『喰人魂』 馳星周
埼玉県の東松山市と坂戸市の境界を流れる越辺川という川があります。“おっぺがわ”と読みます。一八日の土曜日、朝のランニングの途中、その越辺川にかかる高坂橋の向こうから朝日が登ってきます。 写真を撮ろうとスマホを取り出すと、折よく、タンクローリーが通りかかりました。時間は四時四〇分くらいだったと思います。 | ![]() |
この本ですが、題名が、も~大変です。だって、“口”と“云”がなければ、《食人鬼》ですよ。《食人鬼》とまではいいませんが、著者の馳星周さんの「喰う」ことへのこだわりに、つい、私は怖気づきました。
馳星周さんは、もとは私にすら及ばない、・・・こりゃ語弊がありますね。でも、貧乏な若かりし頃、ゴールデン街の安酒場でツケで飲みまくり、食うのは一日一食、問われるのはもちろん質より量って言うんですからね。私以下でしょう。私は同じく貧乏で、ツケで飲みまくり、給料日の昼休みには、職場である学校の玄関口に飲み屋の女将が集金に来てました。それでも、貧乏ながら、それなりに味にはこだわりました。できるだけうまく食べようと心がけました。
・・・ね、私の方がよっぽど良いでしょう。
“だからこそ”なんだと思うんです。《質より量》の一番端っこにいたからこそ、ほんのちょっとしたきっかけで、《量より質》の一番端っこに、一気に振れてしまったんだと思うんです。もしかしたら、この“食事観”というのは輪のようになっていて、《質より量》の一番端っこと《量より質》の一番端っこは、結ばれているのかもしれません。その結び目は、きっかけさえあれば、後ろを振り向いて、ほんの一歩足を出すだけで越えられるもののようです。
『喰人魂』 馳星周 中央公論新社 ¥ 1,512 その行く先々で著者が出会った絶品料理や食材の数々、至高の料理人たち |
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馳星周さんの場合、それを越えるきっかけになったのは、《スルメイカの腸の一夜漬け》でした。
その《スルメイカの腸の一夜漬け》が質より量の究極にいた馳星周さんを、量より質の究極に導いてしまったもののようです。しかも馳星周さんは、「美味いもの」を提供しようとする以上、その調理者に、しっかりした仕事をすることを要求しています。
特に、馳星周さんの鮨に対する要求は高いですね。“鮨は江戸”と言ってはばかりません。こんな一節があります。
これ以上はないという絶妙の硬さに炊き上げられたシャリ。そのシャリへの味付け、漁場のものに比べれば鮮度は劣ったとしてもきっちりと仕事を施されたネタ、そのネタとシャリの調和、口の中に放り込んだときのシャリがほどけていく食感、ネタの旨味。 |
私が一八歳までを過ごした秩父も、当時は流通が悪くて、子供の頃は、海の魚まみんな開きで泳いでいるのかと思ってたほどです。寿司といえば、いなり寿司のこと。鮨のことは“生すし”と呼ばれていましたが、ほぼ食ったことはありません。東京にいた学生時代だって、一流店で鮨を食ったことなんかありません。ないんだけど、言いたいことは分かります。
江戸前の仕事は、新鮮でなくなってしまいがちな魚を、安全で、かつできうる限りおいしく提供しようっていう心意気が生み出したものなんですね。
私のような田舎者には、生の刺し身が乗ってるだけで、鮨は十分奇跡の食い物です。そういう田舎者が多いから、田舎の鮨屋はそれでいいと勘違いしてしまうんでしょうね。新鮮なものを食わせておけば、十分だろうってことですね。
今は漁場近くでなくても、十分新鮮な魚を食うことができます。秩父だって新鮮な魚を乗っけた鮨を食うこともできます。でもそれは、鮨屋の仕事じゃないんだな。私たちみたいな田舎者を感動させくれる仕事をしているのは、土曜日の夜明け前から仕事をしているトラックの運転手さんたちなんですね。
私たちはトラックの運転手さんを称賛すべきであって、新鮮な刺し身をシャリに乗っけて提供しえいる鮨屋の主を称賛しなければいけない言われないということです。
きっかけとなった《スルメイカの腸の一夜漬け》はよっぽど美味かったんでしょうね。それは馳星周さんが学生の自分の話だから、まだまだ貧乏時代のはずです。きっと馳星周さんは、それ以来、うまいものを食い続けるために、今も一流の仕事を続けているんでしょう。

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