『究極の持久力』 鏑木毅
そうかあ、鏑木毅さんは、今年の夏に行われるウルトラトレイル・デュ・モンブランに出場するのか。すごいですね。五〇歳で出場だそうです。
鏑木さんは早稲田の競走部で箱根駅伝を目指していたんだそうです。だけど、残念ながら、箱根出場まであと一歩に迫ったのに、坐骨神経痛で諦め、競走部を去ったんだそうです。そういう人も、少なくないんでしょうね。以前、定時制で勤務していた時、講師できていた若い体育の先生がそうでした。その人は確か、順天堂大学で箱根をめざしたんだけど、怪我でしくじったって行ってました。
鏑木さんはその後、故郷の群馬県の県職員となり、陸上からはまったく離れた生活をしていたんだそうです。仕事を終えたあとの一杯だけを楽しみにするような生活だったらしいです。
そんな鏑木さんがトレイルランニングに目覚めたのは、地方紙に載ったトレイルランニングのレポート記事。やっぱり走るのが好きなんですね。長距離走で挫折した鏑木さんが、また走る世界に戻ったのは、それがトレイルランニングだからこそ。きっと、山が鏑木さんを生まれ変わらせたんじゃないでしょうか。
トレイルランニングはじめてのレースは、二八歳のときだそうです。そのはじめてのレースで優勝したんだそうだ。これでもう、離れられないですね。
色々なレースに挑戦して、結果を出して、国内トップクラスのトレイルランナーと認知されるようになっても、その頃の鏑木さんは群馬県職員だったようです。そして、三〇代後半。衰えを感じつつも望んだウルトラトレイル・デュ・モンブラン。そのときには、すでに競技生活の幕引きを、鏑木さんはい意識していたそうです。
総距離一六〇キロのこのレース。鏑木さんは二四時間二四分の記録で、失神寸前でゴールしたそうです。ただ、このレースが鏑木さんにとって大きかったのは、自分が完走できたことじゃないんです。優勝者のイタリア人、マルコ・オルモ選手が五九歳だったことだったそうです。三八歳で引退を考えていたご自身のことが、なんだか恥ずかしく感じられて、そして、今の自分よりももっと持久力を高める方法があるんじゃないかと、、そんなモチベーションが湧いてきたようなんです。
翌年、三九歳で再びウルトラトレイル・デュ・モンブランで四位に入賞した鏑木さんは、県職を去り、四〇歳でプロに転校してトレイルランニングに掛けることになるんですね。


四〇歳でプロに転校と言っても、もうスポーツ選手としては、ずい分前に身体的なピークは通り過ぎています。だから、その競技生活は、身体的な衰えをいかに最低限に抑えつつ、競技者としてのトータルな能力を伸ばしていくかという無理な注文の、生きた実験台みたいなもんですね
どんな実験を鏑木さんがやっているかと言うと、それはどうやら三つの課題に集約されているようです。スポーツで酸素を取り入れつつも身体を酸化させないようにするにはどうしたらいいか。糖を燃やすのではなく、より効率的な脂肪を燃やすことでエネルギーを取り出すにはどうしたらいいか。そのためには、どのような食事を心がければいいのか。そういったことですね。
「抗酸化」「低糖」「食事改善」の三つ。
三つと言っても、低糖に向けての食事改善だから、実際には二つですね。
「抗酸化」物質は、体内では作られないため、食事やサプリメントから摂るしかないんだそうです。鏑木さんは、ある特定のサプリメントを使って、効果を上げているそうです。なにしろ、薄く、白くなりかけた毛髪が、濃く、黒さを取り戻したっていうんだからすごいですね。う~ん、リアップさえ諦めて私としては、これは考えどころ。
もう一つの食事改善に関しては、低糖に向けての食事改善だから、私には難しい。なにしろ炭水化物大好きだからな。あっ、・・・いけない。私は一流アスリートを目指しているわけじゃありませんでした。炭水化物を断ってストレスを貯め込むより、適度に炭水化物をとって、糖を燃やしてエネルギーを作り出した方が良さそうですね。
そして何より、複合的に物事を捉え、柔軟な心で変わりゆく事象を捉え、周りの人が楽しく健やかな毎日を過ごせることを願って生活しよう。そうすれば、私のもきっといいことが起こる。
よし、ちょっと出かけよう。そのへんに、お金が落ちてるかもしれない。下を向いて歩こう。
