ひとり『ひとりで生きる 大人の流儀9』 伊集院静
伊集院静さんにしてみれば、「先生と呼ばれる人種は、表ではそれなりに振る舞うが、密室に入れると何をしでかすか分からない輩」だそうだ。
十把一絡げにそう言われるのは心外だ。たしかに、そういう“先生”もいる。比較的近いところにも、18歳未満の女性と淫らな行為を行いお金を渡した数学の“先生”がクビになった。人のうちの軒先にぶら下がったパンティーを手にかけて、家人に追いかけられて取り押さえられた体育の“先生”もいた。パンティー泥棒でクビになったのは、二人いた。
破廉恥なやつはいくらでもいる。世間にバレるケースもいくらでもある。だけど、“先生”が、そういう破廉恥な事件を起こすとニュースになる。そして、間違いなくクビになる。何かと目立つんだな。
“先生”と呼ばれる昼間の生活からの落差が激しいから面白い。足の引っ張りがいがあるんだろう。
高校の若い男性教員なんてのは、本当に大変だ。17・18の、ちょっと前であれば適齢期の健康な女性が、無防備な状態で、たくさんいるんだから。高度化した現代社会においては、彼女たちは、確かに社会的には未熟であるが、身体的には成熟期に達している。そしてその本能から、より能力の高い子孫を残すために、能力の高い遺伝子を欲する段階に至っている。
教員は教える仕事なので、中でも若い男性教員は、彼女たちにとって“より高い能力を持った遺伝子”なのだ。
かつては、自分の教え子と結婚をした高校教員が多かった。その多くは、真面目に勉強をしてきた方々で、恋愛経験は比較的少なかったろうと思われる先輩方だった。そんな彼らの方から、18歳未満の女性とのみだらな行為に及んだのか。それとも、18歳未満でないことを確認した上で、みだらな行為に及んだのか。お聞きしたことはない。
そんな事を言っている私でも、若い時分には、何度か危険な状況に陥ったものだ。そんな教員に、少しは思いやりを持って接してもらいたい。政治家の“先生”とは違うんだから。
30年をこえて教員として働いてきたが、学生の様子もずいぶん様変わりした。大きな変化の一つは、みんな誰かと一緒なことだ。誰かと一緒なことが、とてつもなく大事なことで、誰かと一緒でないということは、ものすごく大変なことと認識されているらしいということだ。


教員になりたての頃は、それほどでもなかった。
自分たちの頃同様、おかしな奴がけっこういた。“つっぱり”がどうのこうのという時代だったかな。そういう意味で面倒な奴はいたけど、最近に比べると、きわめて分かりやすい時代だった。何しろこちらの声が、彼らにはとどいた。・・・そう私は思っている。彼らにも、信用できる相手の言葉なら受け入れようというゆとりがあった。そのゆとりを、最近の学生からは感じられないことが多くなっていた。
“古いやつだとお思いでしょうが”、一対一で腹を割って話せば、大抵のことはなんとかなるって思ってた。大抵のことはなんとかなった。どうにもならないこともあったけど。言葉尻よりも、腹の中が大事だった。
最近、上司は、学生と一対一にならないことを求めてきていた。女学生に対しての問題ってこともあるが、実は男子に関してももんだいがあった。腹の中なんておよびも付かない。問題は言葉尻。言葉にどんな尻が付いているか知らないが。
彼らは小学校の時分から、言葉の尻に左右されて生きてきていた。そんな彼らに、人の言葉を受け入れるゆとりを求めるのは難しいのかも知れない。
私は、今年の春で教員をやめるにいたる数年間、彼らにひとりになることを求めてきた。「学校生活を始めた幼い頃から、君たちはひとりで生きていく力を身につけるために学んできた。協力するのはいい。だけど、もう、つるむのはやめろ」
今の彼らに受けいられるはずがない。彼らにとって大事なことは、ひとりにならないことなんだから。それは分かっている。だけど、それだけじゃどうにもならないことを、彼らは近い将来に知ることになる。その時に、思い出してくれるかも知れない。
もちろん、それでひとりでやっていけるようになるわけじゃない。ずい分前の話だが、父親に聞いたことがある。世間でやっていける自信がついたのはいつ頃かと。父親は、「自分の父親の葬式を出してからだ」と答えた。
十把一絡げにそう言われるのは心外だ。たしかに、そういう“先生”もいる。比較的近いところにも、18歳未満の女性と淫らな行為を行いお金を渡した数学の“先生”がクビになった。人のうちの軒先にぶら下がったパンティーを手にかけて、家人に追いかけられて取り押さえられた体育の“先生”もいた。パンティー泥棒でクビになったのは、二人いた。
