『名作で楽しむ上高地』 大森久雄編
芥川龍之介は、島々から徳本峠を越えて行ったのか。
まあ、当時はそれ以外になかったんだから、当たり前ですけどね。
私がはじめて上高地に入ったのは、高校一年のときでした。中学三年の時に、新田次郎の『孤高の人』を読んで、高校では山岳部に入った私は、その年の、山岳部の夏合宿で上高地に行きました。コースは富山からです。富山に着いたのは朝でした。名物だという《鱒の寿し》を買って朝ごはんにしました。《鱒の寿し》は、こんなうまいもの食ったことないってくらいうまかったです。
折立までバスで行き、そこから太郎平を目指しました。当時の山岳部は、ずいぶん重い荷物を担いでいました。しかも、太郎平までの登りはけっこう厳しいのですが、そこで苦しい思いをした記憶がないんです。少し後、大学の一年の時に、ほとんど遭難に近い大ブレーキを起こすことになるんですが、高校では一切苦しい思いをした記憶がありません。
太郎平にテントを張ったあと、一年生部員だけで薬師岳まで往復しました。先輩や顧問の先生から解放されたこともあって、“何かと話し好き”な新人たちははしゃぎながら薬師岳に登り、その帰り、なにかの記念碑によりかかりながら休んでいるうちに、結局昼寝をしてしまいました。目が冷めてから、それが遭難碑であることに気づき、そこからはお喋りもせず、太郎平まで戻りました。その晩、同じ1年部員のMが、夜中にテントの中でうなされていました。祟られたのは、Mだけで済んだようです。
翌日は、北ノ俣岳を経て黒部五郎岳。息を呑むようなカールの見事さに圧倒され、その日は黒部五郎岳小屋まえデテントを張るものの、この日の景色の見事さに、興奮して、なかなか寝付けませんでした。
それは翌日も同じこと。しかも三俣蓮華を経て双六小屋泊まりという余裕の日程でした。さらに翌日は、槍ヶ岳泊まり。今考えると、頼りない一年坊主に、顧問の先生や先輩方は、ずいぶん気を使ってくれていたんですね。
だから、この日に一度、翌早朝に一度、槍ヶ岳の山頂に立つことができました。槍から下りたら、そのまま上高地まで駆け下りて、小梨平で最後のテント設営。これがはじめての上高地体験でした。


まあ、当時はそれ以外になかったんだから、当たり前ですけどね。
私がはじめて上高地に入ったのは、高校一年のときでした。中学三年の時に、新田次郎の『孤高の人』を読んで、高校では山岳部に入った私は、その年の、山岳部の夏合宿で上高地に行きました。コースは富山からです。富山に着いたのは朝でした。名物だという《鱒の寿し》を買って朝ごはんにしました。《鱒の寿し》は、こんなうまいもの食ったことないってくらいうまかったです。
折立までバスで行き、そこから太郎平を目指しました。当時の山岳部は、ずいぶん重い荷物を担いでいました。しかも、太郎平までの登りはけっこう厳しいのですが、そこで苦しい思いをした記憶がないんです。少し後、大学の一年の時に、ほとんど遭難に近い大ブレーキを起こすことになるんですが、高校では一切苦しい思いをした記憶がありません。
太郎平にテントを張ったあと、一年生部員だけで薬師岳まで往復しました。先輩や顧問の先生から解放されたこともあって、“何かと話し好き”な新人たちははしゃぎながら薬師岳に登り、その帰り、なにかの記念碑によりかかりながら休んでいるうちに、結局昼寝をしてしまいました。目が冷めてから、それが遭難碑であることに気づき、そこからはお喋りもせず、太郎平まで戻りました。その晩、同じ1年部員のMが、夜中にテントの中でうなされていました。祟られたのは、Mだけで済んだようです。
翌日は、北ノ俣岳を経て黒部五郎岳。息を呑むようなカールの見事さに圧倒され、その日は黒部五郎岳小屋まえデテントを張るものの、この日の景色の見事さに、興奮して、なかなか寝付けませんでした。
