『季語を知る』 片山由美子
高校三年の8月、夏休みも終盤に入ろうという頃、私は受験勉強から逃げ出しました。
「ちょっと山に行ってくる」と言ってでかけた先は、北アルプスの涸沢です。山岳部の一番小さいテントを持ち出して、それを張って、周辺の山を・・・、何ていうのかな。登るとか、山頂を極めるとかじゃないんですね。フラフラしてたんです。3日目、ヒュッテに幕営料を払いに小屋に行ったら声をかけられて、忙しい時間帯だけ手伝いをさせてもらったりもしました。もとがバカなもんですから、そのうち自分の立場も忘れて・・・、いや、分かっていたのに忘れたことにしておいて、涸沢に居続けました。
ある朝、朝食後の片付けも終わってお客さんを送り出し、ヒュッテから出て青く晴れた空に向けてそそり立つ山を見ていると、何かそれまでとは違う、爽やかな風が吹きました。ヒュッテに戻ってカレンダーを確認すると、その日は9月3日でした。
まあ、分かっていたことなんですが、逃げ回るのもそのへんが限界で、その日のうちに埼玉に帰りました。涸沢にいたのは、10日間だけでした。
あの風は、明らかに夏の終わりを感じさせるものでした。
それ以来、何よりもあのときと同じ爽やかな風と高い空に秋を感じます。
この本にも、秋の季語として、高い空が取り上げられています。“秋高し”、“天高し”と使われてるケースが多いそうです。「天高し、馬肥ゆる秋」という言葉がありますね。これは秋の爽やかさを称える言葉ではないんだそうです。「馬が肥える秋が来た。臭覚を狙って騎馬民族が侵入してくるぞ」という警戒の言葉だそうです。
ここで言ってる騎馬民族とは匈奴でしょうか、鮮卑でしょうか。いずれにせよ、警戒している側は、長城の内側に住む農耕民に違いありません。つまり、“中国”の話です。“中国”では古代において、すでに高い空に秋を感じていたんですね。
なんて考えながら読んでいたら、この本にはそのことについて書かれていました。たとえば『漢書』です。その中の《趙充国伝》に「到秋馬肥変必起矣」(秋に到れば馬肥ゆ、変必ず起こらん)とあるそうです。これから「到秋馬肥」という言葉が生まれ、「秋高馬肥」として伝わったんだそうです。
さらに、同じく『漢書』の《匈奴伝》には、「匈奴は秋に至って、馬肥え弓勁し」とあるそうです。騎馬民族は、どうやら匈奴だったようですね。


俳句をやってみたいって、ずっと思ってて、なんか俳句を始めるにふさわしい本でもあればと、そのたびに読んで見るんだけど、いつもそれきりで終わってしまうんです。本気さが足りないんですね。
実は、この本もそんな、“本気さが足りない”適当な気持ちで買ってみたんです。しかし、“本気さの足りない”私のような者が読む本ではありませんでした。
季語を、それが季語として認識されるようになった時期にさかのぼって、古典で、時には“中国”の故事に求めて、どのように使われていたのかということを考証していこうという取り組みをまとめたのがこの本です。
上記の、「秋高し」にしたって、『漢書』にさかのぼって、北方騎馬民族匈奴の農耕地帯への侵入に、その源を求めることになったわけです。同じように、宇宙の底を見つめているかのようにどこまでも高い空に秋の到来を感じたとしても、それは匈奴侵入の脅威に直結する言葉だったわけです。「秋の到来」までは同じでも、そこから引き出されるのが、「爽やかさ」だったり、「実り」であったりする日本人とは違うもんです。
この本は、そこまで求めます。この本を入門書として俳句に入ろうというのは、ちょっとふさわしくなかったみたいです。
それにしても、「秋高し」ということがから「脅威」を思い起こした人々の感情は、高い空と爽やかな風に大学受験の現実に引き戻された私の状況に近いような気がするんですが・・・。
もう一つ、秋といえばさんま。不漁と言われながらも、スーパーで見かけるようになりました。それでもまだ高いですね。昨日は1尾200円で売ってました。150円を切ったら買ってみようかな。どうせだったら、河原に行って炭火で焼いて食べたいな。
いつ食おう 今日のさんまは 200円
