敗北『国家と教養』 藤原正彦
大学を出て一年浪人。仕事をするようになったのは一九八三年です。
プラザ合意が一九八五年です。あそこで円高ドル安誘導が始まって、たった一年で一ドル一五〇円ですからね。そうして日本はバブル景気を迎えることになりました。
高校で仕事をするようになったわけですが、学校での仕事の分担は進路指導部というところでした。新設校でしたが、就職する生徒もけっこう多くいましたね。それが、バブルの頃は、ものすごい数の求人が学校に来たんです。求人票が処理しきれないほどでした。
高校への求人の解禁日は七月一日なんですが、ちょうど期末試験の時期と重なります。試験を実施して、採点して、成績つけて、・・・なんてことをやってる時期です。だいたいどこの学校でも、期末試験の最終日あたりから求人票を生徒に公開します。生徒は、公開された求人票から良さそうな会社を選び、進路指導部に申し出て、履歴書を持って見学に行くわけです。就職試験は九月一六日からと決められているのですが、どこの会社でもだいたい、この見学の際に生徒の人柄を見ます。中には適性検査をやってしまうところもあります。
本来、選考は九月一六日以前にやってはいけないんです。それに夏休み中はあくまで見学なんですから、行ってみて向かないと思えば、生徒には断る自由があります。このあたり、企業と学校の間に阿吽の呼吸というのがありまして、企業は夏休み中の企業見学で、九月一六日以降の採用試験を受けた場合の合否を教えてくれます。「ぜひ受けてもらってください」とか、「他の会社を考えられた方がよろしいかと・・・」とかです。後者の場合、それを生徒に伝えて、違う企業を探すんです。
高校からの就職の場合、大学と違って、受験する会社は一人一社という了解がありました。大多数は地方の中小企業ですから、大きな会社の人事のような対応はできませんからね。
だから、九月一六日から始まる採用試験で落とされると、“残り”の求人の中から会社を探すことになります。これは大変なんです。だから、私たちにしても、一度目の採用試験で受かる会社を受けさせたいわけです。だから、会社から、なんとなく手応えを教えてもらうというのは、ありがたいことでした。
今は、ハローワークからの指導で、それができなくなっているので、とても厳しいようです。
求人票は郵送も多かったんですが、人事担当の人が学校に持ってきて、いろいろと仕事の説明をしていくケースも多かったんです。進路指導室では捌ききれず、大会議室にいくつか席を設けて、進路指導部に属する教員が総出で話を聞きました。大会議室前には列ができてましたね。
ただ、求人の解禁は七月一日なんですが、求人はこのあと、それこそ翌年の三月まで断続的に入ります。大半の就職希望社は夏休み中に採用試験を受ける会社を決めますので、実は求人票の研究は五月、六月に前の年の求人票でしておく必要があるんです。
仕事をするようになって五年目だから、一九八八年、まさにバブルど真ん中ですね。八月の後半になって求人票を持ってきた会社がありました。ずいぶん砕けた感じの担当者で、この時期だと大半の生徒は受験する企業が決まってしまっていることをお話すると、「誰でもいいから」と言い出しました。
「誰でもいいからいませんか。成績なんてどうでもいいから、日本語が話せれば、イラン人に日本語を教える手間が省けるから。他のことはこっちで仕込むから、行儀が少しくらい悪いやつでもいいから」って言ってました。


バブルが崩壊して、日本の富がアメリカに吸い上げられていきました。キーワードは「グローバル・スタンダード」か。まさにその通り。
アメリカの格付け会社が、日本の銀行や証券会社を格下げして、日本の会社の信用を意図的に落としていきました。トヨタ自動車も、終身雇用制度を採っているという理由で格下げされたそうです。力づくで日本型の会社経営、日本型の資本主義をやめさせよう、自分たちのやり方に従わせようとしたんですね。
この本を読んでいて、自分の仕事人生と照らし合わせて、しみじみ振り返ってしまいます。
金融ビッグバン、BIS規制、郵政民営化、商法・司法・医療制度の改革、労働者派遣法の改革、そういった大改革の背景には、いずれもアメリカの要求があったんですね。
一九九四年から《年次改革要望書》が、毎年、アメリカ側から日本に送られるようになりました。このことは、ずっと国民に隠されていて、二〇〇九年にやっと知らされました。
日本の富をアメリカが吸い上げられるようにするのが、グローバル・スタンダードの本質ですね。小泉純一郎首相、竹中平蔵郵政民営化担当大臣のときが、まさにその真っ只中なんですね。
中小企業が追い込まれ、駅前商店街がシャッター通りと化し、長く続く不況が人身を蝕みました。「人の優しさ、穏やかさ、思いやり、卑怯を憎む心、献身、他社への深い共感と、日本を日本足らしめてきた誇るべき情緒までをも」蝕み始めたと藤原さんは嘆きます。
成果主義が入ってきました。「教育に成果主義はそぐわない」って言われ続けたけど、教育もグローバル・スタンダードに降参しちゃいました。教育も、目に見える成果を求められるようになっちゃったんですよ。そんなわけで、私はバイバイしちゃいました。敵前逃亡って言われりゃそのとおりなんだけど、徒手空拳の年寄じゃどうにもなりません。
プラザ合意が一九八五年です。あそこで円高ドル安誘導が始まって、たった一年で一ドル一五〇円ですからね。そうして日本はバブル景気を迎えることになりました。
