責任回避『不都合な日本語』 大野敏明
投票日は明後日ですか。明日あたり街に出かければ、アチラコチラで演説会にぶつかるかもしれません。
そんなときに参考になるかもしれない話が載ってました。大学や高校の弁論部に入ったりすると、最初に先輩から言われることの一つに、「修飾語をすべて省いて話してみろ」というのがあるんだそうです。
選挙演説でよくありそうな修飾語というと、「本当に」と「しっかり」。下手な候補者の中身のない演説ほど、「本当に」と「しっかり」が多用されるそうです。そして最後は、「頑張らさせていただ」くんです。
《私は国民の皆様の生活が、本当に保障された、本当に豊かで本当に明るい社会をしっかりと建設していくことが、本当にわが党と私に課せられた最大の使命であると、しっかりと訴えさせていただきたいと思います。最後の最後まで本当にしっかりと頑張らさせていただきます》
あ~、くどくどしい。その上、この「させていただく」って言い回しが、嫌いなんです。嫌いというか、間違いですね。「さ」が余分です。「さ」入れ言葉、専門用語では過剰修正って言うんだそうです。上記の「頑張らさせていただきます」なら、「頑張らせていただきます」が正しいわけです。
弁論部なら、以下のようになりますね。
《私は国民の皆様の生活が保障された、豊かで明るい社会を建設していくことが、わが党と私に課せられた使命であると思います》
似たような言い回しで、「務めさせていただく」とか、「引受させていただく」なんていい方があります。なんで、「務めます」「引き受けます」じゃないんだろうと思うんです。
なんか、言葉の中に見えるはずの人の存在が薄いです。
第三者を権威として登場させて、その依頼、あるいは許可を前提にしたような言い方です。そこに責任が預けられているんですね。
大したことじゃないのに、責任を取らされることが怖いんでしょうか。言葉の端々に、突っ込まれたときのための保険がかかってるような言い方が増えてます。なんか、いやらしく感じます。ビビリから始まったそんな言葉が、いつの間にか肩で風を切ってあるいてますから、自分もいつの間にか使ってたなんてことにならないように、気をつけてはいるんですが・・・。


「コーヒーで大丈夫でしょうか」って、確認されたんだそうです。
この本の著者の大野敏明さんがです。大野さんは、コーヒーを頼むと、なにか大丈夫ではないことが起こるんだろうか、と考えてしまったそうです。あるいは、ウェイトレスさんは“私”がコーヒーを飲んではいけない病気か何かをしているのではないかと察して、聞いたのかもしれない。それとも、今日はコーヒーを飲んではいけない日にあたっているのかな。・・・などなど、いろいろ考えた挙げ句に、つい、「大丈夫です」と答えてしまったんだそうです。
これは、恥ずかしいですね。大野さんは、どんなウェイトレスさんの杞憂を晴らすために、「大丈夫です」と答えたんでしょうか。
「私はコーヒーを飲んではいけない病気ではないので大丈夫です」でしょうか。「今日は男はコーヒーを飲んではいけない日ですが、私はオカマなので大丈夫です」でしょうか。
だいたい、喫茶店でコーヒーを頼んで“大丈夫”でない何かがありえるでしょうか。
あります。このウェイトレスさん、ボーッとしてたもんで、“たぶんこのお客さん、コーヒーを注文したと思うんだけど、ココアだったかもしれない。一応確認しておこうかな”。「お客さん、コーヒーで大丈夫でしょうか」
「コーヒーでいいですね」、「コーヒーで間違いございませんか」と言えばいいところ、ここでも責任の所在を相手側に押し付けているんですね。《大丈夫か、大丈夫でないかは、私の責任ではありません》ってところです。
この「大丈夫ですか」ってのは、教員でも若い人たちは抵抗なく使ってます。「**さんのお宅で大丈夫でしょうか」とかってね。「頑張らさせていただきます」なんて言ってないでしょうね。真逆ね。
“まぎゃく”じゃなく、“まさか”って読んでね。
そんなときに参考になるかもしれない話が載ってました。大学や高校の弁論部に入ったりすると、最初に先輩から言われることの一つに、「修飾語をすべて省いて話してみろ」というのがあるんだそうです。
