『昭和とわたし』 澤地久枝
白鵬っていうのは、相変わらず品のない横綱だ。
遠藤に勝った相撲は、・・・ありゃ相撲じゃない。決まりては、右カウンターだよ。横綱ではなかった旭道山でさえ引退したのに、なんで白鵬は居座ってるんだ?グローブはめてないだけ、ボクシングより衝撃は大きいはずだ。
あれは公然とした暴力。私的暴力に及んだ貴ノ富士が引退に追い込まれたが、人前で暴力行為に及んだ白鵬が、なんで横綱に居座ってるんだろう。
恥知らずは、本人か?相撲協会か? そんなこと思ってるのは、私だけか?
ものがどう見えるのか。それは見方によってだいぶ変わってくる。
自分のことを考えてみてもそうだ。自分の中に一貫したものなんてない。いろいろに移り変わってきて、ようやく今の自分がある。立場によって見る位置を使い分けたことも再々あった。“職業柄”、“子供の前では”、“世間体を考えて”、・・・いろいろだ。
この本の著者、澤地久枝さんは、満州からの引揚げだったそうだ。大陸で、敗戦国民として難民生活を送り、満州からようようの思いで引き揚げてきた。戦後の混乱期、ご両親とともに出来得る限りのことをして生活の基盤を築いて生き抜いてきた中で、澤地久枝さんのものの見方は、一貫していたようだ。・・・この本を読む限り。
終戦の段階で、日本人は軍民合わせておよそ600万人が現在の日本の外にいた。その人たちが日本を目指した。たどりつけなかった人も多い。口に出せないような思いをした人たちもたくさんいた。口に出さないまま死んでいった人たちもたくさんいる。その人たちに代わってものを言う人間が必要だ。
澤地久枝さんがそれにふさわしいかどうかは、またものの見方によりけりというところかな。


澤地さんは五味川純平さんの助手だったのか。
『戦争と人間』の脚注をしていたんだそうだ。ずいぶん若いとき、高校の時だったかな、全巻読んだ。長い話だった。『人間の条件』も読んだ。今では話がごちゃまぜになってしまったが、その後見た映画も含めて、ずいぶん強く影響を受けた。学生時代はマル経を学び、二十代は左翼的なものの考え方に傾いた。そういうことにも、おそらく影響していたと思う。もちろん、自分から望んでそういう本を読んだし、映画も見たんだけどね。
《戦争と人間》は、冷静に振り返ればイデオロギー小説で、特に映画になると、その傾向が強かったように思う。完全に、反日反戦映画だった。当時の日本でそういう映画がもてはやされるということは、アメリカもずいぶん喜んだことだと思う。実際に私はその影響を強く受けた。
だけど、家族はじめ身の回りの人たち、広範な読書体験やその他いろいろなことのおかげで、時間はかかったけどバランスを持ち直した。10年くらいかかったかな。ずいぶん時間がかかったな。
戦争っていうのは相手のある話で、相手を考えてみたところで、まともな国なんてない。
“中国”っていうのは何?当時、どこに“中国”なんていう一つの政治勢力があった?朝鮮はグズグズで自分の足で立つこともできない状態。ロシアは世界の共産化を狙うという、悪の権化。女子供まで根絶やしにしてインディアンを抹殺したアメリカは、やはり日本相手なら非戦闘員への攻撃も全くためらわない非道の国。この間のラグビーのワールドカップを見ても、イギリスが世界に何をしてきたか、よく分かろうってもんじゃないか。オランダはよく日本軍の捕虜への対応を批判するが、自分たちがインドネシアを植民地としていたことは思い出せないのか。
日本はいろいろな点において稚拙だった。しかも、いまだにその稚拙さを引きずっている。
戦後、日本がやるべきことは、なぜ戦争を避けることができなかったのか、なぜ負けたのかを徹底的に検証することだった。戦勝国の都合によって組み立てられた間違った前提に立っては、その検証は不可能だ。だから、いまだに行われない。
澤地さんの動機には憎悪がある。憎悪を原動力に世の中を変えようとする姿勢は、はたから見ると気持ち悪い。その発言は、さまざまな口に出せないほどの思いをした人々を代弁しようとして、その人たちをまた違うところへ誘っているように私には思える。・・・もちろんこれは、あくまでも私のものの見方。
遠藤に勝った相撲は、・・・ありゃ相撲じゃない。決まりては、右カウンターだよ。横綱ではなかった旭道山でさえ引退したのに、なんで白鵬は居座ってるんだ?グローブはめてないだけ、ボクシングより衝撃は大きいはずだ。
あれは公然とした暴力。私的暴力に及んだ貴ノ富士が引退に追い込まれたが、人前で暴力行為に及んだ白鵬が、なんで横綱に居座ってるんだろう。
恥知らずは、本人か?相撲協会か? そんなこと思ってるのは、私だけか?
