菩薩道『菩薩』 速見侑
“ボーディ・サットバ”
これが日本で菩薩と呼ばれるものの、もともとの言葉。サンスクリット語だね。これを漢文に訳したときに菩提薩埵と書き表し、これを略して菩薩になった。もともとのサンスクリット語で意味を捉えると、ボーディ=悟り、サットバ=有情で、悟りを持った有情、悟りを求める人と言うことになるんだそうだ。
ただ、「悟りを求める人」と言ってしまうと、仏教とみんなになってしまう。そうじゃないんだな。自分が悟りを開けばいいという自利の求道者ではなく、悟りを求めると同時に仏の慈悲行を実践して一切衆生を救おうとする利他の求道者を菩薩という。
そういうことならないと、やはりしっくりきません。大乗仏教の理想的修行者像と言うことだ。
仏教が起こった頃、つまり釈迦が生きている頃にはボーディ・サットバ”という言葉はないし、亡くなってからずいぶんしてから生まれた言葉だそうだ。どうやら、釈迦入滅後の仏教の歴史をたどる必要があるらしい。
釈迦が亡くなってしばらくすると、当然のように教説の解釈を巡る対立が生まれ、教団は分裂したんだそうだ。亡くなって100年もすると、戒律に厳しい保守的な上座部と、比較的寛容で自由な大衆部に分かれた。これを根本分裂と言って、このあとは分裂に分裂を重ねて対立した。これらの教団を部派仏教と言い、彼らの関心事は苦行と学問によって自らが悟りを開き、輪廻から解脱することにあった。
出家したそれらの僧侶とは違う動きが一般民衆の中にあって、それは釈迦入滅後、その遺骨を納めた仏塔(ストゥーパ)を供養することだった。釈迦を追慕する民衆にとって仏塔は釈迦そのものであり、それを礼拝し、清掃供養し、財を寄進する者は、現世では福徳を得、来世は天上に生じ、ついには成仏するという考えが生まれた。
仏塔の管理運営を巡って、出家者だけでなく在家信者を含む信仰集団が形成され、自利行のみを行う部派仏教を批判するようになる。
釈迦への追慕は、釈迦前身への関心をも高めることになる。悟りに至る前の、悟りを求めつつ慈悲行を実践して一切衆生を救おうとする釈迦の実践を明らかにしようという取り組みが、信仰集団によって行われていく。それが、真の悟りを求めて仏になろうとする請願、すべての人を救おうとする大慈悲心、これらに裏付けられた六波羅蜜に代表される行にまとめ上げられていく。


幼い頃は、家族の死なんて受け入れられるはずがないと思ってた。誰でもそうなんじゃないかな。けっこういい歳になるまでそうで、祖父が亡くなったという連絡を受け取った大学の4年の時までだな。
その時になって、ようやっと分かった。「ああ、死ぬんだな」ってね。
そのあとは、祖母、母、父を見送った。その死によって学んだことは、とても大きかった。死んでみせるって、大切なことだな。私もしっかり死んで見せなきゃな。孫たちのためにもね。
たくさんいた両親の兄弟たちも、残ってる方が少なくなった。そのたびごとにお経を上げてもらった。般若心経は必須だったな。「心のともしび」ってのが配られて、一緒にお経を上げた。たくさん葬式があったんで、覚えてしまった。なんかすごい者を覚えたような気がしてたけど。お経ってのは、本来、その意味にこそ意味がある。意味を知ったら、怖くなった。
般若心経は、ちゃんと言うと、摩訶般若波羅蜜多心経。
六波羅蜜の波羅蜜、正式には波羅蜜多は、サンスクリット語のパーラミータの音写だそうです。迷いの此岸から悟りの彼岸に至る意味で、菩薩が悟りに至るために行う布施(慈善行為)、自戒、忍辱、精進、禅定(瞑想)、そしてこの五波羅蜜の根本となる般若波羅蜜(完全な悟りの知恵)の六つを六波羅蜜と言うそうです。
出家による悟りを求めることが出来ない在家の仏教徒は、そのような成仏にいたる道程として、一切衆生救済の慈悲心に裏付けられた菩薩道が具現化すると、釈迦の前身である釈迦菩薩だけでなく、未来仏である弥勒菩薩とかね。現在菩薩道を実践している様々な菩薩が考え出されて、観音菩薩とか、文殊菩薩とか、普賢菩薩とかね。
菩薩道の確立は大きな変化だった。「悟りを求めて一切衆生を救おうと努める菩薩道の実践こそ仏の願いにかなうもの」って理屈は、なかなか強い。なかなか強いけど、本来の釈迦の教えからは離れてるよね。大きな変化と言うよりも、違う宗教の成立と言うべきか。
菩薩道の実践に努める人々は、自らの道を“大乗”と呼んだわけだ。
これが日本で菩薩と呼ばれるものの、もともとの言葉。サンスクリット語だね。これを漢文に訳したときに菩提薩埵と書き表し、これを略して菩薩になった。もともとのサンスクリット語で意味を捉えると、ボーディ=悟り、サットバ=有情で、悟りを持った有情、悟りを求める人と言うことになるんだそうだ。
