『エラい人にはウソがある』 パオロ・マッツァリーノ
「そんな孔子が好きだ」
この本の著者、とんでもイタリア人のパオロ・マッツァリーノさんは、そう言っています。マッツァリーノさんにとって孔子は、《愛すべき、中国最大のペテン師》という位置づけなんだそうです。しかも、そのペテンは、いとも簡単に人々から見破られ、誰ひとり引っかかってくれません。
「礼法を徹底することで、乱れた世の中に秩序が生まれる」という政治信念を持ち、自称礼法の専門家である自分こそが、政治を司るにふさわしいと、弟子たちとともに諸国に売り込んで回りました。
それでも結局、孔子の考えは受け入れられませんでした。そりゃそうですよね。時は春秋戦国時代。力のない国は力のある国に滅ぼされ、飲み込まれていくそんな時代に、「礼法を徹底せよ」だの、「父子、夫妻、長幼、君臣など、上下の別をわきまえろ」だの、それができなくなったからこそ混乱期を迎えたっていうのに。
“中国”は、逆に、反儒家的側面を持って生まれた法家の思想を採用し、制度と法をっ徹底し、それを犯した者に厳罰で臨むことにより国力を蓄えた秦により、はじめての統一王朝時代を迎えることになる。
孔子は、お呼びでなかったわけです。
しかも孔子は、それを盛んに弟子たちに愚痴るんですね。かっこ悪いんです。そして諦めが悪い。ただし、切れて世間に背を向けるということはしないんですね。自分の価値を認めてもらいたくて、未練タラタラの悪あがきを最後までやめないんです。
マッツァリーノさんは、それこそが孔子の魅力だといいます。駄目だけど、最後まで前向きな孔子に共感したからこそ、弟子たちも孔子について言ったんだろうと、そう言ってます。
そう言われても、まだまだイメージがはっきりしません。そこに決定打を与えたのが、孔子を主役とした映画があるとすれば、誰がその役にふさわしいかという話です。
実際、“中国”の国策映画があったんだそうです。孔子役を演じたのはチョウ・ヨンファさんという香港映画のスターだそうです。日本で言えば、役所広司か渡辺謙かという大物どころだそうです。役所広司や渡辺謙では孔子を演じるにはカッコ良すぎるんだそうです。
かっこよくない小男。負け犬イメージ。強がりだけは一人前。抱かれたくない男ランキング一位。それでも仲間内からの評価は意外と高く、好かれている。
誰か思いつきますか。私は芸能界のことには疎いんですが、どうでしょうか。
マッツァリーノさんは、・・・出川哲朗さんが、孔子にふさわしいと言ってます。


《巧言令色鮮し仁》
人を外見や表面的な行動で判断するなという孔子の教えですが、どういう人がこういう事を言うでしょうか。
マッツァリーノさんは、そういう切り込み方をするんです。
《己の欲せざる所は人に施す勿れ》
いじめに直面した学校の先生なんかが、クラスのみんなを前にして、こんな言葉を題材に話しをしそうですね。「自分が仲間はずれにされたら悲しいでしょ。仲間はずれにされた子がどんなに悲しかったかわかるよね」って、そんな感じでしょうか。
私も教員でしたので、何度もいじめに直面しましたが、《己の欲せざる所は人に施す勿れ》を題材にしたことはありません。そんな事を言っても、無駄ですから。いじめと言われる行為に出ている者にとって、そういう行為に出ることは、自分の当然の権利であると思っている場合が多いです。だから、差し迫った事態の場合は、強制力が必要です。
マッツァリーノさんの切込みも面白いです。「自分がしてほしくないことは他人にもするな」ではなく、「相手が嫌がることはするな」と言うべきだというんです。この注意を受けている者は、自分のやりたいことをやっているわけです。そいつに向かって、「自分がしてほしくないことは他人にもするな」では、たしかに論点がずれてますね。
この、《己の欲せざる所は人に施す勿れ》という言葉には、相手の気持よりも自分の気持を優先し、自分の考えを相手に押し付ける傲慢な思いが反映されているんだそうです。
面白いですね。他にも、《義を見てせざるは勇なきなり》なんかも取り上げられているんですが、そちらも面白いです。論語の言葉は、規定の解釈を疑うこともなく受け入れちゃいましたからね。
埼玉県日高市の五常に滝に見るような孔子観は、どうやら見直したほうが良さそうです。
この本の著者、とんでもイタリア人のパオロ・マッツァリーノさんは、そう言っています。マッツァリーノさんにとって孔子は、《愛すべき、中国最大のペテン師》という位置づけなんだそうです。しかも、そのペテンは、いとも簡単に人々から見破られ、誰ひとり引っかかってくれません。
