『死ぬまで歩くには股関節を鍛えなさい』 南雅子
最初、プロローグに四人の方の体験談が載っています。
その中に人工股関節置換手術を受けた方の話がありました。その方が置換手術を受けたのは三〇年前のことだそうです。その頃、人工股関節は八年しか持たないと言われていたそうです。著者の南先生の指導を受けて体のバランスが良くなったせいか、未だにその股関節で生活しているそうです。
三〇年前というと、私も股関節の痛みに悩み始めた時期です。実際、その数年後には山登りを諦めています。もちろん医者にも行きました。左右の足の長さが三センチ近く違っていてバランスが悪かったのですが、「手術するのは早い」というのが医師の判断でした。私は人工股関節の寿命は一〇年と言われました。
その段階で手術すれば、「また手術しなければならなくなる。それももう一度で済むかどうか」
そう言われれば確かにそうで、その当時は常時痛みを感じているという状態ではありませんでした。「これなら、そんなに痛くないはずだ」という医者の言葉には心の底からむかつきましたが、今は手術しないということには同意しました。残されてたのは、時々来る、我慢できないような痛みです。
私は歩けるようになるのが遅かったそうです。歩けるようになってからも、なんかおかしな歩き方をしていると、母方の伯父が気づいて医者にかかったところ、先天性の股関節脱臼だったそうです。しばらくの間、左足のヒザ下から胸まで固めるギブスをしていたそうです。親も哀れに思ったのでしょう。私は二人の兄たちと違って、幼稚園に上げる前の写真がほとんどありません。
数カ月後、私のギブスを外した時、ギブスの石膏が膝に当たっていたらしく、そこからどす黒い血が吹き上げたそうです。母はその時、血の気が引いたそうです。それは問題となるようなものではなく、とりあえず脱臼も治りました。ただ、簡単に脱臼になっちゃうような股関節だったんです。
私と同じ症状で同じ医者にかかっていた律ちゃんという女の子がいたそうです。小学校に上がって同級生になるのですが、律ちゃんは、運動もできましたが、少し足を引いていました。私はそうではありませんでした。なのに母は、なにかって言うと私の足の心配をしていました。
兄たちと同じように少年団のソフトボールをやろうと思った時も、中学校でサッカー部に入ろうとした時も、高校で山岳部に入ろうとした時も、必ず反対しました。「足が痛くなったら、どうするん(秩父弁)」
母は、将来、私の足が必ずいかれることを、医者から言われていたんでしょう。
下山中の岩場で足の痛みが我慢できないほどになって、救助の手を借りました。この遭難で山登りをやめました。それを皮切りに、もう色々なことを諦めてばっかりです。走ることも、自転車も、旅に出ることも諦めました。
痛みを感じる頻度は確実に上がってましたし、痛みも強くなってましたので、当然医者に行きました。前とは違う医者です。でも、言われたのは、ほぼ前と同じでした。
一年ほどして、再度、違う医者にかかりました。「よく我慢しましたね。すぐ手術しましょう」と言われた時は、・・・涙がこぼれそうでした。


最後の一年で、私の股関節は急激に悪い状況になっていたのは確かなことのようです。骨頭という部分が崩壊したら、もう一生車椅子ですよと言われました。なんとか仕事をやりくりして、その半年後に手術をしました。
医者はこの手術を出来る限り、年齢が行ってから受けさせようとしていました。人工股関節にも寿命があるからでしょう。ただ、私の足を手術してくれた先生は、「早く受けて、痛みのない、健康な毎日を送ったほうがいい」という考えでした。医療の技術もどんどん進歩していて、人工股関節の寿命も伸びている事もあったんだろうと思います。
もしも三〇代で手術を受けていれば、そのまま山を続けて、その間に医療技術が進歩して、五〇代でもう一度手術を受けて山に登って、また七〇代で手術を受けて山に登っていたかもしれません。
二〇一六年一〇月二七日に人工股関節置換手術を受けました。もうすぐ三年です。最初はただ歩いているだけで大転倒していましたが、今はそんな事もなくなりました。今では、週一の山歩きは、私の生活には欠かせません。山に行くがために、ちょっと早めに仕事もやめちゃいました。
痛みは全くありません。
朝走ってますし、山にも登っていますし、予定よりも少し早めに摩耗して、いずれはまた、手術をしなければならなくなるかもしれません。でも今度は、それを恐れて山に登るのを諦めることはありません。
長々と、私事を書いてしまいましたが、この本は変形性股関節症をどうこうしようという本ではありません。誰にとっても、股関節をバランスよく鍛えることが、健康寿命を確実に伸ばすことにつながるということを広めようという本です。
ストレッチや歩き方にしても、毎日の運動を欠かさない私には、少しまどろっこしい。読者の対象は、七〇代くらいに設定されているのかもしれません。
それにしても、そんなにも健康寿命に関係する股関節を整えることの大事なところは、ごくごく単純なことの積み重ねにあるようです。
