『ぐるぐる山想記』 鈴木みき
頭の中が昭和なので、本来、糾弾されても仕方がないたぐいの人間です。
子どもが悪いことをしたら叱るべきだと思っているし、指導者の立場で若い人たちに手を上げたこともあります。ただ、もちろんのことですが、私が子どもの立場であったことも、指導される若い者であったこともあったわけです。その頃に受けた理不尽な思いは人にした覚えはないんですが、最近の世間の風潮を見れば、私は確かに糾弾され、排斥される側の人間です。
ただ、自分が一方的に悪いとは思っておりません。悪いとは思っておりませんが、そんな世間に角を立てたり、流されたりするのはまっぴらです。結局、そんな風潮にはとてもついていけないので、逃げるようにして仕事をやめました。別の次元に生きることができるわけじゃありませんけど、距離を置くことはできそうです。平成、令和のお手並み拝見です。
そんな風に吹っ切れたのは、やっぱり“山”があったからだと思います。股関節痛で山に行かないでいた二十数年があって、山を再開した時期と、世間の風潮の変化が我が身に及び始めた時期が微妙に重なっていたこともあったと思います。いずれにせよ、山に登れる人間で良かったと思います。
山を離れる前の若い頃だって、特別、強かったわけじゃありません。「お前、下りは強いね」と言われたことはあります。そのうち、下山家を自称するようになってました。
頂きばかりを目指した時期もありますが、どっちかといえば、山に居たかった方です。地図にない道があると、いつもじゃありませんが、ついつい入ってみたくなったりします。ピンクのテープなんかが続いていて、なんか意味ありげなことってありますよね。たどっていったら崖みたいなところだったり、ものすごく急な斜面だったり。沢登りの人がつけたマークとか、山仕事の人が杉の伐採のためにつけたマークとかいろいろありますからね。
安曇潤平さんの『山の霊異記』のなかに、同じようなのがありました。同じように入っていったら藪が深くなって、藪を抜けたと思ったら崖で、危うく落ちそうになるんです。すんでのところで踏みとどまったら、藪の影から、「ちぇっ!」って舌打ちが聞こえたなんてのがありました。・・・怖いですね。
話が変な方に行っちゃいましたけど、山の中で時間を過ごすのが好きです。


山を離れている間は、山のことは一切遠ざけておりました。目に付く装備はゴミに出したし、本も読まなかったし、・・・山に関わるテレビ番組にも、心がけて遠ざけておりました。
ついつい見ちゃったのがNHKでやってた《グレートトラバース ~日本百名山一筆書き踏破~》でした。二〇一四年のことです。この頃は股関節の痛みが強くなって、靴下は履けないわ、まともに座れないわ。家庭でも、職場である学校でも、杖を手放せない状況になっている頃です。
まだ心は決まっていなかったものの、痛みが強くなっただけに手術が近いことをどこかで感じ始めてたんでしょうか。その番組を見ながら、いつの間にか、心のどこかで、「痛みがなくなったら山に登る」っていう気持ちが強くなっていったんです。
手術を受けたのは二〇一六年の一〇月末ですから、そこからまだ、二年ほど時間が必要だったんですけどね。
手術に向かうときに、病院に本を持ち込みました。山の本を持ち込もうと思いましたが、山の本の世界がどうなっているかさっぱり分かりません。新田次郎の本は軒並み読んでましたが、そこから先は一切分かりません。
結局、山の本で持ち込めたのは、目についた『神々の山稜』くらいのもんだったでしょうか。
退院後、山に登れるようになりました。手術をしても山に登れるようにならなければ、それで終わっていたでしょうけどね。登れるようになったので、二十数年間に山の本の世界もだいぶ様変わりしていることが分かりました。
この本の著者、鈴木みきさんが山に惹かれるようになった頃は、私は山から離れてました。そのため、鈴木さんの本を手にするたびに、そのヤマトの関わり方を、とても新鮮に感じました。
こういう肩肘張らない山との楽な関わり方っていうのは、とてもいいですね。以前の私には、こういう山の楽しみ方っていうのはできませんでした。だけど、私の中にもそれを求める気持ちがあったんです。それもかなり濃厚に。だから、鈴木さんの本を手にするたびに、山に行くのが楽になります。
助かりますね。あくまでも、糾弾される側の人間ではありますが・・・。
