『大人の運動』 中野ジェームズ修一
この間、奥多摩の鷹ノ巣山に登ったときのこと。
奥多摩駅を6時15分に発車する峰谷行きのバスに乗った。このバスに乗るために、私は4時に起きた。暗い中、車で山越えをして奥多摩に向かった。バスの乗客はもう一人いた。引き締まった、筋肉質の若者だった。バスの終点で二三言葉を交わしたにすぎないんだけど、ザックもウェアも新しい。私みたいに普段着じゃない。もともと、何かしらのスポーツをやっていて、最近、山の魅力にとりつかれた感じかな。
歩き出しは私が先。ただ、ものの15分で追い越された。トレランの人たちとは違うが、歩きのスピードが速い。そのくらいの早さで歩けないことはないが、すぐ潰れてしまう。林道のはるか先を歩き、やがて角を曲がって見えなくなった。
その角の手前あたりまで来ると、そこは分岐だった。左に折れると山道を越えて浅間尾根のとりつきを目指すことになる。彼は直進した。ずっと林道を歩いて浅間尾根を目指すコースだ。遠回りだし、もちろん時間的にもロスがある。あのもの凄いスピードなら、それでも私より先に尾根にとりつくかもしれないが。私は左に折れて山道に入った。
道は何度か林道と交差して上に進む。最後の林道からの登山口で身なりを整えて山道に入る。その際、ここに向かう林道を振り返っても彼の姿はない。先に進んだのか。
山道に入り、浅間尾根のとりつきを目指す。取り付きには鳥居があり、その先に浅間神社が見えた。写真を撮って、いざ進もうかと思ったとき、後ろから追いついた来た人がいた。先に行ったかと思った彼だった。林道の先の様子を見てきたと行ったが、やはり分岐の標識を見落としたか、地図で確認することを怠ったんだろう。
彼は浅間尾根の結構な登り坂を、まるで私を置き去りにするかのようにして登って行った。この日彼を見たのは、このときが最後だった。
さて、『大人の運動』って本だけど、“大人の運動”って言葉におかしなことを想像するのはやめなさい。そんな本じゃない。著者、中野ジェームズ修一さんのミドルネームにおかしな妄想をたくましくするのはやめなさい。不謹慎だ。
でもなぁ。運動は嫌いじゃないけど、若い人の圧倒的な体力を見せられちゃうとなぁ。いくらなんでも、あそこまではなぁ。・・・なんて泣き言を言っても始まらない。継続こそ力。行けるところまで、行ってみよう。


《もし、運動を錠剤の中に詰め込んでしまえるならば、その錠剤は、この世の中で、最も広範囲に処方され、恩恵をもたらす薬となるだろう》ってのは、アメリカの著名な研究者の言葉だそうだ。つまりは運動なみに効果のある薬は、現在のところ存在していないと言うことだな。
薬を飲むのって、まあいろいろあるんだろうけど、血圧が高いから飲んでるって人、結構いるな。糖尿の薬を飲んでるとかね。それからいろいろな目的を持ってサプリメントを飲んでいる人なんかもいるよね。
不調を改善するために薬を飲む。疾病の進行を遅らせるために薬を飲む。疾病の予防のために薬を飲む。この“薬を飲む”のところを、全部”運動をする”に帰られるわけです。不調を改善するために運動する。疾病の進行を遅らせるために運動する。疾病の予防のために運動する。
それでいて、運動に勝る薬はないって言うんだからね。しかも、運動なんて金がかからないもんね。
この本の正式な題名は、『定年後が180度変わる 大人の運動』。定年後、もしくはそれを意識している人たち向けに書かれた本。私なんかまさに真っ只中。
このくらいの年齢の人、すでに薬を飲んでる人も少なくない。体に不調を抱えている人も多いし、それを恐れている人はもっと多い。思っているのは、健康的に、楽しく毎日を過ごしたいってこと。たまにはいるけど、フルマラソンを走りきりたいとか、一線級で勝負したいと考えているわけじゃない。
この言い方を嫌がる人もいるけど、あえて言おう。「愉快な老後を過ごしたい」
ああ、すっきりした。
書かれているのは、運動の処方箋。こういう目的には、こういう運動。このレベルなら、この強度の、この頻度の運動。それが分かれば、《運動が長続きしない》という最大の問題が克服される。
薬だって、症状に合わせて飲まなきゃ意味がないし、逆に体に悪い。運動もそれと同じ。それを知るための本。そして効果が見えれば、もう運動することが楽しくなる。そこまでは私も知っている。
その先、中野さんの言うことの中に未知の領域がある。《80歳になっても、筋肉量を増やすことは可能》
私を置き去りにした若者と比べて私の方が有利なことが一つある。これから先、数十年間仕事人生を続けるであろう彼に比べ、私にはいくらでも自由になる時間がある。20年後、80歳になったとき、+20歳の彼を置き去りにしてぶっちぎってやろう。
