万葉仮名『齋藤孝のざっくり!万葉集』 齋藤孝
《和何則能尓 宇米能波奈知流 比佐可多能 阿米欲里由吉能 那何列久流加母》
縄文以来の“やまとことば”を漢字で表現したのが万葉仮名です。その時、日本人は、けっして大陸の言葉の構造は取り入れず、漢字だけを拝借したんですね。
中国文学の専門家の高島俊男さんが、著書『日本人と漢字』の中で、「日本語と漢字はもともと似ても似つかないもの。人間の結婚に例えるなら、「性格の不一致」も甚だしい。ところが長年連れ添ってきた以上、今さら分かれることもできなくなってしまった」って書いておられるそうです。
藤原正彦さんが、『祖国とは国語』っていう本を出してますけど、漢字仮名混じり文で書かれた日本語は、まさに私たちにとって祖国です。
冒頭の漢字の羅列は、万葉仮名で書かれた万葉集の和歌の一首です。大伴旅人の歌だそうです。旅人といえば、万葉集を編纂したとされる家持の父親ですね。藤原氏に目をつけられて大宰府に左遷されて、なんだか酒に溺れた歌を残してますよね。最後は屈したものの、“反藤原”は家持にも引き継がれて、万葉集にはそんな色合いが込められているとか。
ごめんなさい。冒頭の一首ですね。著者の齋藤さんは「一字一音だし、有名な歌なので比較的読みやすい」っていうけど、私には充分難しかったです。
漢字仮名混じり文だと、次のようになります。
《わが園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも》
どうも、万葉仮名というのは、平安時代には、すでに読めなくなっていたらしいですよ。万葉集は万葉仮名で書かれているわけですよね。成立が奈良時代末でしょ。家持の時代ですから。「鳴くようぐいす平安京」で、平安京遷都が794年です。斎藤さんは10世紀には読めなくなっていたと言ってますから、百年余りの間に忘れられていったということです。
10世紀初頭に完成した古今和歌集にはひらがなが使われているので、万葉仮名はそのあたりで急速に衰退したんですね。
その万葉仮名を丹念に解読し、私たちが万葉集に触れることができるようにしてくれたのが、江戸時代中期の国学者、賀茂真淵大先生ということです。賀茂真淵が万葉仮名で書かれた万葉集を解読し、後継者の本居宣長が古事記の研究を大成させてくれました。さらに折口信夫が、漢字仮名混じり文に口語訳をつけた『口訳万葉集』を出してくれたおかげで、万葉集は広く普及していったんだそうです。


《石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨》
万葉仮名は、冒頭の一首のように音読みもしますが、同時に訓読みもするんですね。そこから、漢字仮名混じり文が生まれるんでしょう。だから、上の一首なんかは、漢字万葉仮名混じり文ということになるでしょうか。志貴皇子の歌ですね。
《石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に なりにけるかも》
“激”を「はしる」ってところが味噌ですね。“激”には「そそぐ」っていう読みも、昔はあったんだそうですよ。これを「そそぐ」って読むと、垂水はちょろちょろと垂れるように流れる水ってことになります。「はしる」って読むと、やはり、小さな滝のように激しい流れになりますね。斎藤茂吉は『万葉秀歌』の中で、「ここはこう読みたい」って、そんな言い方で後者を推奨しているんだそうです。
《東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡》
これになると、もう、最初から最後まで「こう読みたい」 の連続みたいな感じですね。
《東の 野に炎の 立つ見えて かえり見すれば 月傾きぬ》
異説もあるそうですが、私もこれが好きです。それにしても、“月西渡”を「月傾きぬ」って読むのって、なんか素敵ですね。
万葉集には防人の歌や東歌があります。庶民の歌ですよね。彼らが万葉仮名を操れたなんて、到底考えられません。誰がこれらの歌を収集したのか知りませんが、収集して、後に万葉仮名としての漢字を当てたわけでしょう。漢字を当てるまでは文字になってないわけですから、覚えていなきゃいけないわけでしょう。録音器具のある今とは違いますからね。
万葉集は4500を越える和歌があるんだから、それを思うと、本当にすごい財産を、私たち日本人は持ってるもんですね。
縄文以来の“やまとことば”を漢字で表現したのが万葉仮名です。その時、日本人は、けっして大陸の言葉の構造は取り入れず、漢字だけを拝借したんですね。
