『今昔物語集 天竺篇』 国東文麿
“本朝”と呼ばれるのが、この日本にあたる。
“震旦”が“中国”。これは古代インド人が“中国”の秦王朝を秦の土地という意味で「チーナスターナ」と呼び、これに漢字が当てられたもの。
“天竺”がインド。文明の成立したインダス川のことをイラン語でHindu、あるいはHindukaと言ったらしい。イラン人も、インドに南下した人々と同じインド・ヨーロッパ語族だから、古代インドでもこう呼んでいたんだろう。ヒンドゥー教のヒンドゥーだな。
中国人がインドに関する情報に触れた最初は、張騫による西域探検によるものだが、司馬遷は『史記』の中でHindukaをもとに身毒の名でインドを表しているという。天竺も、同じくHindukaに漢字を当てたもので、後漢書は天竺を使っているという。
インドとヒンドゥーは、両方ともインドを表す語だが、単に発音の問題と思っていたが、違うようだ。インドは古代ギリシャ語を経てラテン語でIndusとなり、ここからインディア、さらにインドとなった。発音上の問題ではあるが、経路が違った。
12世紀と言えば平安末期から鎌倉という時代。その時代に成立したのが、この『今昔物語集』という巨大説話集。全体がまず、天竺・震旦・本朝の三部に大きく分けられていて、さらにそれぞれが仏教説話と世俗説話に二分されている。
それにしても、その当時で言えば、天竺・震旦・本朝とは、世界のすべてであったはず。つまり、世界中の説話を集めたのが『今昔物語集』と言うことになる。世界中の興味深い話、教訓になる話が集められたって言うんだから、こりゃすごい本だ。
まだ新米教員だった頃、私は歴史の授業で宗教の話をしていたが、年配の倫理の先生から、宗教的な話を避ける人が多くて困ると言う話をされたことがある。戦後の社会科教育では、日本の神話とか宗教とか、そういうものは日本を戦争に導いた良くないもののような捉え方が一般的だったからね。その人は、日本神話や仏教の話も、たくさん授業で取り上げていた。
「面白い話がたくさんあるんだ」って、私にも宗教の話をどんどんするように勧めてくれた。「たとえば」と言って、その先生は“魔羅”の話をし始めた。「生徒に受けるんだよ、これが!」って自慢そうに。
そりゃ、陰茎の俗語だからね。
鴦屈魔羅は、あるとき師の不在中に師の夫人に誘惑された。怒った師は彼に、千人を殺し、千の指で鬘を作るよう言い渡す。彼は諸国を遍歴して目標に近づき、千人目に自分の母親を殺そうとしたとき釈尊に会い、邪法を捨てて正法を聞くに至った。
その学校は、威勢のいいのばっかり集めたような男子校だった。


仏陀が息子のラーフラを出家させようとしたとき、母親のヤショダラーはそれを妨害した。「女は愚かな心ゆえに子を愛するが、死んで地獄に堕ちてしまえば永久に別れ別れになって、後悔してもどうにもならない。ラーフラが悟りを開けばかえって母を救い、永久に生老病死の苦の根本を断ち、私のようになれるのに」って仏陀は言ったそうだ。
このとき、ラーフラは9歳。
ヤショダラーは言い返したそうです。「仏陀が太子であったとき、私を娶り、私は妻になりました。私は天神に仕えるようにして太子に仕えました。そしてまだ3年も経たないうちに、太子は私を捨てて宮殿を出て行かれました。その後、国に帰ることもなく、私にお会いにもなりませんでした。今になって我が子を取り上げてしまってもいいものでしょうか」
その通りです。それでも周りはよってたかってヤショダラーを説得し、ラーフラを取り上げるのです。
この段階での仏の教えって言うのは、麻原彰晃の言うことと同じだな。
ラーフラが麻原彰晃に感化されちゃって家のお金まで持ち出す騒ぎになっちゃって、そういうのが結構いるもんだから、ヤショダラーと母親たちは、弁護士の方に相談した。
弁護士の方はとても人間的で有能な方で、ヤショダラーや母親たちの苦しみに寄り添い、なんとか子どもを取り戻すことが出来るように努力した。
麻原彰晃はヤショダラーや母親たちの愚かさにあきれ果てた。そして邪法によって子どもたちを取り戻そうとする弁護士を、弟子たちに命じてその家族もろともポアさせた。
社会的背景が違うわけだから、上記のような切り貼りは当たらないと言われるかもしれないが、私は本質的な部分では違わないと思う。
“震旦”が“中国”。これは古代インド人が“中国”の秦王朝を秦の土地という意味で「チーナスターナ」と呼び、これに漢字が当てられたもの。
