるで原因が違う。
厚生労働省の《人口動態統計》というのがあった。下のグラフね。私が言ってるのは一九六六年、昭和四一年の出生数。

そこだけ極端に落ち込んでいるでしょ。グラフの中にも書き込まれているけど、この年は丙午の年。当時は、「子どもの頃から周りに同じ年の子が少ないから、大事にされすぎた」なんて話があったけど、私には比較するべき前例がなかったので、よく分からなかった。ただ、あとになって振り返ると、ちょっと性格の強い生徒が多かった気がする程度かな。


丙午の年に生まれた女は強いといわれるんだそうだ。この本の言い方では、「丙午の女は、気が強く夫を尻に敷く」「丙午の女は、夫を早死させる」なんて言い方をしてる。祖母だったか、母だったかに聞かされたのは、もっとひどかった。
実際、私が昭和三五年生まれで、昭和四一年が丙午だから、可能性としては私が丙午の女を好きになる可能性もあったわけだ。それだけに、祖母だか、母だかは、早めに私に釘を差したんだろう。
「丙午の女はだめだで。丙午の女は男を食い殺すってゆうから」
ここまで言うのは、やはり祖母だっただろう。祖母はどこか神がかった人だったから。
こんな迷信が生まれたのには、もちろん陰陽五行的な背景がある。十干の丙は陽の火で、とても勢いが強い様子を象徴するという。十二支の午も同じく陽の火。時刻なら正午。太陽が南中する最も勢いのある状態。丙に午が合わさっては、どうしたって強くなっちゃう。
かつて女は、今よりも早く適齢期を迎えて、年上の男に嫁いだ。だから干支が同じという夫婦はあまりなかったろう。丙午の男とそれ以外の生まれの女なら、強い男と弱い女ということでさほど問題にされなかったんだろう。だけど、その逆はまずかったんだろうね。
それにしてもものすごい迷信だな。こんな迷信を信じるやつがいるのかな。神がかってた私の祖母の、真剣な顔が目に浮かぶ。あの人なら、それを真剣に言ってたとしても不思議じゃない。おそらく私がそれを聞いたよりも一〇年ほど前、世の中にはそれを口にする人が、けっこういたのかな。それが若い夫婦に、影響を与えたのかな。
「この年に生まれた女は選ぶな」と言われるんじゃ大変だよね。昭和四一年には子どもを生むのを控えようとするなら、両親は四〇年の春先には、心がけて避妊をしたことだろう。
次の丙午は二〇二六年。う~ん、息子夫婦の出産適齢期にあたるな。二〇二六年から六一年前に、翌年の出産を控えるために避妊をした夫婦はまだ存命の方が多いだろう。その人たちは、自分の周囲に出産適齢期にある人がいれば、二〇二六年の出産を控えるように言うのだろうか。
そういえば、“五黄の寅”というのもあったな。夫を食い殺すなら、寅のほうがふさわしいか。
学年っていうのは、何かと性格が出る。一つの学校の中で、「今年の一年生はなんか違うね」というのとはちょっと違う。学校を超えて、その学年の性格というのがある。はっきりした例をあげようとすると、ちょっと前のことになるんだけど、二五歳の息子の学年、今年二六歳になる学年だな。
じつは、この“ゆとり世代”真っ只中のこの学年。何かと厄介だった。“ゆとり”云々っていうだけじゃなくて、特に生徒指導の方面で、厄介だった。「何だ、この学年」って思ってたら、他の学校でも手を焼いているって話だった。他の都道府県の状況はまったく知らないけどね。
その学年以上に変わった連中が集まってたのが、私が公立高校の教師になった年に高校二年生だった学年。この学年は、その前後の年に比べて、極端に出生数が少ない。この年に出生数が落ち込んだのは、今、私たちが認識している少子化とは、まるで原因が違う。
厚生労働省の《人口動態統計》というのがあった。下のグラフね。私が言ってるのは一九六六年、昭和四一年の出生数。

そこだけ極端に落ち込んでいるでしょ。グラフの中にも書き込まれているけど、この年は丙午の年。当時は、「子どもの頃から周りに同じ年の子が少ないから、大事にされすぎた」なんて話があったけど、私には比較するべき前例がなかったので、よく分からなかった。ただ、あとになって振り返ると、ちょっと性格の強い生徒が多かった気がする程度かな。
『陰陽五行でわかる日本のならわし』 長田なお 淡交社 ¥ 1,296 なぜ、節分の鬼は牛のような角で、虎柄のパンツをはいているの? |
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丙午の年に生まれた女は強いといわれるんだそうだ。この本の言い方では、「丙午の女は、気が強く夫を尻に敷く」「丙午の女は、夫を早死させる」なんて言い方をしてる。祖母だったか、母だったかに聞かされたのは、もっとひどかった。
実際、私が昭和三五年生まれで、昭和四一年が丙午だから、可能性としては私が丙午の女を好きになる可能性もあったわけだ。それだけに、祖母だか、母だかは、早めに私に釘を差したんだろう。
「丙午の女はだめだで。丙午の女は男を食い殺すってゆうから」
ここまで言うのは、やはり祖母だっただろう。祖母はどこか神がかった人だったから。
こんな迷信が生まれたのには、もちろん陰陽五行的な背景がある。十干の丙は陽の火で、とても勢いが強い様子を象徴するという。十二支の午も同じく陽の火。時刻なら正午。太陽が南中する最も勢いのある状態。丙に午が合わさっては、どうしたって強くなっちゃう。
かつて女は、今よりも早く適齢期を迎えて、年上の男に嫁いだ。だから干支が同じという夫婦はあまりなかったろう。丙午の男とそれ以外の生まれの女なら、強い男と弱い女ということでさほど問題にされなかったんだろう。だけど、その逆はまずかったんだろうね。
それにしてもものすごい迷信だな。こんな迷信を信じるやつがいるのかな。神がかってた私の祖母の、真剣な顔が目に浮かぶ。あの人なら、それを真剣に言ってたとしても不思議じゃない。おそらく私がそれを聞いたよりも一〇年ほど前、世の中にはそれを口にする人が、けっこういたのかな。それが若い夫婦に、影響を与えたのかな。
「この年に生まれた女は選ぶな」と言われるんじゃ大変だよね。昭和四一年には子どもを生むのを控えようとするなら、両親は四〇年の春先には、心がけて避妊をしたことだろう。
次の丙午は二〇二六年。う~ん、息子夫婦の出産適齢期にあたるな。二〇二六年から六一年前に、翌年の出産を控えるために避妊をした夫婦はまだ存命の方が多いだろう。その人たちは、自分の周囲に出産適齢期にある人がいれば、二〇二六年の出産を控えるように言うのだろうか。
そういえば、“五黄の寅”というのもあったな。夫を食い殺すなら、寅のほうがふさわしいか。

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