奥多摩駅を6時15分に発車する峰谷行きのバスに乗った。このバスに乗るために、私は4時に起きた。暗い中、車で山越えをして奥多摩に向かった。バスの乗客はもう一人いた。引き締まった、筋肉質の若者だった。バスの終点で二三言葉を交わしたにすぎないんだけど、ザックもウェアも新しい。私みたいに普段着じゃない。もともと、何かしらのスポーツをやっていて、最近、山の魅力にとりつかれた感じかな。
歩き出しは私が先。ただ、ものの15分で追い越された。トレランの人たちとは違うが、歩きのスピードが速い。そのくらいの早さで歩けないことはないが、すぐ潰れてしまう。林道のはるか先を歩き、やがて角を曲がって見えなくなった。
その角の手前あたりまで来ると、そこは分岐だった。左に折れると山道を越えて浅間尾根のとりつきを目指すことになる。彼は直進した。ずっと林道を歩いて浅間尾根を目指すコースだ。遠回りだし、もちろん時間的にもロスがある。あのもの凄いスピードなら、それでも私より先に尾根にとりつくかもしれないが。私は左に折れて山道に入った。
道は何度か林道と交差して上に進む。最後の林道からの登山口で身なりを整えて山道に入る。その際、ここに向かう林道を振り返っても彼の姿はない。先に進んだのか。
山道に入り、浅間尾根のとりつきを目指す。取り付きには鳥居があり、その先に浅間神社が見えた。写真を撮って、いざ進もうかと思ったとき、後ろから追いついた来た人がいた。先に行ったかと思った彼だった。林道の先の様子を見てきたと行ったが、やはり分岐の標識を見落としたか、地図で確認することを怠ったんだろう。
彼は浅間尾根の結構な登り坂を、まるで私を置き去りにするかのようにして登って行った。この日彼を見たのは、このときが最後だった。
さて、『大人の運動』って本だけど、“大人の運動”って言葉におかしなことを想像するのはやめなさい。そんな本じゃない。著者、中野ジェームズ修一さんのミドルネームにおかしな妄想をたくましくするのはやめなさい。不謹慎だ。
でもなぁ。運動は嫌いじゃないけど、若い人の圧倒的な体力を見せられちゃうとなぁ。いくらなんでも、あそこまではなぁ。・・・なんて泣き言を言っても始まらない。継続こそ力。行けるところまで、行ってみよう。
『大人の運動』 中野ジェームズ修一 徳間書店 ¥ 1,518 話題のフィジカルトレーナー中野ジェームズ修一氏の本 医者いらずの定年後を |
|
《もし、運動を錠剤の中に詰め込んでしまえるならば、その錠剤は、この世の中で、最も広範囲に処方され、恩恵をもたらす薬となるだろう》ってのは、アメリカの著名な研究者の言葉だそうだ。つまりは運動なみに効果のある薬は、現在のところ存在していないと言うことだな。
薬を飲むのって、まあいろいろあるんだろうけど、血圧が高いから飲んでるって人、結構いるな。糖尿の薬を飲んでるとかね。それからいろいろな目的を持ってサプリメントを飲んでいる人なんかもいるよね。
不調を改善するために薬を飲む。疾病の進行を遅らせるために薬を飲む。疾病の予防のために薬を飲む。この“薬を飲む”のところを、全部”運動をする”に帰られるわけです。不調を改善するために運動する。疾病の進行を遅らせるために運動する。疾病の予防のために運動する。
それでいて、運動に勝る薬はないって言うんだからね。しかも、運動なんて金がかからないもんね。
この本の正式な題名は、『定年後が180度変わる 大人の運動』。定年後、もしくはそれを意識している人たち向けに書かれた本。私なんかまさに真っ只中。
このくらいの年齢の人、すでに薬を飲んでる人も少なくない。体に不調を抱えている人も多いし、それを恐れている人はもっと多い。思っているのは、健康的に、楽しく毎日を過ごしたいってこと。たまにはいるけど、フルマラソンを走りきりたいとか、一線級で勝負したいと考えているわけじゃない。
この言い方を嫌がる人もいるけど、あえて言おう。「愉快な老後を過ごしたい」
ああ、すっきりした。
書かれているのは、運動の処方箋。こういう目的には、こういう運動。このレベルなら、この強度の、この頻度の運動。それが分かれば、《運動が長続きしない》という最大の問題が克服される。
薬だって、症状に合わせて飲まなきゃ意味がないし、逆に体に悪い。運動もそれと同じ。それを知るための本。そして効果が見えれば、もう運動することが楽しくなる。そこまでは私も知っている。
その先、中野さんの言うことの中に未知の領域がある。《80歳になっても、筋肉量を増やすことは可能》
私を置き去りにした若者と比べて私の方が有利なことが一つある。これから先、数十年間仕事人生を続けるであろう彼に比べ、私にはいくらでも自由になる時間がある。20年後、80歳になったとき、+20歳の彼を置き去りにしてぶっちぎってやろう。

- 関連記事