ただ、「悟りを求める人」と言ってしまうと、仏教とみんなになってしまう。そうじゃないんだな。自分が悟りを開けばいいという自利の求道者ではなく、悟りを求めると同時に仏の慈悲行を実践して一切衆生を救おうとする利他の求道者を菩薩という。
そういうことならないと、やはりしっくりきません。大乗仏教の理想的修行者像と言うことだ。
仏教が起こった頃、つまり釈迦が生きている頃にはボーディ・サットバ”という言葉はないし、亡くなってからずいぶんしてから生まれた言葉だそうだ。どうやら、釈迦入滅後の仏教の歴史をたどる必要があるらしい。
釈迦が亡くなってしばらくすると、当然のように教説の解釈を巡る対立が生まれ、教団は分裂したんだそうだ。亡くなって100年もすると、戒律に厳しい保守的な上座部と、比較的寛容で自由な大衆部に分かれた。これを根本分裂と言って、このあとは分裂に分裂を重ねて対立した。これらの教団を部派仏教と言い、彼らの関心事は苦行と学問によって自らが悟りを開き、輪廻から解脱することにあった。
出家したそれらの僧侶とは違う動きが一般民衆の中にあって、それは釈迦入滅後、その遺骨を納めた仏塔(ストゥーパ)を供養することだった。釈迦を追慕する民衆にとって仏塔は釈迦そのものであり、それを礼拝し、清掃供養し、財を寄進する者は、現世では福徳を得、来世は天上に生じ、ついには成仏するという考えが生まれた。
仏塔の管理運営を巡って、出家者だけでなく在家信者を含む信仰集団が形成され、自利行のみを行う部派仏教を批判するようになる。
釈迦への追慕は、釈迦前身への関心をも高めることになる。悟りに至る前の、悟りを求めつつ慈悲行を実践して一切衆生を救おうとする釈迦の実践を明らかにしようという取り組みが、信仰集団によって行われていく。それが、真の悟りを求めて仏になろうとする請願、すべての人を救おうとする大慈悲心、これらに裏付けられた六波羅蜜に代表される行にまとめ上げられていく。
『菩薩』 速見侑 講談社学術文庫 ¥ 1,012 菩薩とは、ボーディ=サットバに由来し、「悟りを求める人」という意味を持つ |
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幼い頃は、家族の死なんて受け入れられるはずがないと思ってた。誰でもそうなんじゃないかな。けっこういい歳になるまでそうで、祖父が亡くなったという連絡を受け取った大学の4年の時までだな。
その時になって、ようやっと分かった。「ああ、死ぬんだな」ってね。
そのあとは、祖母、母、父を見送った。その死によって学んだことは、とても大きかった。死んでみせるって、大切なことだな。私もしっかり死んで見せなきゃな。孫たちのためにもね。
たくさんいた両親の兄弟たちも、残ってる方が少なくなった。そのたびごとにお経を上げてもらった。般若心経は必須だったな。「心のともしび」ってのが配られて、一緒にお経を上げた。たくさん葬式があったんで、覚えてしまった。なんかすごい者を覚えたような気がしてたけど。お経ってのは、本来、その意味にこそ意味がある。意味を知ったら、怖くなった。
般若心経は、ちゃんと言うと、摩訶般若波羅蜜多心経。
六波羅蜜の波羅蜜、正式には波羅蜜多は、サンスクリット語のパーラミータの音写だそうです。迷いの此岸から悟りの彼岸に至る意味で、菩薩が悟りに至るために行う布施(慈善行為)、自戒、忍辱、精進、禅定(瞑想)、そしてこの五波羅蜜の根本となる般若波羅蜜(完全な悟りの知恵)の六つを六波羅蜜と言うそうです。
出家による悟りを求めることが出来ない在家の仏教徒は、そのような成仏にいたる道程として、一切衆生救済の慈悲心に裏付けられた菩薩道が具現化すると、釈迦の前身である釈迦菩薩だけでなく、未来仏である弥勒菩薩とかね。現在菩薩道を実践している様々な菩薩が考え出されて、観音菩薩とか、文殊菩薩とか、普賢菩薩とかね。
菩薩道の確立は大きな変化だった。「悟りを求めて一切衆生を救おうと努める菩薩道の実践こそ仏の願いにかなうもの」って理屈は、なかなか強い。なかなか強いけど、本来の釈迦の教えからは離れてるよね。大きな変化と言うよりも、違う宗教の成立と言うべきか。
菩薩道の実践に努める人々は、自らの道を“大乗”と呼んだわけだ。

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