『走る奴なんて馬鹿だと思ってた』 松久淳
これを書いたのは作家さんです。
全然、運動とは縁がない人だったんだそうです。完全文化系夜型生活を送ってきて、もとは一六九センチ、五二キロの痩せ型が、四〇歳で禁煙したら、あっという間に一六キロも激太りしたんだそうです。一七一センチ、六八キロか。軽いメタボ体型なんて言うけど、たいしたことないですよ、そのくらい。
私は二〇一六年一〇月下旬に股関節の手術を受けているんですが、その前は歩くのさえままならない状況にありました。二〇年以上山から離れて、運動できなくなってからも、それ以前と同じように食って飲んでましたので、一八一センチ、八五キロ。ひどい時の松久さんよりもメタボですね。
でもまあ松久さんは、毎晩、明け方まで、ベロベロになるまで酒を浴びるほど飲んでたっていうんだから、まあ、のんびりした自殺みたいなもんですね。そんな不摂生極まれりな中年男、しかも運動と縁がなかった人が、四五歳にして走る気になったのは、自分がのんびりした自殺をしていることに気がついちゃったということのようです。
五〇メートルしないうちに、足がもつれる。一〇〇メートルしないうちに、立ち止まってぜーぜー悶える。
当たり前ですよね。
だけど、ご本人も言っているとおり、どうやら松久さんは走るのに向いていたんですね。それを松久さんは、“一人でいることが苦にならない”、“目標を立てて、黙々とそれを遂行できる”、“コンプリート癖”、“マニア癖”と言ってますが、それ以上に、走るってことに向いた身体、走るってことに向いた能力を持っていたんでしょう。
最初は八分一九秒/キロだったものが、たった三週間で七分四七秒/キロになります。さらに一週間立った頃には、もう五キロも走るようになってます。そのうち、五キロなど寝ていても走れる距離などと生意気なことをほざき出す始末です。
これは、私なんかに比べれば、走ることに向いた身体、走ることに向いた能力を持っているとしか言いようがありません。
あー、羨ましい。


記録はどんどん伸びるんです。三月に走り始めて、八月が終わる頃には四分五七秒/キロですよ。・・・すごい。九月に入れば、「七キロくらいでは、途中で止まることも、息切れすることもない」とまでほざいています。一〇月には、早くも一〇キロランを達成ですから、ほざきたくなる気持ちもわからないではありません。
すごいのは、これ以降、一〇キロに体がなれて一二キロ、一二キロに体がなれて一五キロとかいう伸びじゃないんです。八キロ、一〇キロ、一二キロ、一五キロ、二〇キロと、ぐんぐん伸びるんです。
確かに足に無理がかかって故障もするんですが、もし足がその距離やスピードに耐えられるんなら、いくらでも走れるってことみでしょう。本当にすごい。
二〇一八年の六月に走り始めたことは、走ったりあるいたりして、やっと三キロです。その三キロはずいぶん続きましたね。三キロが順調に走れるようになってから、一五キロの石を詰めたザックを背負ってゆっくり走りました。私はこれで、膝をやりました。
ザックを背負って走るのは、その後、半年以上封印になりますが、走る方も、松久さんのようにタイムは出ません。無理をすると胸がキリキリ痛くなります。足がどうのということより、息が上がっちゃいます。苦しいことを好んで続けたら、それこそ馬鹿です。
距離を伸ばすのはともかく、スピードを求めるような身体能力が、残念ながら私にはないようです。走り始めて一年少しですが、そんな私でも、ようやく一〇キロくらい走れるようになりました。
この本読んで、先日、ヤマップで距離を測りながら走ってみたんですが、ちょうど一一キロを一時間一〇分でした。六分三六秒/キロですね。松久さんよりも八歳年上ですが、私にはこのあたりがせいぜいのようです。
ああ、でも、体重は、今、七一キロです。山を歩いても身体が軽くなりました。走れば痩せるのは、間違いない事実です。
著者、松久淳さんのほざき具合が、愉快、痛快、奇々怪々で、とっても楽しい一冊でした。
全然、運動とは縁がない人だったんだそうです。完全文化系夜型生活を送ってきて、もとは一六九センチ、五二キロの痩せ型が、四〇歳で禁煙したら、あっという間に一六キロも激太りしたんだそうです。一七一センチ、六八キロか。軽いメタボ体型なんて言うけど、たいしたことないですよ、そのくらい。