「礼法を徹底することで、乱れた世の中に秩序が生まれる」という政治信念を持ち、自称礼法の専門家である自分こそが、政治を司るにふさわしいと、弟子たちとともに諸国に売り込んで回りました。
それでも結局、孔子の考えは受け入れられませんでした。そりゃそうですよね。時は春秋戦国時代。力のない国は力のある国に滅ぼされ、飲み込まれていくそんな時代に、「礼法を徹底せよ」だの、「父子、夫妻、長幼、君臣など、上下の別をわきまえろ」だの、それができなくなったからこそ混乱期を迎えたっていうのに。
“中国”は、逆に、反儒家的側面を持って生まれた法家の思想を採用し、制度と法をっ徹底し、それを犯した者に厳罰で臨むことにより国力を蓄えた秦により、はじめての統一王朝時代を迎えることになる。
孔子は、お呼びでなかったわけです。
しかも孔子は、それを盛んに弟子たちに愚痴るんですね。かっこ悪いんです。そして諦めが悪い。ただし、切れて世間に背を向けるということはしないんですね。自分の価値を認めてもらいたくて、未練タラタラの悪あがきを最後までやめないんです。
マッツァリーノさんは、それこそが孔子の魅力だといいます。駄目だけど、最後まで前向きな孔子に共感したからこそ、弟子たちも孔子について言ったんだろうと、そう言ってます。
そう言われても、まだまだイメージがはっきりしません。そこに決定打を与えたのが、孔子を主役とした映画があるとすれば、誰がその役にふさわしいかという話です。
実際、“中国”の国策映画があったんだそうです。孔子役を演じたのはチョウ・ヨンファさんという香港映画のスターだそうです。日本で言えば、役所広司か渡辺謙かという大物どころだそうです。役所広司や渡辺謙では孔子を演じるにはカッコ良すぎるんだそうです。
かっこよくない小男。負け犬イメージ。強がりだけは一人前。抱かれたくない男ランキング一位。それでも仲間内からの評価は意外と高く、好かれている。
誰か思いつきますか。私は芸能界のことには疎いんですが、どうでしょうか。
マッツァリーノさんは、・・・出川哲朗さんが、孔子にふさわしいと言ってます。
『エラい人にはウソがある』 パオロ・マッツァリーノ さくら舎 ¥ 1,512 『論語』をありがたい教え、孔子を偉大な人物と思っているようだが、本当にそうなのか? |
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《巧言令色鮮し仁》
人を外見や表面的な行動で判断するなという孔子の教えですが、どういう人がこういう事を言うでしょうか。
マッツァリーノさんは、そういう切り込み方をするんです。
《己の欲せざる所は人に施す勿れ》
いじめに直面した学校の先生なんかが、クラスのみんなを前にして、こんな言葉を題材に話しをしそうですね。「自分が仲間はずれにされたら悲しいでしょ。仲間はずれにされた子がどんなに悲しかったかわかるよね」って、そんな感じでしょうか。
私も教員でしたので、何度もいじめに直面しましたが、《己の欲せざる所は人に施す勿れ》を題材にしたことはありません。そんな事を言っても、無駄ですから。いじめと言われる行為に出ている者にとって、そういう行為に出ることは、自分の当然の権利であると思っている場合が多いです。だから、差し迫った事態の場合は、強制力が必要です。
マッツァリーノさんの切込みも面白いです。「自分がしてほしくないことは他人にもするな」ではなく、「相手が嫌がることはするな」と言うべきだというんです。この注意を受けている者は、自分のやりたいことをやっているわけです。そいつに向かって、「自分がしてほしくないことは他人にもするな」では、たしかに論点がずれてますね。
この、《己の欲せざる所は人に施す勿れ》という言葉には、相手の気持よりも自分の気持を優先し、自分の考えを相手に押し付ける傲慢な思いが反映されているんだそうです。
面白いですね。他にも、《義を見てせざるは勇なきなり》なんかも取り上げられているんですが、そちらも面白いです。論語の言葉は、規定の解釈を疑うこともなく受け入れちゃいましたからね。
埼玉県日高市の五常に滝に見るような孔子観は、どうやら見直したほうが良さそうです。

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