カリエール『欲望の名画』 中野京子
物事の主題となる様々な出来事は、すでに私から遠ざかっていきました。父母を思おうにもすでに亡く、故郷さえ遠ざかって、もう思い出の中にしか存在しません。子らはなんとか無事育ち、すでに手元には居りません。楽しいことも、苦しいこともあったけど、全部、通り過ぎたこと。
そうは言っても、今日取り上げた、死を間近にした子を描いた絵なんか見ると、やはり心が締め付けられる。そうそう、キャンプ場から消えてしまった子は、一体どうしちゃったんだろう。
ウジェーヌ・カリエールという画家のことを、私は知りませんでした。
「靄のかかったような独特の絵画手法」で知られる画家さんだそうです。彫刻家のロダン、作家のドーテらと親交があり、著名人の肖像画を多く書いたことで知られる人物なんだそうです。彼の残した肖像画には、ロダン、ドーテに加え、詩人のヴェルレーヌ、政治家のクレマンソーのものもあるそうです。
インターネットで彼の作品を見ると、それらの肖像画にしても、たしかに靄のかかっったような、なんとなく輪郭をぼやかしたような絵です。そして彼が好んで書いたもう一つのモチーフが、母子像だそうです。
この本で取り上げられているのは、『病気の子供』という作品です。
この絵を見るたびに胸が疼くのは、伝統的絵画に於いて腕をだらりと下げた表現が「死」を表すからだ。眠りと死を区別する一種の絵画用語で、ピエタに典型的に見られる。
つまり本作の子どもにも、すでに死は定められているのだ。幼いながら、いや、幼いだけにいっそう鋭く本能的に死を悟った子どもは、すでに生存のための戦いから身を引いている。母も敏感にそれを感じ取っている。母の服は喪を想起させる黒、子は死装束の白を身にまとう。
そしてーそれがまたいっそう哀切なのだが、ー半ばもう天使となったこの幼い子は、母の悲しみを少しでも慰めようとして、小さな手でそっと彼女の頬を撫でる。母が子を思う以上に、子はいじらしいまでに母を思いやり、懸命に伝えようとするのだ。ママ、泣かないで。大丈夫だよ。死ぬのは怖くない・・・。》
こんな風に解説されたら、この絵を見たくてたまらなくなってしまいます。・・・うう、オルセー美術館。フランスか。日本でもカリエール展をやってたことがあるようです。二〇一六年ですか。


この絵が描かれた一八八五年、カリエールの第二子で、長男のレオンが三歳で病死しているんだそうです。その子と、その母を、カリエールは描いたんですね。
絵をご覧いただいてもお分かりの通り、やはりこの絵もカリエール独特の靄で、その輪郭はぼやかされています。著者は、この神秘的な靄は、慈雨のように母子を包んでいるといっています。
「抱」という字は手偏に「包」と書きます。「抱く」ということは、手で「包む」こと。さらに「包」という字は、子宮の中に胎児がいる形からできています。子宮の中で「包まれ」て生きてきたいのちは、親たちによって「抱かれ」て育てられます。これももちろん、この本からの受け売りです。
神秘的な靄に、カリエールはそんな思いをかけていたんでしょうか。
長生きすれば、その分だけ悲しい思いをたくさんすることになります。でも、楽しい思いもたくさんすることになります。少しでも楽しいことを増やして、悲しいことを減らしましょう。
子どものことは、今でも心配です。いくつになっても子は子ですからね。その子どもも人の親になって、子育ての大変な様子を見ていると、なんとかしてやりたいと思うんですが、でも、我慢をしています。
おじいちゃんは論外ですが、おばあちゃんが子どもを抱いていている婆子像に人が心を動かされることも、おそらくないでしょうから。
そうは言っても、今日取り上げた、死を間近にした子を描いた絵なんか見ると、やはり心が締め付けられる。そうそう、キャンプ場から消えてしまった子は、一体どうしちゃったんだろう。
ウジェーヌ・カリエールという画家のことを、私は知りませんでした。
「靄のかかったような独特の絵画手法」で知られる画家さんだそうです。彫刻家のロダン、作家のドーテらと親交があり、著名人の肖像画を多く書いたことで知られる人物なんだそうです。彼の残した肖像画には、ロダン、ドーテに加え、詩人のヴェルレーヌ、政治家のクレマンソーのものもあるそうです。
インターネットで彼の作品を見ると、それらの肖像画にしても、たしかに靄のかかっったような、なんとなく輪郭をぼやかしたような絵です。そして彼が好んで書いたもう一つのモチーフが、母子像だそうです。
この本で取り上げられているのは、『病気の子供』という作品です。
《黒髪の若い母は、涙をこぼすまいとするように固く目をつぶる。病気の子の背にまわした左手の美しさと結婚指輪が際立つ。病気は重い。どんどん悪化してゆく。神さま、どうか私からこの子を取り上げないでくださいまし。 | ![]() |
つまり本作の子どもにも、すでに死は定められているのだ。幼いながら、いや、幼いだけにいっそう鋭く本能的に死を悟った子どもは、すでに生存のための戦いから身を引いている。母も敏感にそれを感じ取っている。母の服は喪を想起させる黒、子は死装束の白を身にまとう。
そしてーそれがまたいっそう哀切なのだが、ー半ばもう天使となったこの幼い子は、母の悲しみを少しでも慰めようとして、小さな手でそっと彼女の頬を撫でる。母が子を思う以上に、子はいじらしいまでに母を思いやり、懸命に伝えようとするのだ。ママ、泣かないで。大丈夫だよ。死ぬのは怖くない・・・。》
こんな風に解説されたら、この絵を見たくてたまらなくなってしまいます。・・・うう、オルセー美術館。フランスか。日本でもカリエール展をやってたことがあるようです。二〇一六年ですか。
『欲望の名画』 中野京子 文春新書 ¥ 1,078 隠された意味を紹介し、画家の意図や時代背景を読み解いてきた中野京子の最新刊 |
|
この絵が描かれた一八八五年、カリエールの第二子で、長男のレオンが三歳で病死しているんだそうです。その子と、その母を、カリエールは描いたんですね。
絵をご覧いただいてもお分かりの通り、やはりこの絵もカリエール独特の靄で、その輪郭はぼやかされています。著者は、この神秘的な靄は、慈雨のように母子を包んでいるといっています。
「抱」という字は手偏に「包」と書きます。「抱く」ということは、手で「包む」こと。さらに「包」という字は、子宮の中に胎児がいる形からできています。子宮の中で「包まれ」て生きてきたいのちは、親たちによって「抱かれ」て育てられます。これももちろん、この本からの受け売りです。
神秘的な靄に、カリエールはそんな思いをかけていたんでしょうか。
長生きすれば、その分だけ悲しい思いをたくさんすることになります。でも、楽しい思いもたくさんすることになります。少しでも楽しいことを増やして、悲しいことを減らしましょう。
子どものことは、今でも心配です。いくつになっても子は子ですからね。その子どもも人の親になって、子育ての大変な様子を見ていると、なんとかしてやりたいと思うんですが、でも、我慢をしています。
おじいちゃんは論外ですが、おばあちゃんが子どもを抱いていている婆子像に人が心を動かされることも、おそらくないでしょうから。

- 関連記事
-
- インダス文明『逆説の世界史3』 井沢元彦 (2020/01/17)
- 『欲望の名画』 中野京子 (2019/10/11)
- カリエール『欲望の名画』 中野京子 (2019/10/08)
- 『ブルボン朝』 佐藤賢一 (2019/09/16)
- ドイツ『国家と教養』 藤原正彦 (2019/08/24)