それは翌日も同じこと。しかも三俣蓮華を経て双六小屋泊まりという余裕の日程でした。さらに翌日は、槍ヶ岳泊まり。今考えると、頼りない一年坊主に、顧問の先生や先輩方は、ずいぶん気を使ってくれていたんですね。
だから、この日に一度、翌早朝に一度、槍ヶ岳の山頂に立つことができました。槍から下りたら、そのまま上高地まで駆け下りて、小梨平で最後のテント設営。これがはじめての上高地体験でした。
『名作で楽しむ上高地』 大森久雄編 ヤマケイ文庫 ¥ 1,100 上高地再発見! 登山家、文学者の紀行・エッセーと歴史エピソードの名作集 |
その夏合宿のあと、先輩に連れられて雁坂峠小屋への歩荷とアルバイトに行き、なんとかそこそこお金をためて、夏休みの間に、もう一度上高地を訪れました。北鎌尾根を目指してです。朝、上高地について、その日は槍沢ロッジ泊まり。翌日、水俣乗越まで行って、この先に行程を考えて、あきらめて、槍ヶ岳に登って帰りました。帰りは、また小梨平のテントを張って、穂高を見ながら、登る山がたくさんあることを、つくづく感じさせられました。
芥川龍之介の槍ヶ岳登山は一度きりで、一高に進んでからは山からはまったく離れてしまい、文学一筋に打ち込んでいったんだそうです。彼にはそちらの方が魅力的だったんでしょうか。
北杜夫は終戦間際、ほとんど人影のない上高地に入ったそうです。やはり徳本峠からだったんでしょう。長い道を歩いて上高地に入ったそうです。彼は、近い将来、本土決戦で玉砕するつもりだったそうです。その前に一度、上高地を歩きたかったと書いています。
当時は上高地重歩き回っても、ほとんど人には合わなかったそうです。そして西穂に登って、稜線上から上高地を見下ろしたとき、そこは公園のように小さく写ったそうです。そこに流れる梓川の清流。・・・これは時を経た今でも分かります。
上に書いたように、高校一年の時に、はじめて上高地を訪れました。山岳部の合宿で行ったもんですから、当時は厳しく指導されていて、記録は細かく取らされました。おかげで、その記録を見ることで、今でもその時の気持ちが蘇ります。
最初の長期合宿での北アルプスでの経験、薬師岳の雄大さ、北ノ俣岳からの北アルプス最深部の山々、黒部五郎のカールの美しさ、槍を目指して進んだ三俣蓮華に双六岳。槍に登るワクワク。上高地のからの穂高。山をあとにする時の切ない気持ち。
この本を読んでいて、ちょっと思い出しちゃいました。
北杜夫は終戦間際、ほとんど人影のない上高地に入ったそうです。やはり徳本峠からだったんでしょう。長い道を歩いて上高地に入ったそうです。彼は、近い将来、本土決戦で玉砕するつもりだったそうです。その前に一度、上高地を歩きたかったと書いています。
当時は上高地重歩き回っても、ほとんど人には合わなかったそうです。そして西穂に登って、稜線上から上高地を見下ろしたとき、そこは公園のように小さく写ったそうです。そこに流れる梓川の清流。・・・これは時を経た今でも分かります。
上に書いたように、高校一年の時に、はじめて上高地を訪れました。山岳部の合宿で行ったもんですから、当時は厳しく指導されていて、記録は細かく取らされました。おかげで、その記録を見ることで、今でもその時の気持ちが蘇ります。
最初の長期合宿での北アルプスでの経験、薬師岳の雄大さ、北ノ俣岳からの北アルプス最深部の山々、黒部五郎のカールの美しさ、槍を目指して進んだ三俣蓮華に双六岳。槍に登るワクワク。上高地のからの穂高。山をあとにする時の切ない気持ち。
この本を読んでいて、ちょっと思い出しちゃいました。

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