ものがどう見えるのか。それは見方によってだいぶ変わってくる。
自分のことを考えてみてもそうだ。自分の中に一貫したものなんてない。いろいろに移り変わってきて、ようやく今の自分がある。立場によって見る位置を使い分けたことも再々あった。“職業柄”、“子供の前では”、“世間体を考えて”、・・・いろいろだ。
この本の著者、澤地久枝さんは、満州からの引揚げだったそうだ。大陸で、敗戦国民として難民生活を送り、満州からようようの思いで引き揚げてきた。戦後の混乱期、ご両親とともに出来得る限りのことをして生活の基盤を築いて生き抜いてきた中で、澤地久枝さんのものの見方は、一貫していたようだ。・・・この本を読む限り。
終戦の段階で、日本人は軍民合わせておよそ600万人が現在の日本の外にいた。その人たちが日本を目指した。たどりつけなかった人も多い。口に出せないような思いをした人たちもたくさんいた。口に出さないまま死んでいった人たちもたくさんいる。その人たちに代わってものを言う人間が必要だ。
澤地久枝さんがそれにふさわしいかどうかは、またものの見方によりけりというところかな。
『昭和とわたし』 澤地久枝 文藝春秋 ¥ 880 二・二六事件、太平洋戦争、沖縄密約・・・ 昭和に翻弄された女性たちに寄り添って |
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澤地さんは五味川純平さんの助手だったのか。
『戦争と人間』の脚注をしていたんだそうだ。ずいぶん若いとき、高校の時だったかな、全巻読んだ。長い話だった。『人間の条件』も読んだ。今では話がごちゃまぜになってしまったが、その後見た映画も含めて、ずいぶん強く影響を受けた。学生時代はマル経を学び、二十代は左翼的なものの考え方に傾いた。そういうことにも、おそらく影響していたと思う。もちろん、自分から望んでそういう本を読んだし、映画も見たんだけどね。
《戦争と人間》は、冷静に振り返ればイデオロギー小説で、特に映画になると、その傾向が強かったように思う。完全に、反日反戦映画だった。当時の日本でそういう映画がもてはやされるということは、アメリカもずいぶん喜んだことだと思う。実際に私はその影響を強く受けた。
だけど、家族はじめ身の回りの人たち、広範な読書体験やその他いろいろなことのおかげで、時間はかかったけどバランスを持ち直した。10年くらいかかったかな。ずいぶん時間がかかったな。
戦争っていうのは相手のある話で、相手を考えてみたところで、まともな国なんてない。
“中国”っていうのは何?当時、どこに“中国”なんていう一つの政治勢力があった?朝鮮はグズグズで自分の足で立つこともできない状態。ロシアは世界の共産化を狙うという、悪の権化。女子供まで根絶やしにしてインディアンを抹殺したアメリカは、やはり日本相手なら非戦闘員への攻撃も全くためらわない非道の国。この間のラグビーのワールドカップを見ても、イギリスが世界に何をしてきたか、よく分かろうってもんじゃないか。オランダはよく日本軍の捕虜への対応を批判するが、自分たちがインドネシアを植民地としていたことは思い出せないのか。
日本はいろいろな点において稚拙だった。しかも、いまだにその稚拙さを引きずっている。
戦後、日本がやるべきことは、なぜ戦争を避けることができなかったのか、なぜ負けたのかを徹底的に検証することだった。戦勝国の都合によって組み立てられた間違った前提に立っては、その検証は不可能だ。だから、いまだに行われない。
澤地さんの動機には憎悪がある。憎悪を原動力に世の中を変えようとする姿勢は、はたから見ると気持ち悪い。その発言は、さまざまな口に出せないほどの思いをした人々を代弁しようとして、その人たちをまた違うところへ誘っているように私には思える。・・・もちろんこれは、あくまでも私のものの見方。

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