選挙演説でよくありそうな修飾語というと、「本当に」と「しっかり」。下手な候補者の中身のない演説ほど、「本当に」と「しっかり」が多用されるそうです。そして最後は、「頑張らさせていただ」くんです。
《私は国民の皆様の生活が、本当に保障された、本当に豊かで本当に明るい社会をしっかりと建設していくことが、本当にわが党と私に課せられた最大の使命であると、しっかりと訴えさせていただきたいと思います。最後の最後まで本当にしっかりと頑張らさせていただきます》
あ~、くどくどしい。その上、この「させていただく」って言い回しが、嫌いなんです。嫌いというか、間違いですね。「さ」が余分です。「さ」入れ言葉、専門用語では過剰修正って言うんだそうです。上記の「頑張らさせていただきます」なら、「頑張らせていただきます」が正しいわけです。
弁論部なら、以下のようになりますね。
《私は国民の皆様の生活が保障された、豊かで明るい社会を建設していくことが、わが党と私に課せられた使命であると思います》
似たような言い回しで、「務めさせていただく」とか、「引受させていただく」なんていい方があります。なんで、「務めます」「引き受けます」じゃないんだろうと思うんです。
なんか、言葉の中に見えるはずの人の存在が薄いです。
第三者を権威として登場させて、その依頼、あるいは許可を前提にしたような言い方です。そこに責任が預けられているんですね。
大したことじゃないのに、責任を取らされることが怖いんでしょうか。言葉の端々に、突っ込まれたときのための保険がかかってるような言い方が増えてます。なんか、いやらしく感じます。ビビリから始まったそんな言葉が、いつの間にか肩で風を切ってあるいてますから、自分もいつの間にか使ってたなんてことにならないように、気をつけてはいるんですが・・・。
『不都合な日本語』 大野敏明 展転社 ¥ 1,728 現在の日本語」を取り上げながら時局を批評し、おかしな現代社会を痛快にぶった斬る |
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「コーヒーで大丈夫でしょうか」って、確認されたんだそうです。
この本の著者の大野敏明さんがです。大野さんは、コーヒーを頼むと、なにか大丈夫ではないことが起こるんだろうか、と考えてしまったそうです。あるいは、ウェイトレスさんは“私”がコーヒーを飲んではいけない病気か何かをしているのではないかと察して、聞いたのかもしれない。それとも、今日はコーヒーを飲んではいけない日にあたっているのかな。・・・などなど、いろいろ考えた挙げ句に、つい、「大丈夫です」と答えてしまったんだそうです。
これは、恥ずかしいですね。大野さんは、どんなウェイトレスさんの杞憂を晴らすために、「大丈夫です」と答えたんでしょうか。
「私はコーヒーを飲んではいけない病気ではないので大丈夫です」でしょうか。「今日は男はコーヒーを飲んではいけない日ですが、私はオカマなので大丈夫です」でしょうか。
だいたい、喫茶店でコーヒーを頼んで“大丈夫”でない何かがありえるでしょうか。
あります。このウェイトレスさん、ボーッとしてたもんで、“たぶんこのお客さん、コーヒーを注文したと思うんだけど、ココアだったかもしれない。一応確認しておこうかな”。「お客さん、コーヒーで大丈夫でしょうか」
「コーヒーでいいですね」、「コーヒーで間違いございませんか」と言えばいいところ、ここでも責任の所在を相手側に押し付けているんですね。《大丈夫か、大丈夫でないかは、私の責任ではありません》ってところです。
この「大丈夫ですか」ってのは、教員でも若い人たちは抵抗なく使ってます。「**さんのお宅で大丈夫でしょうか」とかってね。「頑張らさせていただきます」なんて言ってないでしょうね。真逆ね。
“まぎゃく”じゃなく、“まさか”って読んでね。

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