『龍の棲む家』 玄侑宗久
猫のミィミィが死んで、今週土曜日で一ヶ月経ちます。
最初の兆候は、水を器が空になっていることに気づくようになったことです。
「最近、よく水を飲んでない?」
「急に水ばかり飲むようになったら、危ないって聞いてるけど」
そんな会話をしてまもなく、食べる量が減りました。最初は餌にあきたのかと変えてみたり、さらに食が細くなったのでグレードを上げてみたり、今まで考えても見なかった缶詰などの餌を試してみたりしました。そしてそんなことをしているうちに、なんにも食べなくなってしまったんです。
でも、ミィミィは食べる量が減るようになってから、ひと月近く頑張ってくれました。今は、私たち夫婦が一番良く使っている部屋から、窓を開ければ見える場所に眠っています。
夫婦で最後まで看取ると覚悟を決めてからは落ち着きましたが、最初はミィミィの変調を受け入れられず、あたふたしました。死なれてみれば、これは食べないか、あれならどうかと買い集めた猫の餌が残されています。
仕方がないから、目につくものから処分して、あまり使いもしなかった猫タワーも分解しました。最後に残ったのが猫用のケージです。ミィミィはなにかあると、すぐこのケージの三階に逃げ込んでました。
そのケージを、山の道具置き場に使うことにしました。あちこちに点在した山道具をかき集め、猫ケージにまとめることにしました。けっこういい感じになりました。
そんな過程で、押入れだの天袋だのを引っ掻き回す中で、この本を発見しました。認知症になった父親の介護をテーマにした本です。玄侑宗久さんの、すっと心に入ってくるような文章が好きで買いましたが、介護をテーマにした本であることが分かって、身につまされて、読めなくなっていた本でした。


身につまされたと言えば、お分かりですね。うちにも、龍がいたんです。
文庫が出たのは二〇一〇年です。二〇一〇年といえば、私たち夫婦は四人の親のうち三人までを見送っておりました。最後に残ったのが連れ合いの父親です。一四年前に連れ合いの母親が亡くなったときには、すでに認知症の症状が進んでいる状態でした。二〇一〇年といえば、どうにもならない所まで来て、私たち夫婦が追い詰められた思いになっている頃でした。
そんなわけで、押し入れの肥やしのような状態になっていましたが、そんなこの本も今なら読めそうです。連れ合いの父親は、一年半前に亡くなりました。
物語は、主人公の幹夫の父親が認知症が明らかになった頃から始まります。自由な立場の幹夫は、長男の哲也から父親の面倒を見ることを依頼され、それを受け入れます。父親は、時に徘徊をします。生き場所は決まって龍が淵公園。幹夫はただ黙って、その徘徊に付いていきます。そこで、二人は、一人の女声にめぐり逢います。それが、認知症患者の介護に詳しい、介護士経験のある佳代子でした。
幹夫は、父の認知症の症状の変化に戸惑います。それを佳代子が支える形で話が進みます。しかし、佳代子も、介護士としての過去に、大きな問題を抱えていました。
認知症の症状が、少しずつ進んでいく父親。その症状の変化に戸惑う幹夫。幹夫の父親の介護を通して自分の過去と向き合おうとする佳代子。困難に直面しながらも、認知症を人の自然な帰結の一つと二人が受け入れていく様子が心地良い。
身近な者が認知症であることが分かる前にこの本を読んでも、分からないかもしれません。一番のタイミングとしては、身近な者が認知症であることが分かったころに、ちょうどこの本に出会えればいいでしょうね。
私は一度、夜中に便を漏らしたて廊下に佇む連れ合いの父親に、舌打ちをしてしまったことがあります。あの時の父の悲しそうな目が、今でも忘れられません。
最初の兆候は、水を器が空になっていることに気づくようになったことです。
「最近、よく水を飲んでない?」
「急に水ばかり飲むようになったら、危ないって聞いてるけど」
そんな会話をしてまもなく、食べる量が減りました。最初は餌にあきたのかと変えてみたり、さらに食が細くなったのでグレードを上げてみたり、今まで考えても見なかった缶詰などの餌を試してみたりしました。そしてそんなことをしているうちに、なんにも食べなくなってしまったんです。
でも、ミィミィは食べる量が減るようになってから、ひと月近く頑張ってくれました。今は、私たち夫婦が一番良く使っている部屋から、窓を開ければ見える場所に眠っています。
夫婦で最後まで看取ると覚悟を決めてからは落ち着きましたが、最初はミィミィの変調を受け入れられず、あたふたしました。死なれてみれば、これは食べないか、あれならどうかと買い集めた猫の餌が残されています。
仕方がないから、目につくものから処分して、あまり使いもしなかった猫タワーも分解しました。最後に残ったのが猫用のケージです。ミィミィはなにかあると、すぐこのケージの三階に逃げ込んでました。
そのケージを、山の道具置き場に使うことにしました。あちこちに点在した山道具をかき集め、猫ケージにまとめることにしました。けっこういい感じになりました。
そんな過程で、押入れだの天袋だのを引っ掻き回す中で、この本を発見しました。認知症になった父親の介護をテーマにした本です。玄侑宗久さんの、すっと心に入ってくるような文章が好きで買いましたが、介護をテーマにした本であることが分かって、身につまされて、読めなくなっていた本でした。
『龍の棲む家』 玄侑宗久 文春文庫 ¥ 時価 呆けた父と暮らすことになった幹夫は介護に詳しい佳代子と出会い、新しい世界を知る |
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身につまされたと言えば、お分かりですね。うちにも、龍がいたんです。
文庫が出たのは二〇一〇年です。二〇一〇年といえば、私たち夫婦は四人の親のうち三人までを見送っておりました。最後に残ったのが連れ合いの父親です。一四年前に連れ合いの母親が亡くなったときには、すでに認知症の症状が進んでいる状態でした。二〇一〇年といえば、どうにもならない所まで来て、私たち夫婦が追い詰められた思いになっている頃でした。
そんなわけで、押し入れの肥やしのような状態になっていましたが、そんなこの本も今なら読めそうです。連れ合いの父親は、一年半前に亡くなりました。
物語は、主人公の幹夫の父親が認知症が明らかになった頃から始まります。自由な立場の幹夫は、長男の哲也から父親の面倒を見ることを依頼され、それを受け入れます。父親は、時に徘徊をします。生き場所は決まって龍が淵公園。幹夫はただ黙って、その徘徊に付いていきます。そこで、二人は、一人の女声にめぐり逢います。それが、認知症患者の介護に詳しい、介護士経験のある佳代子でした。
幹夫は、父の認知症の症状の変化に戸惑います。それを佳代子が支える形で話が進みます。しかし、佳代子も、介護士としての過去に、大きな問題を抱えていました。
認知症の症状が、少しずつ進んでいく父親。その症状の変化に戸惑う幹夫。幹夫の父親の介護を通して自分の過去と向き合おうとする佳代子。困難に直面しながらも、認知症を人の自然な帰結の一つと二人が受け入れていく様子が心地良い。
身近な者が認知症であることが分かる前にこの本を読んでも、分からないかもしれません。一番のタイミングとしては、身近な者が認知症であることが分かったころに、ちょうどこの本に出会えればいいでしょうね。
私は一度、夜中に便を漏らしたて廊下に佇む連れ合いの父親に、舌打ちをしてしまったことがあります。あの時の父の悲しそうな目が、今でも忘れられません。

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