私は二〇一六年一〇月下旬に股関節の手術を受けているんですが、その前は歩くのさえままならない状況にありました。二〇年以上山から離れて、運動できなくなってからも、それ以前と同じように食って飲んでましたので、一八一センチ、八五キロ。ひどい時の松久さんよりもメタボですね。
でもまあ松久さんは、毎晩、明け方まで、ベロベロになるまで酒を浴びるほど飲んでたっていうんだから、まあ、のんびりした自殺みたいなもんですね。そんな不摂生極まれりな中年男、しかも運動と縁がなかった人が、四五歳にして走る気になったのは、自分がのんびりした自殺をしていることに気がついちゃったということのようです。
五〇メートルしないうちに、足がもつれる。一〇〇メートルしないうちに、立ち止まってぜーぜー悶える。
当たり前ですよね。
だけど、ご本人も言っているとおり、どうやら松久さんは走るのに向いていたんですね。それを松久さんは、“一人でいることが苦にならない”、“目標を立てて、黙々とそれを遂行できる”、“コンプリート癖”、“マニア癖”と言ってますが、それ以上に、走るってことに向いた身体、走るってことに向いた能力を持っていたんでしょう。
最初は八分一九秒/キロだったものが、たった三週間で七分四七秒/キロになります。さらに一週間立った頃には、もう五キロも走るようになってます。そのうち、五キロなど寝ていても走れる距離などと生意気なことをほざき出す始末です。
これは、私なんかに比べれば、走ることに向いた身体、走ることに向いた能力を持っているとしか言いようがありません。
あー、羨ましい。
『走る奴なんて馬鹿だと思ってた』 松久淳 山と渓谷社 ¥ 1,404 「“馬鹿だと思ってた奴ほどよく走る”ことは知らなかった」みうらじゅん |
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記録はどんどん伸びるんです。三月に走り始めて、八月が終わる頃には四分五七秒/キロですよ。・・・すごい。九月に入れば、「七キロくらいでは、途中で止まることも、息切れすることもない」とまでほざいています。一〇月には、早くも一〇キロランを達成ですから、ほざきたくなる気持ちもわからないではありません。
すごいのは、これ以降、一〇キロに体がなれて一二キロ、一二キロに体がなれて一五キロとかいう伸びじゃないんです。八キロ、一〇キロ、一二キロ、一五キロ、二〇キロと、ぐんぐん伸びるんです。
確かに足に無理がかかって故障もするんですが、もし足がその距離やスピードに耐えられるんなら、いくらでも走れるってことみでしょう。本当にすごい。
二〇一八年の六月に走り始めたことは、走ったりあるいたりして、やっと三キロです。その三キロはずいぶん続きましたね。三キロが順調に走れるようになってから、一五キロの石を詰めたザックを背負ってゆっくり走りました。私はこれで、膝をやりました。
ザックを背負って走るのは、その後、半年以上封印になりますが、走る方も、松久さんのようにタイムは出ません。無理をすると胸がキリキリ痛くなります。足がどうのということより、息が上がっちゃいます。苦しいことを好んで続けたら、それこそ馬鹿です。
距離を伸ばすのはともかく、スピードを求めるような身体能力が、残念ながら私にはないようです。走り始めて一年少しですが、そんな私でも、ようやく一〇キロくらい走れるようになりました。
この本読んで、先日、ヤマップで距離を測りながら走ってみたんですが、ちょうど一一キロを一時間一〇分でした。六分三六秒/キロですね。松久さんよりも八歳年上ですが、私にはこのあたりがせいぜいのようです。
ああ、でも、体重は、今、七一キロです。山を歩いても身体が軽くなりました。走れば痩せるのは、間違いない事実です。
著者、松久淳さんのほざき具合が、愉快、痛快、奇々怪々で、とっても楽しい一冊でした。

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