高校で仕事をするようになったわけですが、学校での仕事の分担は進路指導部というところでした。新設校でしたが、就職する生徒もけっこう多くいましたね。それが、バブルの頃は、ものすごい数の求人が学校に来たんです。求人票が処理しきれないほどでした。
高校への求人の解禁日は七月一日なんですが、ちょうど期末試験の時期と重なります。試験を実施して、採点して、成績つけて、・・・なんてことをやってる時期です。だいたいどこの学校でも、期末試験の最終日あたりから求人票を生徒に公開します。生徒は、公開された求人票から良さそうな会社を選び、進路指導部に申し出て、履歴書を持って見学に行くわけです。就職試験は九月一六日からと決められているのですが、どこの会社でもだいたい、この見学の際に生徒の人柄を見ます。中には適性検査をやってしまうところもあります。
本来、選考は九月一六日以前にやってはいけないんです。それに夏休み中はあくまで見学なんですから、行ってみて向かないと思えば、生徒には断る自由があります。このあたり、企業と学校の間に阿吽の呼吸というのがありまして、企業は夏休み中の企業見学で、九月一六日以降の採用試験を受けた場合の合否を教えてくれます。「ぜひ受けてもらってください」とか、「他の会社を考えられた方がよろしいかと・・・」とかです。後者の場合、それを生徒に伝えて、違う企業を探すんです。
高校からの就職の場合、大学と違って、受験する会社は一人一社という了解がありました。大多数は地方の中小企業ですから、大きな会社の人事のような対応はできませんからね。
だから、九月一六日から始まる採用試験で落とされると、“残り”の求人の中から会社を探すことになります。これは大変なんです。だから、私たちにしても、一度目の採用試験で受かる会社を受けさせたいわけです。だから、会社から、なんとなく手応えを教えてもらうというのは、ありがたいことでした。
今は、ハローワークからの指導で、それができなくなっているので、とても厳しいようです。
求人票は郵送も多かったんですが、人事担当の人が学校に持ってきて、いろいろと仕事の説明をしていくケースも多かったんです。進路指導室では捌ききれず、大会議室にいくつか席を設けて、進路指導部に属する教員が総出で話を聞きました。大会議室前には列ができてましたね。
ただ、求人の解禁は七月一日なんですが、求人はこのあと、それこそ翌年の三月まで断続的に入ります。大半の就職希望社は夏休み中に採用試験を受ける会社を決めますので、実は求人票の研究は五月、六月に前の年の求人票でしておく必要があるんです。
仕事をするようになって五年目だから、一九八八年、まさにバブルど真ん中ですね。八月の後半になって求人票を持ってきた会社がありました。ずいぶん砕けた感じの担当者で、この時期だと大半の生徒は受験する企業が決まってしまっていることをお話すると、「誰でもいいから」と言い出しました。
「誰でもいいからいませんか。成績なんてどうでもいいから、日本語が話せれば、イラン人に日本語を教える手間が省けるから。他のことはこっちで仕込むから、行儀が少しくらい悪いやつでもいいから」って言ってました。
『国家と教養』 藤原正彦 新潮新書 ¥ 799 教養なき国民が国を滅ぼす 教養こそが大局観を磨く 大衆文学も教養である |
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バブルが崩壊して、日本の富がアメリカに吸い上げられていきました。キーワードは「グローバル・スタンダード」か。まさにその通り。
アメリカの格付け会社が、日本の銀行や証券会社を格下げして、日本の会社の信用を意図的に落としていきました。トヨタ自動車も、終身雇用制度を採っているという理由で格下げされたそうです。力づくで日本型の会社経営、日本型の資本主義をやめさせよう、自分たちのやり方に従わせようとしたんですね。
この本を読んでいて、自分の仕事人生と照らし合わせて、しみじみ振り返ってしまいます。
金融ビッグバン、BIS規制、郵政民営化、商法・司法・医療制度の改革、労働者派遣法の改革、そういった大改革の背景には、いずれもアメリカの要求があったんですね。
一九九四年から《年次改革要望書》が、毎年、アメリカ側から日本に送られるようになりました。このことは、ずっと国民に隠されていて、二〇〇九年にやっと知らされました。
日本の富をアメリカが吸い上げられるようにするのが、グローバル・スタンダードの本質ですね。小泉純一郎首相、竹中平蔵郵政民営化担当大臣のときが、まさにその真っ只中なんですね。
中小企業が追い込まれ、駅前商店街がシャッター通りと化し、長く続く不況が人身を蝕みました。「人の優しさ、穏やかさ、思いやり、卑怯を憎む心、献身、他社への深い共感と、日本を日本足らしめてきた誇るべき情緒までをも」蝕み始めたと藤原さんは嘆きます。
成果主義が入ってきました。「教育に成果主義はそぐわない」って言われ続けたけど、教育もグローバル・スタンダードに降参しちゃいました。教育も、目に見える成果を求められるようになっちゃったんですよ。そんなわけで、私はバイバイしちゃいました。敵前逃亡って言われりゃそのとおりなんだけど、徒手空拳の年寄じゃどうにもなりません。

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