その中に人工股関節置換手術を受けた方の話がありました。その方が置換手術を受けたのは三〇年前のことだそうです。その頃、人工股関節は八年しか持たないと言われていたそうです。著者の南先生の指導を受けて体のバランスが良くなったせいか、未だにその股関節で生活しているそうです。
三〇年前というと、私も股関節の痛みに悩み始めた時期です。実際、その数年後には山登りを諦めています。もちろん医者にも行きました。左右の足の長さが三センチ近く違っていてバランスが悪かったのですが、「手術するのは早い」というのが医師の判断でした。私は人工股関節の寿命は一〇年と言われました。
その段階で手術すれば、「また手術しなければならなくなる。それももう一度で済むかどうか」
そう言われれば確かにそうで、その当時は常時痛みを感じているという状態ではありませんでした。「これなら、そんなに痛くないはずだ」という医者の言葉には心の底からむかつきましたが、今は手術しないということには同意しました。残されてたのは、時々来る、我慢できないような痛みです。
私は歩けるようになるのが遅かったそうです。歩けるようになってからも、なんかおかしな歩き方をしていると、母方の伯父が気づいて医者にかかったところ、先天性の股関節脱臼だったそうです。しばらくの間、左足のヒザ下から胸まで固めるギブスをしていたそうです。親も哀れに思ったのでしょう。私は二人の兄たちと違って、幼稚園に上げる前の写真がほとんどありません。
数カ月後、私のギブスを外した時、ギブスの石膏が膝に当たっていたらしく、そこからどす黒い血が吹き上げたそうです。母はその時、血の気が引いたそうです。それは問題となるようなものではなく、とりあえず脱臼も治りました。ただ、簡単に脱臼になっちゃうような股関節だったんです。
私と同じ症状で同じ医者にかかっていた律ちゃんという女の子がいたそうです。小学校に上がって同級生になるのですが、律ちゃんは、運動もできましたが、少し足を引いていました。私はそうではありませんでした。なのに母は、なにかって言うと私の足の心配をしていました。
兄たちと同じように少年団のソフトボールをやろうと思った時も、中学校でサッカー部に入ろうとした時も、高校で山岳部に入ろうとした時も、必ず反対しました。「足が痛くなったら、どうするん(秩父弁)」
母は、将来、私の足が必ずいかれることを、医者から言われていたんでしょう。
下山中の岩場で足の痛みが我慢できないほどになって、救助の手を借りました。この遭難で山登りをやめました。それを皮切りに、もう色々なことを諦めてばっかりです。走ることも、自転車も、旅に出ることも諦めました。
痛みを感じる頻度は確実に上がってましたし、痛みも強くなってましたので、当然医者に行きました。前とは違う医者です。でも、言われたのは、ほぼ前と同じでした。
一年ほどして、再度、違う医者にかかりました。「よく我慢しましたね。すぐ手術しましょう」と言われた時は、・・・涙がこぼれそうでした。
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最後の一年で、私の股関節は急激に悪い状況になっていたのは確かなことのようです。骨頭という部分が崩壊したら、もう一生車椅子ですよと言われました。なんとか仕事をやりくりして、その半年後に手術をしました。
医者はこの手術を出来る限り、年齢が行ってから受けさせようとしていました。人工股関節にも寿命があるからでしょう。ただ、私の足を手術してくれた先生は、「早く受けて、痛みのない、健康な毎日を送ったほうがいい」という考えでした。医療の技術もどんどん進歩していて、人工股関節の寿命も伸びている事もあったんだろうと思います。
もしも三〇代で手術を受けていれば、そのまま山を続けて、その間に医療技術が進歩して、五〇代でもう一度手術を受けて山に登って、また七〇代で手術を受けて山に登っていたかもしれません。
二〇一六年一〇月二七日に人工股関節置換手術を受けました。もうすぐ三年です。最初はただ歩いているだけで大転倒していましたが、今はそんな事もなくなりました。今では、週一の山歩きは、私の生活には欠かせません。山に行くがために、ちょっと早めに仕事もやめちゃいました。
痛みは全くありません。
朝走ってますし、山にも登っていますし、予定よりも少し早めに摩耗して、いずれはまた、手術をしなければならなくなるかもしれません。でも今度は、それを恐れて山に登るのを諦めることはありません。
長々と、私事を書いてしまいましたが、この本は変形性股関節症をどうこうしようという本ではありません。誰にとっても、股関節をバランスよく鍛えることが、健康寿命を確実に伸ばすことにつながるということを広めようという本です。
ストレッチや歩き方にしても、毎日の運動を欠かさない私には、少しまどろっこしい。読者の対象は、七〇代くらいに設定されているのかもしれません。
それにしても、そんなにも健康寿命に関係する股関節を整えることの大事なところは、ごくごく単純なことの積み重ねにあるようです。

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