中国文学の専門家の高島俊男さんが、著書『日本人と漢字』の中で、「日本語と漢字はもともと似ても似つかないもの。人間の結婚に例えるなら、「性格の不一致」も甚だしい。ところが長年連れ添ってきた以上、今さら分かれることもできなくなってしまった」って書いておられるそうです。
藤原正彦さんが、『祖国とは国語』っていう本を出してますけど、漢字仮名混じり文で書かれた日本語は、まさに私たちにとって祖国です。
冒頭の漢字の羅列は、万葉仮名で書かれた万葉集の和歌の一首です。大伴旅人の歌だそうです。旅人といえば、万葉集を編纂したとされる家持の父親ですね。藤原氏に目をつけられて大宰府に左遷されて、なんだか酒に溺れた歌を残してますよね。最後は屈したものの、“反藤原”は家持にも引き継がれて、万葉集にはそんな色合いが込められているとか。
ごめんなさい。冒頭の一首ですね。著者の齋藤さんは「一字一音だし、有名な歌なので比較的読みやすい」っていうけど、私には充分難しかったです。
漢字仮名混じり文だと、次のようになります。
《わが園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも》
どうも、万葉仮名というのは、平安時代には、すでに読めなくなっていたらしいですよ。万葉集は万葉仮名で書かれているわけですよね。成立が奈良時代末でしょ。家持の時代ですから。「鳴くようぐいす平安京」で、平安京遷都が794年です。斎藤さんは10世紀には読めなくなっていたと言ってますから、百年余りの間に忘れられていったということです。
10世紀初頭に完成した古今和歌集にはひらがなが使われているので、万葉仮名はそのあたりで急速に衰退したんですね。
その万葉仮名を丹念に解読し、私たちが万葉集に触れることができるようにしてくれたのが、江戸時代中期の国学者、賀茂真淵大先生ということです。賀茂真淵が万葉仮名で書かれた万葉集を解読し、後継者の本居宣長が古事記の研究を大成させてくれました。さらに折口信夫が、漢字仮名混じり文に口語訳をつけた『口訳万葉集』を出してくれたおかげで、万葉集は広く普及していったんだそうです。
『齋藤孝のざっくり!万葉集』 齋藤孝 祥伝社 ¥ 1,650 令和の時代だから知っておきたい教養。古代の歴史・万葉仮名・鑑賞ポイント・万葉人の暮らし…。 |
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《石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨》
万葉仮名は、冒頭の一首のように音読みもしますが、同時に訓読みもするんですね。そこから、漢字仮名混じり文が生まれるんでしょう。だから、上の一首なんかは、漢字万葉仮名混じり文ということになるでしょうか。志貴皇子の歌ですね。
《石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に なりにけるかも》
“激”を「はしる」ってところが味噌ですね。“激”には「そそぐ」っていう読みも、昔はあったんだそうですよ。これを「そそぐ」って読むと、垂水はちょろちょろと垂れるように流れる水ってことになります。「はしる」って読むと、やはり、小さな滝のように激しい流れになりますね。斎藤茂吉は『万葉秀歌』の中で、「ここはこう読みたい」って、そんな言い方で後者を推奨しているんだそうです。
《東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡》
これになると、もう、最初から最後まで「こう読みたい」 の連続みたいな感じですね。
《東の 野に炎の 立つ見えて かえり見すれば 月傾きぬ》
異説もあるそうですが、私もこれが好きです。それにしても、“月西渡”を「月傾きぬ」って読むのって、なんか素敵ですね。
万葉集には防人の歌や東歌があります。庶民の歌ですよね。彼らが万葉仮名を操れたなんて、到底考えられません。誰がこれらの歌を収集したのか知りませんが、収集して、後に万葉仮名としての漢字を当てたわけでしょう。漢字を当てるまでは文字になってないわけですから、覚えていなきゃいけないわけでしょう。録音器具のある今とは違いますからね。
万葉集は4500を越える和歌があるんだから、それを思うと、本当にすごい財産を、私たち日本人は持ってるもんですね。

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