めんどくせぇことばかり 国家神道『日本人は本当に無宗教なのか』 礫川全次
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国家神道『日本人は本当に無宗教なのか』 礫川全次

教皇フランシスコが来日した。

戦後、彼ほど政治的な教皇はいないだろう。政治的な問題に関する発言をためらわない。彼には“大きな政府”という意識があるんだそうだ。それは国境を超えた問題に、積極的に関与していくということのようだ。核問題、戦争の問題、貧困の問題、・・・そりゃ結構だ。ただしいずれも、誰に何かを求めようとする段階から、きわめて政治的なものになる。その危険に対する意識に欠けたところがあるように思う。

最近は死刑制度にまで言及しているらしい。死刑制度は容認できないということだ。なにかとリベラルと波長の合う教皇でもあるらしい。

焼き場に断つ少年の写真に感銘を受けて広島、長崎を訪問したという。結構なことだ。核兵器が廃絶されることに、尽力しているという。いろいろな意見があるが、それ自体は文句を言うつもりはない。だけど、唯一の核被害国である日本に、なんらかの働きを求めるというのは間違いだ。なぜ核爆弾を、多くの人間を一気に皆殺しにするために使用したのかを、究明するのが先だ。なぜ日本人には核爆弾を使っていいと考えたのか。それを究明する前に、唯一の被爆国なんだから日本も率先してなにかやれというなら、責任者を連れてこいと言うしかない。根本的なことを考えれば、背景にあるものが、少しは見えてくるだろう。

イエズス会だそうだ。行動するカトリック。ラテンアメリカへ、アジアへ布教の為に乗り込んだカトリックの冒険者の系譜に属する。彼らの多くは思慮に欠けた。だから、行った先で揉め事を起こした。その揉め事を収めるために、スペインの軍隊がやってくるんだ。そして、新大陸の半分は、ラテンアメリカと呼ばれるようになった。その流れが、日本に原爆を落とすんだ。

なんだか、日本人の中にもフランシスコ教皇の来日を喜ぶ人が多いようだけど、カトリックなんだろうか。それとも、ハロウィンやクリスマスに大騒ぎの渋谷の若者だろうか。
伊藤博文が憲法調査のために向かったプロイセンで、彼はハインリヒ・フォン・グナイストから憲法講義を受けている。グナイストは、教育のもとになるのは宗教で、宗教に基づいた教育により人は善になると説いた。学問のみによって成り立つ国家は、死活の状態が常に動揺するのを免れない。日本においては仏教を国教とすべきであるという考えを持っていたらしい。

それに対してオーストリアのローレンツ・フォン・シュタインは、日本には開闢以来の神道があるのに、渡来した儒教や仏教に侵食され、神道は根本が枯れ、枝葉が栄えている状態のようだと、かなり正確な理解を持っていたようだ。そのうえで、日本は国体を維持するために神道を立てて国家精神の向かうところ示すのが良いとした。ただし、神道は宗教の外に立つものとして、儒教、仏教、キリスト教などの選択は、人々の自由に任せればいいと考えていた。



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かつての日本では、宗教と習俗とが人々の心を支え、社会や共同体を支えていた
第1章 かつての日本人は宗教的だった
第2章 近世における「反宗教」と「脱宗教」
第3章 本居宣長と平田篤胤の思想
第4章 幕末に生じた宗教上の出来事
第5章 明治政府は宗教をいかに扱ったか
第6章 明治期における宗教論と道徳論
第7章 昭和前期の宗教弾圧と習俗への干渉
終章 改めて日本人の「無宗教」とは


《宗教の外に立つ》という理解が難しいが、国家儀礼の典礼を神道によって行うということのようだ。そうすることで、人々を知らず識らずのうちに神道に帰依させる。宗教という意識さえ持たせる必要がない。仏教やキリスト教などを信仰することとは別問題ということだな。

実際、明治政府はこの方針をとっていくことになる。不思議なのは、シュタインがどのように異国である日本の宗教問題に関して、ここまで実際的な提案をすることができたのか。この本の著者礫川さんは、シュタインを尋ねた日本政府関係者、中でも伊藤博文あたりが重要な情報源だったのではと書いている。

前提には廃仏毀釈がある。神仏分離令に端を発する廃仏毀釈によって、民衆の伝統的信仰生活はかなりの程度破壊された。たしかに仏教は、江戸時代、民衆を管理する体制の側にあった。だがそれに対する反発だけではなく、明治維新という神道の“復古”という立場からも、西洋文明導入という立場からも、神仏習合をもととする、長い伝統を持つ民衆の生活は、愚昧で迷信深く、猥雑なものに見えたというのだ。

筑摩県権令の永山盛輝は教育を立県の指針とする説明で次のように言っているという。

《因果応報の邪説にこだわり、地獄・極楽などの詭説を信ずるのか。中には心得違いの者もおるだろう。そもそも仏教は死んだあとのことが大事なのであって、お寺に布施することはあっても、いま、行きている人間を教育するための学費は出さない。学校のために尽力しない。生きているより死んでいる方が楽しいのだろうか。あまりに道理に外れていて、憐れですらある》

《来世より現世》って刹那的な、きわめて短絡的な考えではあるが、そちらの方が神道の復古、西洋文明の導入というご時世にあっていたんだな。

「捨てなきゃいけない。壊さなきゃいけない」っていう、衝動のようなものだな。

そんな前提があったから、グナイストよりも、シュタインの考えが採用されることになる。さらにシュタインは、智識が発達した今日、道徳はもちろん安心立命もまた宗教によらず、哲理に帰着させるべきだと言う考えを持っていた。その哲理を、神道を国家の典礼とすることによって確立しようとしたわけだ。

ある意味では思った以上にうまく行った。ただ、戦争が始まって、戦況が厳しくなっていくに従って、天皇のもとに無理を通そうという風潮が抑えようも無くなってしまった。・・・国家神道ってやつだ。




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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本






















































































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