鏑木さんは早稲田の競走部で箱根駅伝を目指していたんだそうです。だけど、残念ながら、箱根出場まであと一歩に迫ったのに、坐骨神経痛で諦め、競走部を去ったんだそうです。そういう人も、少なくないんでしょうね。以前、定時制で勤務していた時、講師できていた若い体育の先生がそうでした。その人は確か、順天堂大学で箱根をめざしたんだけど、怪我でしくじったって行ってました。
鏑木さんはその後、故郷の群馬県の県職員となり、陸上からはまったく離れた生活をしていたんだそうです。仕事を終えたあとの一杯だけを楽しみにするような生活だったらしいです。
そんな鏑木さんがトレイルランニングに目覚めたのは、地方紙に載ったトレイルランニングのレポート記事。やっぱり走るのが好きなんですね。長距離走で挫折した鏑木さんが、また走る世界に戻ったのは、それがトレイルランニングだからこそ。きっと、山が鏑木さんを生まれ変わらせたんじゃないでしょうか。
トレイルランニングはじめてのレースは、二八歳のときだそうです。そのはじめてのレースで優勝したんだそうだ。これでもう、離れられないですね。
色々なレースに挑戦して、結果を出して、国内トップクラスのトレイルランナーと認知されるようになっても、その頃の鏑木さんは群馬県職員だったようです。そして、三〇代後半。衰えを感じつつも望んだウルトラトレイル・デュ・モンブラン。そのときには、すでに競技生活の幕引きを、鏑木さんはい意識していたそうです。
総距離一六〇キロのこのレース。鏑木さんは二四時間二四分の記録で、失神寸前でゴールしたそうです。ただ、このレースが鏑木さんにとって大きかったのは、自分が完走できたことじゃないんです。優勝者のイタリア人、マルコ・オルモ選手が五九歳だったことだったそうです。三八歳で引退を考えていたご自身のことが、なんだか恥ずかしく感じられて、そして、今の自分よりももっと持久力を高める方法があるんじゃないかと、、そんなモチベーションが湧いてきたようなんです。
翌年、三九歳で再びウルトラトレイル・デュ・モンブランで四位に入賞した鏑木さんは、県職を去り、四〇歳でプロに転校してトレイルランニングに掛けることになるんですね。
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四〇歳でプロに転校と言っても、もうスポーツ選手としては、ずい分前に身体的なピークは通り過ぎています。だから、その競技生活は、身体的な衰えをいかに最低限に抑えつつ、競技者としてのトータルな能力を伸ばしていくかという無理な注文の、生きた実験台みたいなもんですね
どんな実験を鏑木さんがやっているかと言うと、それはどうやら三つの課題に集約されているようです。スポーツで酸素を取り入れつつも身体を酸化させないようにするにはどうしたらいいか。糖を燃やすのではなく、より効率的な脂肪を燃やすことでエネルギーを取り出すにはどうしたらいいか。そのためには、どのような食事を心がければいいのか。そういったことですね。
「抗酸化」「低糖」「食事改善」の三つ。
三つと言っても、低糖に向けての食事改善だから、実際には二つですね。
「抗酸化」物質は、体内では作られないため、食事やサプリメントから摂るしかないんだそうです。鏑木さんは、ある特定のサプリメントを使って、効果を上げているそうです。なにしろ、薄く、白くなりかけた毛髪が、濃く、黒さを取り戻したっていうんだからすごいですね。う~ん、リアップさえ諦めて私としては、これは考えどころ。
もう一つの食事改善に関しては、低糖に向けての食事改善だから、私には難しい。なにしろ炭水化物大好きだからな。あっ、・・・いけない。私は一流アスリートを目指しているわけじゃありませんでした。炭水化物を断ってストレスを貯め込むより、適度に炭水化物をとって、糖を燃やしてエネルギーを作り出した方が良さそうですね。
そして何より、複合的に物事を捉え、柔軟な心で変わりゆく事象を捉え、周りの人が楽しく健やかな毎日を過ごせることを願って生活しよう。そうすれば、私のもきっといいことが起こる。
よし、ちょっと出かけよう。そのへんに、お金が落ちてるかもしれない。下を向いて歩こう。

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