“天竺”がインド。文明の成立したインダス川のことをイラン語でHindu、あるいはHindukaと言ったらしい。イラン人も、インドに南下した人々と同じインド・ヨーロッパ語族だから、古代インドでもこう呼んでいたんだろう。ヒンドゥー教のヒンドゥーだな。
中国人がインドに関する情報に触れた最初は、張騫による西域探検によるものだが、司馬遷は『史記』の中でHindukaをもとに身毒の名でインドを表しているという。天竺も、同じくHindukaに漢字を当てたもので、後漢書は天竺を使っているという。
インドとヒンドゥーは、両方ともインドを表す語だが、単に発音の問題と思っていたが、違うようだ。インドは古代ギリシャ語を経てラテン語でIndusとなり、ここからインディア、さらにインドとなった。発音上の問題ではあるが、経路が違った。
12世紀と言えば平安末期から鎌倉という時代。その時代に成立したのが、この『今昔物語集』という巨大説話集。全体がまず、天竺・震旦・本朝の三部に大きく分けられていて、さらにそれぞれが仏教説話と世俗説話に二分されている。
それにしても、その当時で言えば、天竺・震旦・本朝とは、世界のすべてであったはず。つまり、世界中の説話を集めたのが『今昔物語集』と言うことになる。世界中の興味深い話、教訓になる話が集められたって言うんだから、こりゃすごい本だ。
まだ新米教員だった頃、私は歴史の授業で宗教の話をしていたが、年配の倫理の先生から、宗教的な話を避ける人が多くて困ると言う話をされたことがある。戦後の社会科教育では、日本の神話とか宗教とか、そういうものは日本を戦争に導いた良くないもののような捉え方が一般的だったからね。その人は、日本神話や仏教の話も、たくさん授業で取り上げていた。
「面白い話がたくさんあるんだ」って、私にも宗教の話をどんどんするように勧めてくれた。「たとえば」と言って、その先生は“魔羅”の話をし始めた。「生徒に受けるんだよ、これが!」って自慢そうに。
そりゃ、陰茎の俗語だからね。
鴦屈魔羅は、あるとき師の不在中に師の夫人に誘惑された。怒った師は彼に、千人を殺し、千の指で鬘を作るよう言い渡す。彼は諸国を遍歴して目標に近づき、千人目に自分の母親を殺そうとしたとき釈尊に会い、邪法を捨てて正法を聞くに至った。
その学校は、威勢のいいのばっかり集めたような男子校だった。
『今昔物語集 天竺篇』 国東文麿 講談社学術文庫 ¥ 2,321 十二世紀に成立した、仏教譚を集めた巨大説話集のうち天竺を舞台にするもの |
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仏陀が息子のラーフラを出家させようとしたとき、母親のヤショダラーはそれを妨害した。「女は愚かな心ゆえに子を愛するが、死んで地獄に堕ちてしまえば永久に別れ別れになって、後悔してもどうにもならない。ラーフラが悟りを開けばかえって母を救い、永久に生老病死の苦の根本を断ち、私のようになれるのに」って仏陀は言ったそうだ。
このとき、ラーフラは9歳。
ヤショダラーは言い返したそうです。「仏陀が太子であったとき、私を娶り、私は妻になりました。私は天神に仕えるようにして太子に仕えました。そしてまだ3年も経たないうちに、太子は私を捨てて宮殿を出て行かれました。その後、国に帰ることもなく、私にお会いにもなりませんでした。今になって我が子を取り上げてしまってもいいものでしょうか」
その通りです。それでも周りはよってたかってヤショダラーを説得し、ラーフラを取り上げるのです。
この段階での仏の教えって言うのは、麻原彰晃の言うことと同じだな。
ラーフラが麻原彰晃に感化されちゃって家のお金まで持ち出す騒ぎになっちゃって、そういうのが結構いるもんだから、ヤショダラーと母親たちは、弁護士の方に相談した。
弁護士の方はとても人間的で有能な方で、ヤショダラーや母親たちの苦しみに寄り添い、なんとか子どもを取り戻すことが出来るように努力した。
麻原彰晃はヤショダラーや母親たちの愚かさにあきれ果てた。そして邪法によって子どもたちを取り戻そうとする弁護士を、弟子たちに命じてその家族もろともポアさせた。
社会的背景が違うわけだから、上記のような切り貼りは当たらないと言われるかもしれないが、私は本質的な部分では違わないと思う。
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