『教養としての世界の名言365』 佐藤優
まったく、教養の鉄人みたいな人だからな。
どれだけ本を読んでるか想像もつかないが、せめて爪の垢でも煎じて飲みたい。そんなことを言ったって爪の垢が手に入るわけでもない。仕方がないから、この本でも読んで、そのエキスをいただこう。・・・考えてみれば、爪の垢を煎じた汁を飲むよりも、この本を読む方がよっぽどましだ。
《どんどん、くだらなくなっていってる。音楽もTVもどんどん低脳になっていってる。殺人も犯罪も短絡的にいなっている。警察は庶民を守ってはくれなくなった・・・誰も本当のことを言わなくなってしまった。利権やせこい金で心を閉ざしちまったのさ。面白いお国柄だ》
これ、忌野清志郎の言葉だそうだ。1998年から2001年にかけて雑誌に掲載されたコラムの中の一節だそうだ。10年も前になくなった忌野清志郎が、その10年近く前、50歳前後の頃にこのように感じていたということになる。
でも彼は世間から目を背けなかったから偉いな。私なんか、世間にあきれかえっちゃって、背を向けがちだもん。後ろ向いてちゃだめなことは分かってるんだけど、見えるもの、聞こえるもの、それこそ見たくもないし、聞きたくもないことが多くてね。そういうのを見聞きして、それでも平然とした顔をしているのはもうつらい。
「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」
人の世が住みにくいからって人でなしの国はもっとひどいに違いないから、結局は人の世で、なんとか気分良く、少しでも機嫌良くやっていくしかない。だから詩人がいて、画家がいるって夏目漱石が書いている。
そうか、忌野清志郎はそれを天職に、指名にして生きてたのか。


織田信長は《是非に及ばず》と言い、西郷隆盛は《もうここらでよか》と言って死んだ。
簡単でいいなと思う。
どれだけのことを成し遂げたとしても、あるいは成し遂げなかったしても、ビートたけしの言うとおり《夢を持て、目的を持て、やれば出来る、こんな言葉に騙されるな。何も無くていいんだ。人は生まれて、生きて、死ぬ、これだけでたいしたもんだ》ってところだな。死ぬって言うのは、それ以上でも、以下でもない。
だから、世間に文句があったって、だからどうのと考えず、気楽に生きるのがいい。
そうそう、夏目漱石の言葉として紹介されているのは、『草枕』の冒頭ではなく、『吾輩は猫である』の中の猫の言葉。《呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこかかなしい音がする》
そうそう、世間とは相容れないとそっぽを向くのはエゴというもので、世間という総体がどんなものに見えようとも、人は一人になると、なんとも形容しがたい漠然とした寂しさや不安なものを抱えているもの。そういったものにまでそっぽを向いたら、人として生きていく価値があるか。
その究極は麻原彰晃だろうな。
彼は自分を認めなかった世間に復讐を始めた。なんとも形容しがたい漠然とした寂しさや不安なものを抱えている有名大学出身の若者を信者に獲得して家族と縁を切らせ、家族や親族とトラブルを起こすようになる。麻原を追求する坂本堤弁護士一家は、ポアと称して抹殺された。
《私は救済の道を歩いている。多くの人の救済のために、悪行を積むことによって地獄に至っても本望である》と語ったそうだ。彼は悪行を積んで地獄に落ちたのは間違いないところだが、残念ながら彼によって救済された人は一人もいない。
結局は、みんななんとか折り合いを付けて生きてるんだ。そういうところから目をそらしちゃいけないよね。私に芸術の素養がないのは残念だけどね。
どれだけ本を読んでるか想像もつかないが、せめて爪の垢でも煎じて飲みたい。そんなことを言ったって爪の垢が手に入るわけでもない。仕方がないから、この本でも読んで、そのエキスをいただこう。・・・考えてみれば、爪の垢を煎じた汁を飲むよりも、この本を読む方がよっぽどましだ。
《どんどん、くだらなくなっていってる。音楽もTVもどんどん低脳になっていってる。殺人も犯罪も短絡的にいなっている。警察は庶民を守ってはくれなくなった・・・誰も本当のことを言わなくなってしまった。利権やせこい金で心を閉ざしちまったのさ。面白いお国柄だ》
これ、忌野清志郎の言葉だそうだ。1998年から2001年にかけて雑誌に掲載されたコラムの中の一節だそうだ。10年も前になくなった忌野清志郎が、その10年近く前、50歳前後の頃にこのように感じていたということになる。
でも彼は世間から目を背けなかったから偉いな。私なんか、世間にあきれかえっちゃって、背を向けがちだもん。後ろ向いてちゃだめなことは分かってるんだけど、見えるもの、聞こえるもの、それこそ見たくもないし、聞きたくもないことが多くてね。そういうのを見聞きして、それでも平然とした顔をしているのはもうつらい。
「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」
人の世が住みにくいからって人でなしの国はもっとひどいに違いないから、結局は人の世で、なんとか気分良く、少しでも機嫌良くやっていくしかない。だから詩人がいて、画家がいるって夏目漱石が書いている。
そうか、忌野清志郎はそれを天職に、指名にして生きてたのか。
『教養としての世界の名言365』 佐藤優 宝島社 ¥ 1,650 名言の由来、偉人の生涯、そのテーマ・分野が一石三鳥で学べる画期的教養本 |
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織田信長は《是非に及ばず》と言い、西郷隆盛は《もうここらでよか》と言って死んだ。
簡単でいいなと思う。
どれだけのことを成し遂げたとしても、あるいは成し遂げなかったしても、ビートたけしの言うとおり《夢を持て、目的を持て、やれば出来る、こんな言葉に騙されるな。何も無くていいんだ。人は生まれて、生きて、死ぬ、これだけでたいしたもんだ》ってところだな。死ぬって言うのは、それ以上でも、以下でもない。
だから、世間に文句があったって、だからどうのと考えず、気楽に生きるのがいい。
そうそう、夏目漱石の言葉として紹介されているのは、『草枕』の冒頭ではなく、『吾輩は猫である』の中の猫の言葉。《呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこかかなしい音がする》
そうそう、世間とは相容れないとそっぽを向くのはエゴというもので、世間という総体がどんなものに見えようとも、人は一人になると、なんとも形容しがたい漠然とした寂しさや不安なものを抱えているもの。そういったものにまでそっぽを向いたら、人として生きていく価値があるか。
その究極は麻原彰晃だろうな。
彼は自分を認めなかった世間に復讐を始めた。なんとも形容しがたい漠然とした寂しさや不安なものを抱えている有名大学出身の若者を信者に獲得して家族と縁を切らせ、家族や親族とトラブルを起こすようになる。麻原を追求する坂本堤弁護士一家は、ポアと称して抹殺された。
《私は救済の道を歩いている。多くの人の救済のために、悪行を積むことによって地獄に至っても本望である》と語ったそうだ。彼は悪行を積んで地獄に落ちたのは間違いないところだが、残念ながら彼によって救済された人は一人もいない。
結局は、みんななんとか折り合いを付けて生きてるんだ。そういうところから目をそらしちゃいけないよね。私に芸術の素養がないのは残念だけどね。

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