「ちょっと山に行ってくる」と言ってでかけた先は、北アルプスの涸沢です。山岳部の一番小さいテントを持ち出して、それを張って、周辺の山を・・・、何ていうのかな。登るとか、山頂を極めるとかじゃないんですね。フラフラしてたんです。3日目、ヒュッテに幕営料を払いに小屋に行ったら声をかけられて、忙しい時間帯だけ手伝いをさせてもらったりもしました。もとがバカなもんですから、そのうち自分の立場も忘れて・・・、いや、分かっていたのに忘れたことにしておいて、涸沢に居続けました。
ある朝、朝食後の片付けも終わってお客さんを送り出し、ヒュッテから出て青く晴れた空に向けてそそり立つ山を見ていると、何かそれまでとは違う、爽やかな風が吹きました。ヒュッテに戻ってカレンダーを確認すると、その日は9月3日でした。
まあ、分かっていたことなんですが、逃げ回るのもそのへんが限界で、その日のうちに埼玉に帰りました。涸沢にいたのは、10日間だけでした。
あの風は、明らかに夏の終わりを感じさせるものでした。
それ以来、何よりもあのときと同じ爽やかな風と高い空に秋を感じます。
この本にも、秋の季語として、高い空が取り上げられています。“秋高し”、“天高し”と使われてるケースが多いそうです。「天高し、馬肥ゆる秋」という言葉がありますね。これは秋の爽やかさを称える言葉ではないんだそうです。「馬が肥える秋が来た。臭覚を狙って騎馬民族が侵入してくるぞ」という警戒の言葉だそうです。
ここで言ってる騎馬民族とは匈奴でしょうか、鮮卑でしょうか。いずれにせよ、警戒している側は、長城の内側に住む農耕民に違いありません。つまり、“中国”の話です。“中国”では古代において、すでに高い空に秋を感じていたんですね。
なんて考えながら読んでいたら、この本にはそのことについて書かれていました。たとえば『漢書』です。その中の《趙充国伝》に「到秋馬肥変必起矣」(秋に到れば馬肥ゆ、変必ず起こらん)とあるそうです。これから「到秋馬肥」という言葉が生まれ、「秋高馬肥」として伝わったんだそうです。
さらに、同じく『漢書』の《匈奴伝》には、「匈奴は秋に至って、馬肥え弓勁し」とあるそうです。騎馬民族は、どうやら匈奴だったようですね。
『季語を知る』 片山由美子 角川選書 ¥ 1,728 季語の歴史と本意を古今の歳時記を比較しながら丹念に考察 秀逸にして野心的「季語論」! |
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俳句をやってみたいって、ずっと思ってて、なんか俳句を始めるにふさわしい本でもあればと、そのたびに読んで見るんだけど、いつもそれきりで終わってしまうんです。本気さが足りないんですね。
実は、この本もそんな、“本気さが足りない”適当な気持ちで買ってみたんです。しかし、“本気さの足りない”私のような者が読む本ではありませんでした。
季語を、それが季語として認識されるようになった時期にさかのぼって、古典で、時には“中国”の故事に求めて、どのように使われていたのかということを考証していこうという取り組みをまとめたのがこの本です。
上記の、「秋高し」にしたって、『漢書』にさかのぼって、北方騎馬民族匈奴の農耕地帯への侵入に、その源を求めることになったわけです。同じように、宇宙の底を見つめているかのようにどこまでも高い空に秋の到来を感じたとしても、それは匈奴侵入の脅威に直結する言葉だったわけです。「秋の到来」までは同じでも、そこから引き出されるのが、「爽やかさ」だったり、「実り」であったりする日本人とは違うもんです。
この本は、そこまで求めます。この本を入門書として俳句に入ろうというのは、ちょっとふさわしくなかったみたいです。
それにしても、「秋高し」ということがから「脅威」を思い起こした人々の感情は、高い空と爽やかな風に大学受験の現実に引き戻された私の状況に近いような気がするんですが・・・。
もう一つ、秋といえばさんま。不漁と言われながらも、スーパーで見かけるようになりました。それでもまだ高いですね。昨日は1尾200円で売ってました。150円を切ったら買ってみようかな。どうせだったら、河原に行って炭火で焼いて食べたいな。
いつ食おう 今日のさんまは 200円

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