破廉恥なやつはいくらでもいる。世間にバレるケースもいくらでもある。だけど、“先生”が、そういう破廉恥な事件を起こすとニュースになる。そして、間違いなくクビになる。何かと目立つんだな。
“先生”と呼ばれる昼間の生活からの落差が激しいから面白い。足の引っ張りがいがあるんだろう。
高校の若い男性教員なんてのは、本当に大変だ。17・18の、ちょっと前であれば適齢期の健康な女性が、無防備な状態で、たくさんいるんだから。高度化した現代社会においては、彼女たちは、確かに社会的には未熟であるが、身体的には成熟期に達している。そしてその本能から、より能力の高い子孫を残すために、能力の高い遺伝子を欲する段階に至っている。
教員は教える仕事なので、中でも若い男性教員は、彼女たちにとって“より高い能力を持った遺伝子”なのだ。
かつては、自分の教え子と結婚をした高校教員が多かった。その多くは、真面目に勉強をしてきた方々で、恋愛経験は比較的少なかったろうと思われる先輩方だった。そんな彼らの方から、18歳未満の女性とのみだらな行為に及んだのか。それとも、18歳未満でないことを確認した上で、みだらな行為に及んだのか。お聞きしたことはない。
そんな事を言っている私でも、若い時分には、何度か危険な状況に陥ったものだ。そんな教員に、少しは思いやりを持って接してもらいたい。政治家の“先生”とは違うんだから。
30年をこえて教員として働いてきたが、学生の様子もずいぶん様変わりした。大きな変化の一つは、みんな誰かと一緒なことだ。誰かと一緒なことが、とてつもなく大事なことで、誰かと一緒でないということは、ものすごく大変なことと認識されているらしいということだ。
『ひとりで生きる 大人の流儀9』 伊集院静 講談社 ¥ 1,000 ひとりで生きることは、一見淋しいものに思えるが、実は美しい人間の姿であるのかもしれない |
|
教員になりたての頃は、それほどでもなかった。
自分たちの頃同様、おかしな奴がけっこういた。“つっぱり”がどうのこうのという時代だったかな。そういう意味で面倒な奴はいたけど、最近に比べると、きわめて分かりやすい時代だった。何しろこちらの声が、彼らにはとどいた。・・・そう私は思っている。彼らにも、信用できる相手の言葉なら受け入れようというゆとりがあった。そのゆとりを、最近の学生からは感じられないことが多くなっていた。
“古いやつだとお思いでしょうが”、一対一で腹を割って話せば、大抵のことはなんとかなるって思ってた。大抵のことはなんとかなった。どうにもならないこともあったけど。言葉尻よりも、腹の中が大事だった。
最近、上司は、学生と一対一にならないことを求めてきていた。女学生に対しての問題ってこともあるが、実は男子に関してももんだいがあった。腹の中なんておよびも付かない。問題は言葉尻。言葉にどんな尻が付いているか知らないが。
彼らは小学校の時分から、言葉の尻に左右されて生きてきていた。そんな彼らに、人の言葉を受け入れるゆとりを求めるのは難しいのかも知れない。
私は、今年の春で教員をやめるにいたる数年間、彼らにひとりになることを求めてきた。「学校生活を始めた幼い頃から、君たちはひとりで生きていく力を身につけるために学んできた。協力するのはいい。だけど、もう、つるむのはやめろ」
今の彼らに受けいられるはずがない。彼らにとって大事なことは、ひとりにならないことなんだから。それは分かっている。だけど、それだけじゃどうにもならないことを、彼らは近い将来に知ることになる。その時に、思い出してくれるかも知れない。
もちろん、それでひとりでやっていけるようになるわけじゃない。ずい分前の話だが、父親に聞いたことがある。世間でやっていける自信がついたのはいつ頃かと。父親は、「自分の父親の葬式を出してからだ」と答えた。

- 関連記事
-
- 祖先崇拝『日本人は本当に無宗教なのか』 礫川全次 (2019/11/20)
- 『ひとりで生きる 大人の流儀9』 伊集院静 (2019/11/16)
- ひとり『ひとりで生きる 大人の流儀9』 伊集院静 (2019/11/10)
- 『日本の民族信仰を知るための30章』 八木透 (2019/10/25)
- 『山の神々』 坂本大三郎 (2019/09/07)