『まつらひ』 村山由佳
《恋愛と官能小説の第一人者》なんだそうです。・・・そう、この『まつらひ』の著者の村山由佳さんという作家さん。
どんな作家さんが人気があるかってことに疎いので、やはりこの本も作家さんで選んだわけではありません。選んだ理由は、『まつらひ』という題名です。
様々な地方の祭に絡んだ男と女の短編小説集であるこの本の冒頭、物語が始まる前に、上のように書かれています。古い時代の信仰のあり方に興味があったんです。
神に供物や踊りなどの行為を捧げて豊穣を感謝する。または、大地の神、海の神、火の神など、荒ぶる神々を鎮めるために行われますね。そんな祭の夜、男と女が一線を越えるのは、不思議な話ではありません。なにしろ神さまに喜んでもらわなきゃいけないわけですからね。男と女の交わりが嫌いな神さまは、いないでしょ。・・・日本にはね。
神さまがそれを好んで歓喜してくださるなら、どうして人間の男女が抗うことができるでしょうか。


女の人の書く官能小説か。
最近は、官能小説を読む機会そのものが減少しておりますが、決して嫌いなわけではありません。いや、好きです。すでに中学の頃から、手を変え品を変え、感のいい母親の目をあざむきつつ、みだらなお話を喜んでおりました。
でも、それらは、いずれも男の立場で書かれた官能小説で、この本のような女の目線で書かれた官能小説というのは読んだことがありませんでした。
そうかあ、女はセックスの時、こういう風に感じるものなのか。
そんなことを思いながら読みました。早くこういう立場から書かれた官能小説を読んでおけばよかったです。そうすれば、もう少し女の人を思いやってセックスできたかもしれません。・・・もちろん、連れ合いのことですが。
官能小説がお祭りを背景に書かれるのは、おそらく自然なことなんでしょう。その時、男の血はたぎっているからです。もともと、祭というのは、そういう時間だったんだろうと思います。
たとえば盆踊りというのは、盆帰りした先祖を踊りによって供養し、おそらく先祖も一緒に踊ってるんですね。盆踊りというのは不思議なもので、海外のダンスのように、手足の接続がおかしくなってるんじゃないかというような、複雑な動きを求められることはありません。単純な動作の繰り返しですね。ところが、単純な動作を繰り返すうちに、身体のうちからふつふつと、熱いものが湧き上がってくるんです。
その時、その輪の中に見初めた女が、あるいは男がいれば、その手を引いて、その輪から抜けていくんですね。もともとがぼんぼりくらいの薄明かりの中の話ですから、誰がいなくなったってわかりゃしません。ご先祖さまも、それを喜んでいるに違いありません。いやいや、ご先祖さまも、誰かの手を引いて暗がりに溶け込んでいるかもしれません。
私の故郷の一番のお祭りは、“夜祭”と呼ばれる夜の祭で、山の龍神と神社の妙見菩薩が、一年に一度、お祭りの夜に逢瀬を楽しむという言い伝えがあります。お祭りが近づくと、徐々に血のたぎりを感じるようになります。お祭りの日ともなれば、それはもう抑えの効くものじゃなくなります。夜祭は、逢瀬の瞬間に向けて、関わる人たちの思いを高めていきます。そしてその時を迎える頃、興奮は頂点に達します。
お祭りが終わり、血のたぎりだけが残されます。その時、誰かが隣りにいたら・・・。
どんな作家さんが人気があるかってことに疎いので、やはりこの本も作家さんで選んだわけではありません。選んだ理由は、『まつらひ』という題名です。
まつらふ 「奉る・祀る」の未然形に継続の接尾語「ふ」の付いた形。柳田國男はこれを「祭」の語源であるとした。 |
様々な地方の祭に絡んだ男と女の短編小説集であるこの本の冒頭、物語が始まる前に、上のように書かれています。古い時代の信仰のあり方に興味があったんです。
神に供物や踊りなどの行為を捧げて豊穣を感謝する。または、大地の神、海の神、火の神など、荒ぶる神々を鎮めるために行われますね。そんな祭の夜、男と女が一線を越えるのは、不思議な話ではありません。なにしろ神さまに喜んでもらわなきゃいけないわけですからね。男と女の交わりが嫌いな神さまは、いないでしょ。・・・日本にはね。
神さまがそれを好んで歓喜してくださるなら、どうして人間の男女が抗うことができるでしょうか。
『まつらひ』 村山由佳 文藝春秋 ¥ 1,620 次々に問題作に挑んできた恋愛と官能小説の第一人者が、多様な〝性〟を描きつくす |
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女の人の書く官能小説か。
最近は、官能小説を読む機会そのものが減少しておりますが、決して嫌いなわけではありません。いや、好きです。すでに中学の頃から、手を変え品を変え、感のいい母親の目をあざむきつつ、みだらなお話を喜んでおりました。
でも、それらは、いずれも男の立場で書かれた官能小説で、この本のような女の目線で書かれた官能小説というのは読んだことがありませんでした。
そうかあ、女はセックスの時、こういう風に感じるものなのか。
そんなことを思いながら読みました。早くこういう立場から書かれた官能小説を読んでおけばよかったです。そうすれば、もう少し女の人を思いやってセックスできたかもしれません。・・・もちろん、連れ合いのことですが。
官能小説がお祭りを背景に書かれるのは、おそらく自然なことなんでしょう。その時、男の血はたぎっているからです。もともと、祭というのは、そういう時間だったんだろうと思います。
たとえば盆踊りというのは、盆帰りした先祖を踊りによって供養し、おそらく先祖も一緒に踊ってるんですね。盆踊りというのは不思議なもので、海外のダンスのように、手足の接続がおかしくなってるんじゃないかというような、複雑な動きを求められることはありません。単純な動作の繰り返しですね。ところが、単純な動作を繰り返すうちに、身体のうちからふつふつと、熱いものが湧き上がってくるんです。
その時、その輪の中に見初めた女が、あるいは男がいれば、その手を引いて、その輪から抜けていくんですね。もともとがぼんぼりくらいの薄明かりの中の話ですから、誰がいなくなったってわかりゃしません。ご先祖さまも、それを喜んでいるに違いありません。いやいや、ご先祖さまも、誰かの手を引いて暗がりに溶け込んでいるかもしれません。
私の故郷の一番のお祭りは、“夜祭”と呼ばれる夜の祭で、山の龍神と神社の妙見菩薩が、一年に一度、お祭りの夜に逢瀬を楽しむという言い伝えがあります。お祭りが近づくと、徐々に血のたぎりを感じるようになります。お祭りの日ともなれば、それはもう抑えの効くものじゃなくなります。夜祭は、逢瀬の瞬間に向けて、関わる人たちの思いを高めていきます。そしてその時を迎える頃、興奮は頂点に達します。
お祭りが終わり、血のたぎりだけが残されます。その時、誰かが隣りにいたら・・・。

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