子どもが悪いことをしたら叱るべきだと思っているし、指導者の立場で若い人たちに手を上げたこともあります。ただ、もちろんのことですが、私が子どもの立場であったことも、指導される若い者であったこともあったわけです。その頃に受けた理不尽な思いは人にした覚えはないんですが、最近の世間の風潮を見れば、私は確かに糾弾され、排斥される側の人間です。
ただ、自分が一方的に悪いとは思っておりません。悪いとは思っておりませんが、そんな世間に角を立てたり、流されたりするのはまっぴらです。結局、そんな風潮にはとてもついていけないので、逃げるようにして仕事をやめました。別の次元に生きることができるわけじゃありませんけど、距離を置くことはできそうです。平成、令和のお手並み拝見です。
そんな風に吹っ切れたのは、やっぱり“山”があったからだと思います。股関節痛で山に行かないでいた二十数年があって、山を再開した時期と、世間の風潮の変化が我が身に及び始めた時期が微妙に重なっていたこともあったと思います。いずれにせよ、山に登れる人間で良かったと思います。
山を離れる前の若い頃だって、特別、強かったわけじゃありません。「お前、下りは強いね」と言われたことはあります。そのうち、下山家を自称するようになってました。
頂きばかりを目指した時期もありますが、どっちかといえば、山に居たかった方です。地図にない道があると、いつもじゃありませんが、ついつい入ってみたくなったりします。ピンクのテープなんかが続いていて、なんか意味ありげなことってありますよね。たどっていったら崖みたいなところだったり、ものすごく急な斜面だったり。沢登りの人がつけたマークとか、山仕事の人が杉の伐採のためにつけたマークとかいろいろありますからね。
安曇潤平さんの『山の霊異記』のなかに、同じようなのがありました。同じように入っていったら藪が深くなって、藪を抜けたと思ったら崖で、危うく落ちそうになるんです。すんでのところで踏みとどまったら、藪の影から、「ちぇっ!」って舌打ちが聞こえたなんてのがありました。・・・怖いですね。
話が変な方に行っちゃいましたけど、山の中で時間を過ごすのが好きです。
『ぐるぐる山想記』 鈴木みき 交通新聞社 ¥ 1,296 なんで山に登るのだろう? 山好きイラストレーターが考えるななめ45°からの山絵ッセイ |
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山を離れている間は、山のことは一切遠ざけておりました。目に付く装備はゴミに出したし、本も読まなかったし、・・・山に関わるテレビ番組にも、心がけて遠ざけておりました。
ついつい見ちゃったのがNHKでやってた《グレートトラバース ~日本百名山一筆書き踏破~》でした。二〇一四年のことです。この頃は股関節の痛みが強くなって、靴下は履けないわ、まともに座れないわ。家庭でも、職場である学校でも、杖を手放せない状況になっている頃です。
まだ心は決まっていなかったものの、痛みが強くなっただけに手術が近いことをどこかで感じ始めてたんでしょうか。その番組を見ながら、いつの間にか、心のどこかで、「痛みがなくなったら山に登る」っていう気持ちが強くなっていったんです。
手術を受けたのは二〇一六年の一〇月末ですから、そこからまだ、二年ほど時間が必要だったんですけどね。
手術に向かうときに、病院に本を持ち込みました。山の本を持ち込もうと思いましたが、山の本の世界がどうなっているかさっぱり分かりません。新田次郎の本は軒並み読んでましたが、そこから先は一切分かりません。
結局、山の本で持ち込めたのは、目についた『神々の山稜』くらいのもんだったでしょうか。
退院後、山に登れるようになりました。手術をしても山に登れるようにならなければ、それで終わっていたでしょうけどね。登れるようになったので、二十数年間に山の本の世界もだいぶ様変わりしていることが分かりました。
この本の著者、鈴木みきさんが山に惹かれるようになった頃は、私は山から離れてました。そのため、鈴木さんの本を手にするたびに、そのヤマトの関わり方を、とても新鮮に感じました。
こういう肩肘張らない山との楽な関わり方っていうのは、とてもいいですね。以前の私には、こういう山の楽しみ方っていうのはできませんでした。だけど、私の中にもそれを求める気持ちがあったんです。それもかなり濃厚に。だから、鈴木さんの本を手にするたびに、山に行くのが楽になります。
助かりますね。あくまでも、糾弾される側の人間ではありますが・・・。

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